「エビデンスのないものは全てデマである」というデマ

森田 洋之

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新型コロナのワクチンに関して様々な情報が飛び交っている。

ワクチン推進派と慎重派、双方から全く反対の結論のデータや論文が提示され、素人目には何が本当なのか分からない、というのが正直なところではないだろうか。

ワクチン推進派の人々は、ファイザー社が行った95%有効という論文を引用してワクチンを勧める事が多い。(ワクチンを接種した人達はしなかった人達=プラセボ群に比して新型コロナの発症が95%抑えられたという研究)

Safety and Efficacy of the BNT162b2 mRNA Covid-19 Vaccine
N Engl J Med 2020; 383:2603-2615
DOI: 10.1056/NEJMoa2034577

確かにこれはエビデンスレベルの高い、つまり信頼性の高いデータだ。しかも、ワクチン接種が進んでいる欧米のコロナ感染者数・死者数の減少はそれを現実に証明していると言っていいだろう。一部の国では感染者の増大があるものの、欧米では重症者・死者数に関しては明らかに減少している国が多いのだ。

下のグラフはアメリカのワクチン接種率(点線)と感染者の推移(実線)だが、ワクチン接種率が高まるにつれて感染者数も激減している事がわかる。死者数ももちろん激減している。これはワクチンの効果を期待し、推進する大きな理論的根拠であろう。

では逆に、ここまでデータが出ている中でワクチン慎重派はなんと言ってるのだろう。彼らは上記のものとは全く反対のデータを示す。実は、これまで新型コロナ感染被害が圧倒的に少なかったアジア諸国では概ね逆の結果が起こっているのだ。モンゴル、マレーシア、インドネシアなどがその典型である。それらのデータを見てみよう。

先程のアメリカのグラフと真逆で、ワクチン接種率が上がるほどに感染者数も増えているのがわかる。もちろんインドネシアなどは接種率がまだ10%台であるため、ワクチンとの関連性をこれだけで語るのは危険だろう。ワクチン接種のタイミングと感染爆発のタイミングが偶然重なっただけかもしれない。しかし、こうしたデータがあることも事実なのである。そしてこの傾向はアジア各国でほぼ共通している。

では、どちらが本当なのだろうか?

本当のことは未だに「分からない」が正解だろう。

医学や医療の世界はエビデンスをきれいに出しやすいものと、出しにくいものがあるのが現実なのだ。ファイザー社のような研究は事前に計画的にデザインされた比較試験であるため綺麗なエビデンスを出しやすい。それに対し、アジア各国のワクチンのデータは一種の社会現象を後ろ向きに見ただけのものなので、エビデンスを出しにくいのである。というのも、こうしたデータの分析にはワクチン効果だけでなく、ソーシャルディスタンス/ロックダウンなどの政策の違い、人種間の差異、気候、経済状況、医療体制、平均寿命、食事・睡眠などの生活習慣、これまで打ってきた各種ワクチンの効果…など多くの関係因子(交絡因子という)が影響するからだ。これらをどう扱うかによって結論が正反対になりうることだって十分にありえる。極端に言えば、恣意的に研究結果を操作することだって出来てしまうのだ。事実、ロックダウンやBCGワクチンに感染拡大防止効果があったのか・なかったのかについて分析した論文は多数あるが、正反対の研究結果が複数出ているのが現実である。

綺麗な研究結果を出すためには、今からロックダウンする国しない国、ワクチンを打つ国打たない国をランダムに振り分けてその結果を分析すれば良いのだが、当然そんなことはできるはずもない。現実社会は実験室ではないからだ。

たしかに医学は人体の不思議の多くを解明してきた。しかし、未だに人体の多くの部分は謎のままである。特に、社会全体を巻き込んだ今回のコロナ禍は、不確定要素が無数に存在するため統計的な分析が非常に困難になっている。もちろん、それでもエビデンスを追い求める科学的態度は非常に大事である。しかし、こうした不確定な現状の中で、「現時点でエビデンスのないものはすべてデマである」と一刀両断してしまうような論調は、可能性を排除してしまうという意味で甚だ危険だし、すでに「社会学」に近くなっている非常に不確実な「コロナ禍」という現実を把握する上で大きく見誤ってしまう要因となりえるのだ。

医学の専門家がこだわる「エビデンス」の世界はもちろん大事だが、同時に「現実社会はエビデンスの出しにくい混沌とした複雑な世界である」という理解も大事で、両者を同時にバランス良く見ていく視点が求められるのだろう。

そういう意味では、今回イギリス首相「感染者は激増しているが、死者数はそんなに伸びていないので社会的規制は解除する」という決断は、医学にもまして社会学に近い決断ではないかと思う。今後の動向に注目している。