ボスニア・ヘルツェゴビナのメジュゴリエで聖母マリアが再臨し、様々な奇跡を行ってきた。今月24日で40年目を迎えた。ボスニアの首都サラエボから西約50kmのメジュゴリエでは1981年6月、6人の子供たちに聖母マリアが再臨し、3歳の不具の幼児が完全に癒されるなど、数多くの奇跡がその後も起きた。毎年多くの巡礼者が世界各地から同地を訪れている。
現地からの情報によると、25日、信者たちや巡礼者がフマッチから聖母マリア再臨地メジュゴリエまで行進した後、夜には記念礼拝が行われた。40周年記念イベントには358人の神父たち、国内外から数千人の信者たちが集まった。ポーランドから50台、ウクライナから30台のバスが信者たちを巡礼地に運んできたという。巡礼者がブラジル、クロアチア、韓国、フランス、ルーマニア、スペイン、オーストリアの国旗を掲げながら行進する姿が報じられている。バチカンニュースは26日、メジュゴリエ聖母マリア再臨40周年の記事を大きく報じた。
カトリック信者にとって聖母マリア再臨の巡礼地といえば、ポルトガルの「ファティマの預言」(1917年)やフランス南部の小村ルルド(1858年)が良く知られてきた。メジュゴリエの聖母マリア再臨地でも過去、数多くの奇跡が伝えられてきたが、バチカンは巡礼地として公式に認知することを久しく避けてきた。カトリック教会では「神の啓示」は使徒時代で終わり、それ以降の啓示や予言は「個人的啓示」とし、その個人的啓示を信じるかどうかはあくまでも信者個人の問題と受け取られてきたからだ。
例えば、バチカンは奇跡や霊現象には慎重な姿勢を維持してきた。イタリア中部の港町で聖母マリア像から血の涙が流れたり、同国南部のサレルノ市でカプチン会の修道増、故ピオ神父を描いた像から同じように血の涙が流れるという現象が起きているが、バチカン側は一様に消極的な対応で終始している。スロバキアのリトマノハーでも聖母マリアが2人の少女に現れ、数多くの啓示を行っている。
しかし、メジュゴリエの聖母マリア再臨地で巡礼者が後を絶たないこと、奇跡の調査を求める声が高まったこともあって、サラエボ大司教区のヴィンコ・プルジッチ枢機卿は2008年、「バチカンはメジュゴリエの聖母マリア再臨とそれに伴う奇跡の是非を初めて調査することになった」と述べ、巡礼者を喜ばした。
前教皇ベネディクト16世は2008年7月、「メジュゴリエ聖母マリア再臨真偽調査委員会」を設置。枢機卿、司教、専門家13人で構成された同委員会が2010年に調査を開始した。メジュゴリエ公認問題が難しい背景には、バチカンの姿勢もそうだが、巡礼者へのケア問題で現地のフランシスコ会修道院と司教たちの間で当時、権限争いがあったからだといわれた。なお、バチカンは2019年5月、メジュゴリエへの巡礼を承認したが、聖母マリア再臨現象の真偽については依然、結論を下していない。
バチカンからメジュゴリエ特使として派遣されたヘンリック・ホーザー大司教は「メジュゴリエ40年」を3つの期間に分けている。第1はユーゴスラビア連邦が共産主義政権時代だった時代だ。聖母マリアの再臨に出会った少女たちや神父たちは当局から「嘘を言っている」と非難され、公共の安全を脅かすとして聖職者は拘留された時代だ。第2はボスニア紛争が始まった1991年からだ。3年半以上にわたって3民族(セルビア系、クロアチア系、ムスリム系)間で戦後欧州最悪の民族戦争が展開された。そして1995年のデイトン和平合意後、イスラム系とクロアチア系両民族から構成された「ボスニア・ヘルツエゴビナ連邦」とセルビア系の「スルプスカ共和国」の2つの主体から構成された国家が成立して今日に至る。そして第3は国民の共存と平和を求める聖母マリアのメッセージが前面に重要視されてきた時代という。
同大司教は、「メジュゴリエの聖母マリアは“平和の女王”と呼ばれてきた。メジュゴリエは時代と共に成熟し、成長してきた巡礼地だ」と指摘し、「メジュゴリエはファティマやルルドとは性格が異なった聖母マリア再臨巡礼地だ」という。
メジュゴリエには毎年、200万人余りの巡礼者が世界各地から訪れてきた。新型コロナウイルスが欧州、バルカン地域で感染拡大して以来、外国から訪れる巡礼者は途絶えたが、その間も近隣に住む人々が定期的に再臨地を訪れている。
どのような時代にも、信者たちだけではなく、多くの人々が自身の救い、家族・親族の病の癒しの為に巡礼地を訪れ、奇跡を願い祈りを捧げる。最近は、巡礼地には若い世代の姿が増えてきたという。日常生活では期待できない奇跡を体験したい、目撃したい、と考える若者たちが増えているという(「『聖人』と奇跡を願う人々」2013年10月2日参考)。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年6月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。