米中両大国の狭間で苦悩したドゥテルテ大統領の5年間

少なからず常軌を逸していると筆者の目に映る二人の隣国大統領が、来年相次いで退任する。5月9日に5年が経過する韓国の文在寅と、6月30日に5年間を終えるフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテだ。共に米中両大国に翻弄され、また翻弄もした大統領といって差し支えなかろう。文在寅はきっと別稿を書くので、本稿はドゥテルテの対米・対中政策について見てみたい。

フィリピンでは今年、前任のベニグノ・アキノ三世が6月24日に逝去し、彼が提訴した南シナ海での共産中国の暴挙に係るバーグの常設仲裁裁判所(PCA)の勝訴判決が7月12日で5周年を迎えた。その日、中国外務省副報道局長の趙立堅は「(判決は)違法かつ無効で、1枚の紙くずだ。中国は受け入れない」と何とかの一つ覚えを繰り返した。

ドゥテルテ大統領 NHKより

ロドリゴ・ドゥテルテは16年6月30日、7期務めたダバオ市長から第16代フィリピン大統領に就任した。大統領となった国政でも、超法規的に犯罪者の殺害を容認してダバオ市の治安を回復させた手法を、宿痾ともいえる麻薬の撲滅に用いた。結果、数千人の死者を出し、刑務所に収容できないほどの容疑者が自首してきた話は、この人物を語る上で欠かせない。

だが、共産中国に対する姿勢、とりわけPCAが共産中国の違法を断罪した南シナ海の問題では一貫性を欠き、幾度となくFlip-Flop(態度の急変)を繰り返して国際社会を呆れさせてきた。それには、PCA判決に対する評価の変遷のみならず、米国との2つの軍事協定、すなわち「米比相互防衛条約(MDT)」と「訪問米軍に関する地位協定(VFA)」のうちの、VFAに対する態度の変化が含まれる。

ロクシン外相は6月14日、ドゥテルテ大統領が「南シナ海をめぐるマニラと北京の間の新たな緊張の中で、米国との主要な軍事協定を破棄するかどうかの決定をさらに6ヵ月延期した」と発表した。軍事協定とは98年に結ばれたVFAで、これは合同軍事演習や有事の際の米軍の対応に対する便宜などを規定する。

よってVFAには、後に述べる米比相互防衛条約(MDT)と同様に、共産中国に対し米比同盟の緊密さを示す政治的シグナルの役目がある。VFAは180日前にその意思を相手に伝えることによって終了するが、ドゥテルテは何度かVFAを米国との交渉の道具にしてきた。何やら文在寅のGSOMIA対応を彷彿させるが、ドゥテルテに感じる真剣みや必死さが、文のそれには感じられない。

例えば昨年1月、ドゥテルテ政権による違法薬物への対応を主導したロナルド・デラ・ロサ上院議員のビザを米国が取り消した際、ドゥテルテは初めてVFAを終了すると宣言し、そして撤回した。昨年12月には、ファイザーがワクチン2千万回分を提供しない場合、協定を破棄すると警告した。が、240万回分しか受け取っていないのに、先述の通り6月14日に延長を発表するといった具合。

今次の宣言撤回は、共産中国が3月初めからフィリピンが排他的経済水域(EEZ)と主張する海域に中国民兵が乗り込んでいる疑いのある220隻といわれる船が居座り続けている中、7月12日にCPA判決が5周年を迎えるからではなかろうか。ドゥテルテのやることは比較的単純で判り易い。

ドゥテルテは2年前、海域の主権に関して中国に対抗姿勢を示さないことについてAP通信に聞かれ、「習が『魚を取る』と言えば、誰が止められるというのか?」、「中国の漁師たちを追いやろうと思って海軍を送り込めば、誰も生きては帰れない」と述べた。また本年5月には「(CPA判決は)ただの紙切れだ、捨ててやる」と発言した。

しかし昨年9月22日の国連総会での録画による一般演説では、「フィリピンは国連海洋法条約に則した仲裁判決を支持する。判決は今や国際法の一部といえ、妥協したり、無効にしたりできない」、「判決は無分別や無秩序、野望に対する勝利で、支持する国の増加を歓迎する」と述べた。が、共産中国を名指しはせず、一般論化して国際社会の支援を求める、苦衷が察せられる発言だった。

本年5月の「紙切れだ」発言について7月12日の日経は、「米国の関与不足への関係国の不満も根強い。ドゥテルテ氏は5月、周辺海域での中国船停泊になすすべもない現状を受け、苛立ちを露わにした」と書く。比国のトランプなどといわれるが、大国だからアメリカファーストが通るということか。それをマニラのある大学教授は「我々の大統領は基本的に、判決に関する中国共産党の立場を述べる。それは国民の悲劇だ」と嘆じる。

ドゥテルテの苛立ちは、2月に新任のオースチン国防長官とロレンザナ国防相の電話会談で「米比相互防衛条約とフィリピンを訪問する米軍の扱いに関する合意(VFA)を通じて、フィリピンと米国の同盟へのコミットメントを再確認した」にも関わらず、中国船の居座りにこれが寄与していないことも関係していよう。

日経は前記に続けて、拘束力のない仲裁判決の効力を担保するには米軍の関与が不可欠だったが、オバマ政権は中国に対し「判決は(関係国を)法的に拘束する」(ケリー国務長官)と受け入れを求めつつも、対中関係を重視し中立的な姿勢をみせた旨を報じている。「戦略的忍耐」と称する傍観だ。その政権の副大統領が目下の大統領であり、気候変動を担当するケリーも世界中を飛び回り、存在感を誇示している。

が、12日のAP通信は、ブリンケン国務長官が11日、米国は「南シナ海でのフィリピン軍、公用船、または航空機への武力攻撃は、米国の相互防衛の約束を引き起こすことを再確認する」とPCA判決5周年を前に述べたことを報じた。記事はこのブリンケン発言が前任ポンペオの「南シナ海ほどルールが脅威に晒されている海事秩序はどこにもない」との発言を引いていることを強調した。

日経が書いた「米国の関与不足」記事を読んだかのようなブリンケン発言だが、その「相互防衛の約束」が米比相互防衛条約(MDT)だ。51年8月に合意し、翌年8月27日に発効したこの条約が、49年10月に成立し、50年6月25日に勃発した朝鮮戦争に義勇軍を騙って参戦した共産中国に対抗したものであるのは明らかだ。

その第二条は以下のようにいう。

締約国は、この条約の目的を一層効果的に達成するため、単独に及び共同して自助及び相互援助により、武力攻撃に抵抗するための個別的及び集団的能力を維持し発展させる。

54年11月の米韓相互防衛条約もほぼ同様の内容だ。が、翻って日米安保条約はどうか。NSCメンバーでもある麻生副総理が5日に「「(台湾で)大きな問題が起きると存立危機事態に関係しても全くおかしくない。そうなると日米で一緒に台湾を防衛しなければならない」と発言しただけで大騒ぎの体だ。

もし中国が台湾に侵攻すれば、安全保障関連法に基づく「存立危機事態」と認定することも、その結果として集団的自衛権の限定的な行使があり得ることも、これ想定しておかねばならないのは当たり前のことではなかろうか。

米国では、昨年11月の大統領選に纏わる投票監査や選挙法改正でのせめぎ合いが未だ続いている。五輪が終われば日本でも総選挙だ。来年には韓国とフィリピンの大統領選がある。何れも米国の同盟国だ。共産中国は自国に好ましい結果を望むだろうし、日々の様々な出来事がこれに無関係だとは誰にも断言できない。むしろそうした警戒心こそ必要だ。