コロナリスクを過大評価する「専門家」の暴走は社会を破壊する

卑近な話から入って恐縮だが、筆者は荒川稔久氏のファンである。『仮面ライダークウガ』のようなハードコアな作品から『人生相談テレビアニメーション「人生」』のようなライトな作品まで幅広い作風の物語を自在に紡ぎあげ、なおかつ物語の質を上げる様々な技巧を惜しみなく出すその姿勢は見事としか言いようがない。

さて、荒川稔久氏は名古屋市で開かれる、岐阜・多治見市の地域振興を目的としたアニメ『やくならマグカップも』関連のイベントに登壇するという。

『やくならマグカップも』に関する個人の感想としては、非常に丁寧かつ繊細な物語であり好感が持てた。『快傑ズバット』などの小ネタが楽しかった8話が一番好きである。

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本題に入ろう。筆者の居住地(東京・江戸川区)から名古屋まで移動してイベントで荒川稔久氏の話を聴講することは、”他者の権利を侵害しない限り”という留保はつくものの、基本的に憲法で定められた移動の自由によって保障されている。実際に移動の自由を保障・拡大するために、戦後一貫して交通網の整備が全国津々浦々で行われた。一方で現在、移動の自由に対する攻撃も起きている。攻撃しているのは主に一部医療関係者が中心である。彼らは感染症対策を名目に、感染症拡大を抑止するためなら個人の自由を縛るべきというある種のパターナリズムに基づく攻撃を行っている。自由や権利を何よりも重んじるはずの一部野党(立憲民主党・共産党など)も、なぜか今回の感染症拡大においては数十万円程度のはした金とバーターで自由を売り渡すことを是認している。平時には「自由」「人権」といった美辞麗句を弄する野党も、結局は国民の自由は数十万円程度の価値しかないと思っているのである。

確かに感染により重篤な症状を引き起こす病気(例えばH5N1型のインフルエンザウイルス)であるなら、移動の自由を制約するのもやむを得ないかもしれない。一方で昨今騒ぎになっている感染症、つまりは新型コロナが重篤な症状を引き起こす可能性はかなり低い。例えば8月5日時点での東京都での新規感染者数は5042人だが、5日時点での重症者数は135人、死者に至っては1人である。感染者数だけ見ると危機的状況に感じるかもしれないが、その実態を子細に確認すると危険が過大評価されているといっても過言ではない。

過大評価された「危険」をもとに国民の自由を侵害することは絶対にあってはならないことだが、そういう事例はこれが初めてではない。例えば福島原発事故の際も、ほぼ存在しないリスクを針小棒大に扱った結果、住みたい土地から強制的に移住させられた被害者がたくさん出た。その責任をとるのは東京電力ではなく、些末なリスクをもとに政治的判断を誤った当時の民主党政権であり、誤った情報を流して混乱と不安を招いた一部「専門家」であるはずだ。しかし彼らは一切責任を取ることなく、その罪を東京電力に押し付け遁走した。今もなお、民主党の手で「作られた」被害者は今もなお塗炭の苦しみを味わっている。そして「専門家」や下野した旧民主党系の政党は些末なリスクを針小棒大に扱い続け、事態の悪化を招いている。

そして今回のコロナである。幸い菅政権は今回の状況を冷静に分析し対処しているが、一部「専門家」の暴走はとどまるところを知らず、都市封鎖など強権的な国民弾圧を行うべきという話まで飛び出す惨状である。そうなれば完全に福島事故の轍を踏み、新型コロナとは比較にならないほどの深刻なダメージを社会に与えることになる。

こういう発言が行われる背景としては、リスク評価の錯誤やたこつぼ化した集団内(この場合は専門家集団)では極端な意見に誘導されやすいということも考えられる。それに加え筆者の仮説だが、コロナ対策の初動で安倍政権が専門家集団の言いなりになってしまったことで「国民を恣意なるままに統制する」という激烈な快感情を伴う行為を「学習」してしまい、その快感情が忘れられずにその後も国民の自由を軽視し統制を正当化する言辞を繰り返している可能性もある。実はそういう感情は、筆者含め誰しも持っているものである。そうでなければ『シムシティ』や『トロピコ』のような市民・国民を統制する内容のビデオゲームがここまで隆盛することはない。そういう欲望が指摘空間の仮想現実で代償的に満たされるなら無害なままで終わるが、そういう欲望に政治がかたちを与えてしまうと歯止めがきかなくなってしまう。そういう点において、安倍政権の初動対応は非難に値するものだと考えられるし、今回の専門家の暴走もある意味では安倍政権の負の遺産といえるだろう。

もちろん旧民主党系の政党や安倍政権が犯した罪に対しては徹底的に追及されるべきだと考えるが、今速やかになすべきことは専門家による国民統制を政治の手で食いとどめ、国民の自由と権利を死守することである。それを怠り国民統制という快楽の奴隷になった専門家の犬に成り下がり、些末なリスクを針小棒大に扱い、国民の自由を踏みにじる政治勢力は絶対に許してはならない。国民も数値で表されるデータをもとに新型コロナは本当に私権を制約すべきレベルのリスクかを判断してほしい。もし私権を制約すべきリスクでないと判断したなら、季節性インフルエンザと同等の感染対策を取りつつも、国民統制を是とする政治勢力の世迷言に右顧左眄することなく、国民の持つ自由や権利を堂々と行使してほしいと思う。筆者はその自由を行使し、荒川稔久氏に会いたいと思う。