1964年の東京五輪は、日本の外交、とくに皇室外交にとって輝かしい転換点となった。ところが、今回は陛下がひとりで開会宣言しただけ。世界各国から来るVIPたちにもほとんどお会いにもならず、「おもてなし」の精神と正反対の惨憺たる状況だ。
イギリスのアン王女など常識的な対応もされないならと直前になって来日を取りやめた。そして、この背景に、両陛下などのワクチン接種の不可解な遅れがあった。
この問題について、私の書いた記事が、『現代ビジネス』に掲載され、また、『週刊朝日電子版』にも私と元侍従の外交官に取材した記事が載っているので、ここでは、そのエッセンスを紹介する。
・「天皇陛下ワクチン接種の怪 五輪行事出席と皇室外交の支障に」
・「五輪・公務、皇室の変調の底にある相変わらずの皇后陛下ご不調」
・「天皇陛下ワクチン接種未完了で五輪開幕 雅子さまは欠席の“おもてなし” 皇室の真意とは」
天皇陛下が、新型コロナ・ワクチンの接種を赤坂御所でされたことを、宮内庁が7月6日に発表したが、第2回目の接種は開会式に間に合わなかった。
この陛下のワクチン接種の中途半端なタイミングは不自然で、容易ならざる組織の機能不全が皇室で起きていることを示唆する。
陛下ご自身の安全のためにも、世界のVIPへの配慮としても論外というしかない。皇后陛下や秋篠宮皇嗣殿下ご夫妻など、ほかの皇族については、接種したかどうか公表しないのも印象が良くない。
そして、開会式には陛下だけが出席して開会宣言をされるだけで、皇后陛下は出席されず、悠仁殿下なども含めてほかの皇族の観戦もなし、VIPへの接遇も最低限に留められた。
陛下始めほかの皇族方については、「東京五輪開催が感染拡大につながらないか、ご懸念されていると拝察している」という西村泰彦宮内庁長官の「ご拝察発言」のおりのやりとりでも、陛下が未接種であることが示唆された。
週刊誌報道のなかには、『国民に行きわたるまでは、打たない』とという関係者の意見を紹介していたものもあったが、いかにも苦し紛れであったので、私は「陛下がワクチン接種されていないなら外交上論外だ」(「アゴラ」6月30日)と批判した。
「海外からの賓客に多く接する陛下がワクチンを打たれていないとすれば、陛下自身にとって危険なことであるし、陛下が感染された場合に、世界各国の指導者や王族などを危険にさらす」ので、菅首相や宮内庁長官は諫言すべきであるとした。
私や同趣旨の意見に宮内庁が耳を傾けてくれたからかどうかは知らないが、7月になって、宮内庁は陛下のワクチン接種を遅ればせながら取り計らったというわけだ。
外交上の深刻な非礼
宮内庁は皇后陛下のワクチン接種を公表せず、宮内庁長官はその理由は「個人情報にあたる」からだというが、詭弁であることはいうまでもない。公表を頑なに拒むということは、皇后陛下が接種されていないことを明らかにしたくないことが理由としか考えにくい。
東京五輪で来日する世界のVIPたちは、両陛下との交流を楽しみにしているし、それを、過度に簡素化することは、外交上の深刻な非礼で、「おもてなし」の精神と対極を成す。IOC委員で英五輪委員会総裁であるアン王女が、心ならずも開会式欠席に追い込まれたのも、その結果だろう。
1964年の東京五輪や1970年の大阪万博のときの昭和天皇ご夫妻、当時の皇太子ご夫妻の見事なホストぶりは、戦争の傷を癒やして皇室外交が飛躍するきっかけになった。それが今回は両陛下が立派な国際人でおられるのを生かせる晴れ舞台だったのに寂しいことだ。
ワクチンについて、宮内庁長官は五輪に間に合うように強く進言し接種してもらうべきだったので、これは不祥事である。
「拝察発言」は憲政上の汚点
「拝察発言」について、浅はかに歓迎するむきもあるが、君主制をとっている民主主義国で、政治的な争点になっている問題について、君主の意見が自身であれ、側近の口を通してであれ漏れるのはタブーである。
女王の意見も含めて政治的な意見が外へ漏れたら君主制の存廃議論にまで発展するほど深刻な不祥事になる。EU離脱の国民投票の時などそうだった。とくに、直近の選挙に影響を与える状況では論外である。
そういうことを、英王室とお付き合いも深い陛下はよくご存じで、都議選を前にしたタイミングでの長官の軽率な発言に戸惑っておられるはずだ。
今回のような象徴天皇制とまったく相容れない長官の暴走は憲政上の汚点であって、戦前ですらありえなかった。絶対に繰り返されてはならないと、左派リベラル陣営こそ糾弾すべきことなのである。
イエスマンに囲まれた個人商店化した皇室
さらに、長官は眞子様の婚約予定者である小室圭氏が出した母親の元婚約者との金銭トラブルについての稚拙な文書を絶賛して、国民から呆れられた。
皇室が永く続いてきたのは、皇族同士が支え合い、奥と呼ばれる側近や重臣、摂関や明治以降の政治的指導者、華族社会が重層的に絡み合いながら賢明な判断をできるように支えてきたからでもある。
ところが、戦後はそれが崩れて藩屏がなくなり、平成になると、かつての大企業的な役割分担が適切になされていた組織から、もはや一般人とあまり違いはない感覚の皇族とイエスマンでしかない使用人からなる「個人商店」になってしまったと私は思う。忠臣とは苦い話を諫言できる人であるのは、和気清麻呂のときから常識だ。
そんななかで、上皇陛下のとくに近しいご学友が、小室氏問題は、上皇ご夫妻が一般国民に近づきすぎてふつうの人になってしまわれたことの結果だという、「絶縁宣言」までして話題になっている。
五輪・公務、皇室の変調の底にある相変わらずの皇后陛下ご不調~何を隠すための「拝察」発言か
皇室が陛下の開会宣言以外に五輪から逃避してしまったことを、五輪開催に対する両陛下のレジスタンスだとかいう向きまであって、本当にそうなら象徴天皇制をゆるがす重大事なのだが、そういうことではあるまい。
むしろ、これまでの経緯からすると、皇后陛下の周辺が、新型コロナウイルスへの感染を普通以上に怖れられて五輪行事参加に消極的である上に、ワクチン接種にも積極的でなく、宮内庁が陛下だけでもという方向にすら差配できなかったのであろう。
一昨年のご即位とそれに伴う行事での皇后陛下の元気なお姿や活発さ、トランプ大統領夫妻との素晴らしい交流を見て、国民はたいへん喜んだのだが、私は皇后陛下の「張り切りすぎ」と国民の過剰な期待が膨らむことの反動が心配だと指摘していた。
そもそも、即位関連の行事も、平成のときに比べて徹底的に簡素化し、パレードも結果的に別の日にしたわけで、恐る恐るの安全運転だったのは、皇后陛下の体調への配慮だったのだが、それすらマスメディアはほとんど報道しなかったので国民は知らない。
新皇后として最初の地方公務であった一昨年6月の愛知県での全国植樹祭への出席も、従前は、非常に密度の薄い日程にして、しかも、お帰りは名古屋駅で一般人との接触をしないで済むように中部国際空港から専用機でということだった。
「過剰な期待」を医師団は心配
フランスのマクロン大統領来日のときも、皇后は出席されないという予定にしておいて、調子がよかったから出席というような形がとられたし、海外訪問は急な欠席が心配されるということで出来ないでいる。
医師団も昨年の12月9日に、「これまでも繰り返し説明して参りましたように、皇后陛下には、依然として御快復の途上にあり、御体調には波がおありです。そのため、大きい行事の後や行事が続かれた場合には、お疲れがしばらく残られることもあります。過剰な期待を持たれることは、今後の御快復にとって、かえって逆効果となり得ることを御理解いただければ」という見解を発表しているのだが、報道ではほとんどスルーされているので国民は知らない。
そして昨年、新型コロナの問題が出てからの両陛下の活動量は非常に少ない。東京を離れられたことは皆無である。
上皇陛下ご夫妻が、まめに被災地などを訪れられたことと差が目立つが、単純に比較して論じることが適当とは思わない。
コロナ禍における両陛下の「ご不在」
ただ、ここ1年半の「ご不在」はやや極端であるように思えるし、そこには、皇后陛下やその周辺が、普通以上に、新型コロナウイルス感染に神経質になられていることが関係しているくらいしか理由を見出しがたい。
それならば、陛下がお1人とか、愛子様などほかの皇族と動かれても構わないのである。しかし、陛下がその結果、皇后陛下の不在が目立つことを嫌っておられるようでもある。
皇后陛下に近いといわれる向きからも、ワクチン接種が遅くなったことも、「五輪関係行事へのご出席のお気持ちをとどめてしまったのではないか」、「それを進言する人が周囲にいなかったのが残念」という声が出ている。
そうこうしているうちに、五輪の日程が切羽詰まったので、陛下だけが第1回だけでもと接種されたが、この遅れが陛下の行事参加の障害にもなっている。
NHK大河ドラマ「青天を衝け」で、孝明天皇が天然痘で崩御されたとき、明治天皇は種痘をされていて無事だったことが描かれていたが、あの先進性とあまりにも差がありすぎだ。
私は、かねがね、コロナ問題と関係なく、宮内庁が皇后陛下の体調がまだ安心できる状態でないのでご活動を簡素化するということを、はっきり国民に説明したほうがいいといってきた。
皇后陛下にとって無理のない令和スタイルを
平成の両陛下は、ストイックにお出ましをされ、ご高齢になってからも、宮内庁の事務方が簡素化しようと提案してもなかなかご承知にならなかった。そして、それが維持できなくなったので譲位された。
国民のなかには、若い両陛下は従前の頻度を維持すべきだと考えている人もいる。しかし、平成の両陛下の象徴天皇像は、普遍的にこうあるべきといった性質のものでないし、令和の両陛下は、皇后陛下の状況を前提に自分たちのスタイルを創り上げられ、それでもって国民の理解を求められたらいいのである。
皇室外交についていった、皇后陛下の体調が十分でないからといってその頻度が少なくてよいわけでない。私はたとえば、悠仁殿下の帝王教育の機会と位置づけて同行されるようなことをされてはどうかと思う。
陛下が留学中にお世話になられたベルギーのボードワン国王は、お子様がなかったので、甥の現国王フィリップ殿下を将来の継承者と位置づけ、外遊に同行させたりしておられたのであるが、それにならわれたらいい(もっとも、ボードワン国王が急逝されたので、結果的には弟でフィリップ殿下の父親であるアルベール殿下がつなぎ的に即位され、のちに生前譲位された)。
今回の騒動も、皇后陛下の周辺が新型コロナに感染しないかとか、ワクチンの副反応が心配とか周囲がナーバスになって、開会式の出席、観戦、VIPの接遇などを避けたいところから出発して、それを目立たなくするために、「東京五輪開催が感染拡大につながらないか、ご懸念されている」という、とってつけたような拝察発言になった要素もあると推察するのは、その後に起きたことからしてそんな無理な解釈でない。
ご無理のないスタイルを作り上げていくほうが賢明かと思う。