チェン氏「人生67歳の決意表明」?
このコラム欄で「中国も北朝鮮も本当は米国が大好き」というタイトルの記事を掲載したばかりだが、香港俳優、ジャッキー・チェン氏(67)が「中国共産党党員になりたい」と発言したと聞いて、少々驚いた。北京の座談会(7月8日開催)でのチェン氏の発言を中国共産党機関紙・人民日報系の環球時報英語版が12日付で報じた。
当方もジャッキーチェン氏主演の「ラッシュアワー」シリーズを楽しく見たファンの一人だが、彼が親中派であることは良く知られている。香港の「国家安全維持法」をいち早く支持表明している。そのチェン氏は還暦を過ぎて共産党に入党する決意を固めたのだろうか。それとも「あれは冗談」と笑いながら後で舌ベロを出しているだろうか。
中国には世界的なクラシック・ピアニスト、ラン・ラン氏(39)がいる、中国共産党政権が開催する国際的イベントには必ず招かれ、ピアノ演奏を披露する音楽家だ。ラン・ラン氏もジャキ―・チェン氏も分野こそ違うが世界を舞台に活躍する人物だ。世界を知っている人間だ。中国共産党政権の主張だけを鵜呑みにしているわけではないだろう。そのチェン氏が、ラン・ラン氏もまだ口に出していない「共産党員になりたい」と言い出したのだ。慎重に熟慮した末の決意とすれば、他者がああだこうだと批判する資格はない。チェン氏の人生だ。ただ、当方はジャーナリストの一人としてチェン氏の発言に少々懐疑的にならざるを得ないのだ。
チェン氏は中国共産党政権が過去100年間で行ってきたことを知っているはずだ。同時に、文化大革命時には数千万人の同胞が粛清され、少数民族系ウイグル人たちが今、強制収容所のような再教育施設に送られ、さまざまな迫害を受けているし、気功集団・法輪功学習者の若者たちが生きたまま臓器を摘出されていることも知っているはずだ。
チェン氏はいつものように笑顔を見せながら、「それらの情報は皆、フェイクだよ。欧米メディアに騙されてはならない」と強調するかもしれないが、その弁解は残念ながら中国共産党政権と同じだ。都合の悪い情報はフェイクと一蹴し、都合のいいニュースはわが党の実績と豪語するのが中国共産党だ。
欧米社会からの人権弾圧という批判に対して、中国共産党政権は動じることなく「内政に干渉するな」と恐喝する一方、「それでは聞きたい、米国社会では人権弾圧は皆無か、そうではないだろう。黒人への人種差別はどうしたのか」と反論する。
中国側の反論は正しい。米国社会の人種差別は深刻だし、薬物汚染は未成年者層に深く食い込んでいる。人権弾圧の実例は米国にも多い。ただし、米中の違いは、米国では「わが国には人種差別問題がまだ未解決であり、米国社会は薬物乱用で汚染している」と政治家も国民も認めている一方、中国側はウイグル人への弾圧など全くなく、「集団収容所は職業訓練場所に過ぎない」と嘘を平気で言う。その違いは大きい。
チェン氏は映画では悪者をやっつけるアクション俳優だ。何が悪く、何がいいのかを知った上で役を演じる。チェン氏が、「ウイグル人への弾圧を知っているよ。僕は中国共産党に入党してウイグル人の人権擁護に力を入れたい」と表明したのではない。共産党の一員に加わりたいというのだ。チェン氏は実生活ではスクリーンで演じる正義の味方ではなく、ダーティな役割を演じたいのか。
チェン氏だけを糾弾してもフェアではない。ハリウッドでは中国共産党政権といい関係を結んでいる映画プロデューサーや俳優が少なくない。なんといっても14億人の巨大な中国市場を足蹴にできる俳優は多くはいない。映画制作会社は中国当局が嫌う人権問題を口にすることはないだろう。制作された映画が中国国内でヒットすれば巨額の利益があがる。中国マネーを断念する制作マネージャーなどいない。ハリウッドでは自己検閲が行われているのだ。
公平を期するためにいわなければならない。ハリウッドだけではない。世界の一流企業は巨大な中国市場に進出するために北京の共産党政権に対して媚を売ってきた。中国共産党に媚びを売るという点で、欧米の一流企業もチェン氏も変わらない。ひょっとしたら、前者は経済的打算からかもしれないが、チェン氏の場合、本当に中国共産党員になりたいと考えているのかもしれない。共産主義思想を信奉する確信的人間であるとすれば、欧米メディアが中国共産党政権の人権弾圧を批判したとしても、チェン氏の信念は決して揺れ動かないだろう。
習近平国家主席は5月31日、共産党中央政治局の会議に出席し、「世界から信頼され、愛され、尊敬される中国のイメージを作りあげなければならない」といった趣旨の内容を語った。同主席は中国が世界から愛されていない現実に心を痛めている。その時、政治家ではないが、チェン氏が「共産党の党員になりたいよ」と発言したのだ。タイミングがいい。チェン氏は案外、政治的人間かもしれない。世界制覇を推進する中国共産党政権を「寄らば大樹の陰」と考え、自身の老後を中国共産党政権に委ねたいのだろうか。
チェン氏が欧米社会の堕落を目撃し、キリスト教社会の欺瞞に飽き飽きし、反発心も手伝って中国共産党政権に心が魅かれているのかもしれない。そうとすれば、本当に残念だ。チェン氏は中国共産党政権内の非情な権力争いや、「目的のためなら手段を選ばない」言動をまだ目撃していないのかもしれない。「見ぬもの清し」という諺がある。遠くから眺めている時は全て良く見えるが、近づき、その中に入り込めば、全く異なった実情が浮かび上がってくるものだ。
チェン氏の「中国共産党に入党したい」という発言は党創建100年を迎えた中国共産党に贈る祝電のような役割を果たしたが、数年後、チェン氏から、「中国共産党から只今、脱党しました」という発言を聞けるかもしれない、と期待している。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年7月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。