東京五輪の「金メダル」は国を救う

このコラムのタイトルはひょっとしたら五輪大会で多数のメダルを獲得するメダル常連国の米国や中国には当てはまらないかもしれない。アルプスの小国オーストリアならではの話かもしれない。オーストリアの東京五輪大会代表の1人が25日、メダルを取ったのだ。それも金メダルだ。同国に2004年のアテネ夏季五輪大会ぶりの金メダルをもたらしたのは自転車競技女子ロードレースのアンナ・キ―ゼンホファー(Anna Kiesenhofer)選手だ。

2004年ぶりに金メダルをオーストリアにもたらしたアンナ

オーストリア国営放送の中継から2021年7月25日

競技は東京武蔵野の森公園をスタートし、ゴールは富士スピードウエイで総距離137km。アンナはスポーツのオッズでも全くノーマークの選手だっただけに、彼女の金メダル獲得は大きな衝撃を投じた。

アンナが如何にマークされてこなかった選手かを物語る出来事を紹介する。同レースの本命、アンネミーク・ファン・フリューテン選手(オランダ)がゴールした時、彼女は自分が1番だと勘違いして、手を高々と挙げて喜びを表したのだ。しかし、ゴールに待っていた関係者の表情は金メダリストを迎える高揚した雰囲気ではなかった。当然だ。数分前にトップランナーが既に到着。彼女は銀メダリストだったのだ。

第2位となったアンネミークは自分の前に疾走していたオーストリアの、それも無名選手の存在にはまったく気が付かなかった。選手とコーチ陣の連絡も上手く機能しなかったこともあるが、彼女は、「アンナが我々のトップグループにいたことは知っていたが、その彼女が最後までゴールしたとは気が付かなかった」というのだ。トップグループを抜け出したアンナは「40km余り、ソロで走り切った」のだ。アンナの時間は3時間52分40秒で、2位と1分以上の差をつけた圧勝だ。

アンナは2017年、ベルギーのプロの自転車チームに所属したが、そこを1年余りでやめている。理由を、「自分はチームで競争するタイプではない。自分で計画し、自分で決めることが好きだからだ」という。

彼女はウィーン工科大学とケンブリッジ大学で数学を学び、その後、カタルーニャ工科大学で博士号を修得し、現在は路上レースに参加する一方、学校で数学を教えている。30歳だ。通常のプロ自転車競技選手ではない。トップクラスの選手たちにとって、アンナは全くの無名選手だったわけだ。それだけではない。オーストリア五輪代表団もアンナがまさか金メダルを獲得するとは考えてもいなかったのだ。

アンナはゴールした時、自分が1番だったとは理解できなかったという。「最後の1km余りは厳しかった。ペダルを踏む脚には全く力がなかった」という。しかし、後方を振り返っても誰もいない。アンナは41km余り1人でトップを走っていたのだ。

彼女の快挙が伝わると、オーストリアでは歓声とともに、「ようやく金メダルが取れた」という安堵感が流れた。オーストリアはウィンター・スポーツの国だ。冬季五輪大会は数回開催してきた。ヘルマン・マイヤーやマルセル・ヒルシャーといったアルペンスキー競技のスーパー・スターを輩出してきた。しかし、夏季五輪となると、惨めな成果しか挙げてこなかったのだ。特に、1964年の「東京大会」以来だ。それまでオーストリアはそれ相当のメダルを獲得してきたが、東京夏季大会で初めてノーメダルの惨めさを味わった。それ以降、「東京の悪夢」は夏季五輪では常に付きまとってきたのだ。

ロンドン五輪(2012年)を思い出してほしい。オーストリアのチームはメダルを獲得できずに苦戦し、最後は悲鳴に近い叫びを発し、最後は金メダル、銀メダルどころか銅メダルすら獲得できずに閉会式を迎えた。前回のリオ五輪(2016年)では銅メダル1個だ。オーストリアより小さな国が金メダル獲得で喜んでいる姿を見ながら、言い知れない屈辱感を感じてきた。1人で23個の金メダルを獲得したマイケル・フェルプス(米国水泳選手)と比較するつもりはないが、夏季五輪大会では1964年の東京大会以来、金メダルと縁が薄くなってしまったのだ。

ハプスブルク王朝時代、欧州を席巻したオーストリアの国民は誇り高い。世界の耳目が集まる五輪大会でノー・メダル国であることが耐えられないのだ。国民の中には、「わが国はウィンター・スポーツ国だ。夏季五輪で成績が悪いのは仕方がない」と考え、自ら慰める姿がみられる。少し哲学的な国民ならば、「五輪はメダルだけが目的ではない。参加に意義があるのだ」といった昔の名言を思いだす。

2回目の東京夏季五輪大会を前にオーストリア五輪関係者は外では威勢のいいことを言っていたが、内心では「1人でもメダリストが出てきたら……」だった。オーストリア五輪関係者には「1964年の東京大会の悪夢」が忘れられないのだ。

話をアンナに戻す。彼女の出身地、ニーダーエスタライヒ州知事ばかりか、ファン・デア・ベレン大統領、クルツ首相ら政府関係者から祝いのツイートが届いた。オーストリア国営放送はオリンピック・スタジオに彼女を招き、インタビューするなど、深夜まで大騒ぎとなった。

オリンピックが開幕されたものの、五輪ムードに乏しかったオーストリアが、彼女の金メダルのニュースが流れると全て変わった。メディア関係者は生き生きしてきたし、国民の間では「アンナが金メダルと取ったそうだね」といった会話に花が咲く、といった具合だ。

オーストリア社会に活気が戻ってきた。新型コロナウイルスの感染拡大とコロナ規制のため、国民は過去2年あまり委縮してきたが、アンナの金メダル獲得ニュースでそのような閉塞感は吹っ飛んでしまった。「五輪は参加することに意義がある」といった近代オリンピックの父、ピエール・ド・クーベルタンには悪いが、五輪ではやはり金メダルの価値は大きい。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年7月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。