オーストリアは過去、「欧州の柔道王国」と呼ばれた。多くの柔道家が世界や五輪の舞台で活躍してきた。そのオーストリアの柔道の歴史でまた1人の新しい英雄が誕生した。シャミル・ボルチャシビリ(Shamil Borchashvili)が27日、東京夏季五輪の柔道81キロ級で3位となり、銅メダルを獲得したのだ。オーストリアでは25日、女子自転車競技ロードレースでアンナ・キーゼンホファーが金メダルを取ったばかりだ。東京五輪で2人のメダリストが出たことになる。オーストリア五輪チームにとって文字通り嬉しい知らせとなった。
81キロ級では日本の永瀬貴規(27)がライバルのサエイド・モレイ(モンゴル)を破って金メダルを獲得し、リオ五輪の雪辱は果たしたばかりだ。その81キロ級でボルチャシビリ(26)が3位決定戦でドイツのドミニク・レッセルを破って銅メダルを獲得したのだ。オーストリア柔道界にとってボルチャシビリの銅メダルは、2008年の北京夏季大会でルドヴィック・パイシャーが銀メダルを獲得して以来だ。久しぶりの快挙だ。
ボルチャシビリはチェチェン出身で、2004年に両親がチェチェンから7人の子供を連れてオーストリアに難民として亡命、トライスキルヒェ難民収容所にいたが、その後、オーバーエステライヒ州のヴェルスに定住した。ボルチャシビリがオーストリア国籍を取得したのは4年前だ。
同選手は試合後のインタビューで、「表現できないほど嬉しい。最高の日を迎えることができた」とメダル獲得を喜び、「弟たちが自分を励ましてくれた」と語った時、涙声となった。難民の子として過ごした時代を思い出したのだろう。
蛇足だが、準決勝で永瀬貴規がボルチャシビリと対戦していたら面白い試合になったのではないか、と考えている。ボルチャシビリのワイルドとも思えるパワフルな試合展開に永瀬貴規は苦戦したのではないか。
ボルチャシビリがメダルを獲得する前日(26日)、女子柔道57キロ級にオーストリアのベテラン柔道家、サブリナ・フィルツモザー(Sabrina Filzmoser)が出場したが、初戦の相手に一本負けした。41歳のサブリナは東京五輪大会を最後の国際舞台と考えていたのだろう。敗北して道場から出ていく時、跪いて畳に接吻した。日本武道館は全ての柔道家にとって聖地だ。その聖地に感謝し、柔道家としての現役のキャリアを終えたかったのだろう。
サブリナの柔道歴は長い。五輪大会ではメダルを取れなかったが、2005年カイロ、2010年東京で開催された世界柔道選手権で銅メダルを獲得している。オーストリア女子柔道界にとって欠かせない女子柔道家だった。東京五輪では41歳のサブリナは明らかに体力的には劣っていた。勝負の世界は厳しい。サブリナ自身が良く知っていたはずだ。
サブリナは引退後、ネパールやブータンの開発プロジェクトを支援する歩みやヘリコプター操縦士の教育を受けるなど今後の人生のプランを練っている。「柔道家の人生は終わった。新しい人生を再出発していきたい」という。
最後に、この柔道家を紹介せずしてオーストリアの柔道を語ることはできない。同時に、辛い。柔道家ペーター・ザイゼンバッハー(Peter Seisenbacher)という名前を思い出す人がいるかもしれない。1984年のロサンゼルス大会と88年のソウル大会の2回、夏季五輪大会で金メダルを獲得した柔道家だ。オーストリアの夏季五輪史上、2大会連続金メダルを獲得したスポーツ選手はザイゼンバッハー1人だ。文字通り、オーストリアのスポーツ界の英雄だ。同氏の活動に刺激を受け、多くの若い後継者が生まれ、オーストリアは「欧州の柔道王国」と呼ばれるようになった。
ここで話を閉じることができたならばハッピーだが、彼は自身が経営する柔道センターに通っていた2人の少女に対して、性的犯罪を犯したとして2019年12月、禁固5年の判決が言い渡されて、現在服役中だ。
ザイゼンバッハーは柔道家としての成績ばかりか、トレーナーとしての実績も素晴らしい。ザイゼンバッハーは五輪大会後、オーストリアのスポーツ支援協会代表に就任。その後、2010年からグルジア、そして12年からアゼルバイジャンの男子柔道ナショナル・トレーナーとなった。トレーナーとして、両国で多数のメダリストの柔道家を育て上げている。彼はトレーナーの才能もあった。それだけに、残念だった(「金メダリストの柔道家の『犯罪』」2017年1月19日参考)。
このコラムを書いている時、朗報が飛び込んできた。柔道女子70キロ級でミヒェエラ・ポレレス(Michaela Polleres)が28日、銀メダルと取ったのだ。金メダルは新井千鶴が獲得した。それにしてもオーストリアは28日現在、金1、銀1、銅1で最近の夏季五輪大会ではベストの成績だ。銀と銅は柔道家が獲得したことになる。「欧州の柔道王国」オーストリアは柔道の発祥の地で開催された東京夏季五輪大会で蘇った。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年7月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。