一般競争入札と指名競争入札

楠 茂樹

今から30年前の日米構造協議を契機として日本では本格的な「入札改革」が始まった。後に続いたゼネコン汚職は改革の強い追い風となった。公共調達、とりわけ公共工事は不正の温床だという強烈な印象が国民に植え付けられ、「競争を徹底することによって価格を下げる」タイプの改革が絶対視されるようになった。「改革派」としてアピールしたい首長は挙って「競争=既得権益との決別」を強調した。その象徴的な手法が一般競争入札の徹底化である。

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会計法や地方自治法上、公共調達の契約手法は一般競争、指名競争、そして随意契約に分かれており、原則は一般競争である。一般競争、指名競争は「札入れ」(電子入札が普及しているが)行為が伴うので「一般競争入札」「指名競争入札」と呼ばれることが多い。ごく簡単にいえば、一般競争は入札参加資格を有する者であれば誰でも入札に参加できる仕組みであり、指名競争は応札可能業者が発注機関の「指名」によって限定されている仕組みである。随意契約は「それら以外」のものを指すが、一般的に特定の業者を最初から決めて契約を締結するタイプの非競争的なものとして理解される。ただ、企画競争のような競争的なものもある。入札監視委員会の資料等では「競争性のある随意契約」「競争性のない随意契約」などと分類される。

指名競争は随意契約とともに不正・癒着の温床として語られてきた。地方では公共工事や工事関連の業務委託で指名競争が用いられることが多く、指名をめぐる不正の事件がたびたび起こる。例えば、7月30日の北海道新聞は次のように報じている(「官製談合事件 開発局は不正の根絶を」)。

道警は旭川開建士別道路事務所発注の国道補修工事の設計業務を巡り、札幌市内のコンサルタント会社に意図的に落札させたとして前所長を官製談合防止法違反(入札妨害)などの疑いで逮捕した。

具体的な逮捕容疑は、「前所長が在任中の指名競争入札で非公表の指名業者の予定案を会社の社長に漏らした。前所長は社長の依頼に応じ、特定の業者を指名業者から外して社長の会社に落札させた」ということだ。同記事は「開発局は工事について原則として一般競争入札を実施している。談合を防ぐには当然の措置だ」としている。

一般競争が談合の抑止になるという主張は、一般論としてはその通りだ。ただ、条件による。一般競争の仕組み次第では指名競争と変わらない状況を作ることができるし、意図的に一者応札の構造を作ることもできる。入札参加資格や技術仕様等を操作すればそれが可能だからだ。あるいは一般競争であっても、緊急性を強調して提案型の総合評価方式なのにも拘らず異常に短い公告期間を設定したり、その総合評価方式における非価格点を操作したりして、特定の業者を意図的に有利にすることも可能である。つまり、「一般競争を利用したから安心」というわけには決して行かないのである。公共契約における不正が疑われたケースでしばしばなされる、「一般競争を利用しているので問題ない」という回答には全く説得力がない。

指名競争はなぜ用いられるか。会計法や地方自治法には指名競争が可能な場面が定められているが、総じていえば、最初から契約業者として相応しい業者が一定数に絞り込まれている場合、コストと時間のかかる一般競争に見合うだけの契約規模に至っていない場合に手続の効率性を高めようという意図がそこにはある。発注機関の本音は、法令上の要請を受けてそうしているのではなく、単に「安心できる業者」を囲い込んでおきたいというところにあるのだろう。一歩進めて、特定のメンバーに応札業者を固定化させることで「業界の安定を図る」という思惑があることも、あるだろう。その発想がさらにもう一歩進むと、それは談合ということになる。「業界の安定を図る」ことと「激しい価格競争に至る」こととは両立しないからだ。最近では予定価格に近い水準で最低制限価格が設定されることが多く、最低制限価格付近での競い合いのケースも目立っている。非談合型の業界安定の手法(本来は品質確保のための手法だが)だが、最低制限価格の漏洩事件という違うタイプの入札不正を頻発化させているものでもある。これは一般競争にも指名競争にも共通する問題である。

指名競争には多くの問題がある。それは事実である。しかし一般競争にも多くの問題がある。この点はもっと強調されてよい。「しないよりまだまし」という反論もあるだろうが、「体裁を作ってお終い」という対応こそが、コンプライアンス上、最も深刻な問題を招くのではなかろうか。重要なのは形式ではなく実質である。ただ、その実質が(落札率で表現される)価格の低下「だけ」で評価されるものであるならば私は反対である。そのような「価格偏重のものの見方」が今でも世論には根強いが、2005年に制定され、二度の改正を経て今に至る公共工事品質確保法の趣旨は何なのかを改めて問い直す必要があるだろう。

問題は単純ではない。問題の単純化(「問題の一部だけを恣意的に切り取って白黒を付けようとする議論」と言い換えてもよい)は世論の操作には有効だが政策を誤らせるリスクを伴う。「指名か一般か」の議論はその一つの典型例といえよう