東條英機:国民を恐れた男

日本史を通じて毀誉褒貶が激しい人物は数多存在するが、その中の典型が東條英機である。彼がヒトラー、ムッソリーニと並ぶ、悪人だと言及する人もいれば、東京裁判で昭和天皇に戦争責任が及ばないように「演技」をした忠義の人だと評価する声もある。

東條英機 Wikipediaより

一方で、一ノ瀬俊也教授が描く條英機像は国民のことを終始恐れていた、注視されてこなかった東條の一面を浮き彫りにした。それと同時に、戦前の軍部の暴走なるものが、世論の力無くしては誕生しなかったことも示唆している。

世論と陸軍

東條が軍人としての道を歩みだしたときはちょうど戦前の日本の民主主義の芽が出始めていた時期と被っていた。そして、それを決定的なものにしたのが大正政変である。

詳細は割愛するが、大正政変は二個師団増設問題で西園寺内閣総辞職したことを契機に勃発した問題であった。これに世論は怒り、その圧力に負けた後継の桂内閣は約2か月で崩壊に追い込まれるに至った。

また、冷めやらぬ世論の勢いに負けて、軍部大臣現役武官制が改正されたことは、世論の動き次第では陸軍が消えることも意味した。その結果、陸軍は世論に積極的に訴えなければ、自らの存在意義さえも失いかねない立場におかれ、東條を含めた陸軍はそれ以降世論の誘導に苦心する。

さらに、一次大戦による戦争の性質の変化がなおさら陸軍が国民に訴えかける必要性を強くした。一次大戦まで戦争は規模も利害関係者も限定的なものであった。しかし、一次大戦によって規模のみならず、国民も含めたあらゆるリソースを動員しなければならない戦争の形が出現した。総力戦である。

さらに、そのような人民の離反がドイツの敗北の原因として陸軍は認識していたこともあり、総力戦において国民の協力が不可欠だということを認識した。それゆえ、陸軍は自らの存在意義を世論に訴えかける過程で国民に総力戦に対する協力を引き出そうと努力することになる。

また実際問題として、陸軍のみならず海軍の軍そのものの存在意義が失われていた。一次大戦という悲惨な戦争の反動として、世界規模の軍縮の気運が高まり、日本までも波及した。それによって、日本では幾度かの大規模な軍縮が実施され、軍事たちは職を失い始め、元軍人の再就職が社会問題となっていた。

また、1920年代に入って比較的平和な時代が続いて、喫緊の軍事的脅威が不在だった日本では軍隊そのものの重要性が低下しており、軍人に対しての差別的な対応も増加した。

以上の出来事に代表されるように、東條を含めた当時の陸軍は世論に配慮しなければ存在意義さえも失いかねない状況にあり、それを理解した上で世論に対するアピールを欠かさなかった。当時の陸軍は世論による統制のもとにいたのである。

なぜ「演技」をしたのか

そして、上記で述べた制約によって陸軍が拘束されていたことを示す証拠が一ノ瀬氏が紹介した東條が行った「演技」にまつわるエピソードの数々である。例えば、戦時中に東條はとある視察でわざわざゴミ箱を自分が覗いている描写を記者に見せ、自らが庶民的な指導者であることをアピールしようとした。また、東條は市井の人々と触れ合うといったことにも講じていたそうである。

しかし、それらのパフォーマンスの多くは配給所、そしてそれの対象となっていたのは主に戦没者の遺族であった。そのことから、東條の世論からの支持集めを狙ったパフォーマンスは、戦争の遂行のための「演技」だったという側面が否めない、と一ノ瀬教授は指摘する。

しかし、「演技」であったとしても、そのような行為をしなければいけないと東條に思い立たせたのは、国民の支持無くしては戦争に勝てないという思いからであった。また、逆説的にそれは国民に見放されたら戦争に負けるという恐怖心から生まれた行動でもあった。

東條を通して見る歴史の教訓

一ノ瀬教授が描く東條英機から見る、日米開戦、そして敗戦への道は軽視されがちな重要な歴史的な教訓を教えてくれる。それは戦前の世論の力が日本の軍国主義を下支えしたという歴史である。

戦前にも日本は未熟でありながらも民主主義は存在した。列強に文明国として認められようと明治の元勲たちは明治維新以後、天皇の権威を錦の御旗に憲法、議会を創設し、軍事力の整備に務めていた。

そして、その努力の結果として昭和初期には二大政党制が実現し、外部の目からは文明国として見られるまで日本の近代化は発展を遂げた。

しかし不幸なことに世論の成熟化は当時の日本の制度ほど発展していなかった。世論の未熟さが政党の腐敗を招き、その代わりとして軍部が受け皿となり、世論は対外強硬を煽り、悲惨な結果を招いた。

そして、そのような世論に東條は配慮し、持ち上げられ、最終的には戦犯として罵られた。そのことから、ある意味では世論に翻弄された残念な人であるという見方も東條に対してはできるのかもしれない。