名古屋の河村市長 五輪ソフト選手の金メダル突然かじる:朝日新聞デジタル
 河村たかし・名古屋市長が4日、東京五輪ソフトボールで金メダルを獲得した後藤希友(みう)投手(20)の表敬訪問を受けた際、メダルをかじるパフォーマンスをした。この行為に対して、市役所には苦情電話が殺到…

河村たかしの言動は言語道断である。1日に4000件をこえる抗議があったという。あいちトリエンナーレを上回る規模ではないか。朝日新聞デジタルのコメント欄に私の想いを書き綴ったので、ご覧頂きたい。一部を引用する。

河村たかしに怒りの剛速球を。千種区今池3丁目に2年間住んだ元名古屋市民として、私はいま、最高に怒り、悲しんでいる。この河村たかしの言動には、五輪選手や市民の気持ちなど歯牙にもかけない傲慢さがにじみ出ている。「最大の愛情表現」とは思い上がりもいいところだ。26年前に「同情するなら金をくれ」と少女が叫ぶドラマが流行したが、スポーツや文化により予算を注ぐことこそ、市長としての最大の愛情表現ではないか。相手のことを考えない愛情表現ほど面倒くさく、迷惑なことはないのである。

この光景こそが、アスリートやスポーツが弱い立場にあることを可視化していないか。お手柄の私物化そのものではないか。オリンピアンを、メダリストをリスペクトしてそうで、見下していないか。スポーツを私物化していないか。

この記述に泣いてしまった。「後藤投手は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに笑顔で応じた。」大人の対応とする人もいるだろう。ただ、この記述そのもので、私は塩村あやか参議院議員への、都議時代のセクハラやじ事件を思いだしてしまった。このことを書くことで不愉快になる人もいるだろう。書こうかどうか迷ったが、そのときの光景と重なるものがあり、世の中は前に進んでいるのかどうか悲しくなった。

もっとも、被害者である後藤選手に対して、何かを要望するのは筋違いだと思うものの、ここで断固としてNOを突きつけてほしかった。河村たかしに、怒りの剛速球的な怒りを投げつけてほしかった。

朝日新聞読者諸君!いまこそ憤激の拳をふりあげよ!怒りのマグマを煮えたぎらせよ!この蛮行を絶対にゆるすな!戦闘的大爆発をかちとれ!

もっとも、ここの中でもふれたが。ここで、私のモヤモヤを書き綴る。何度も言うように、河村たかしの言動は言語道断であり、皮肉なことに「右よりの人」と目される彼が、日本の「品格」の問題を世界に発信しているわけだが。私は、アスリートがメダルをかじる行為に強く疑問を抱いている。

名古屋 河村市長 ソフトボールの金メダルかみ NHKより

初のメダルかじりは、1988年ソウル五輪でのオーストラリア水泳選手だと言われている。日本では2000年に高橋尚子さんによるものがブレークのポイントだったのでは、と。その後、選手がメダルをかじる様子はNHKなどでも取り上げられ、ごく普通の光景になった。五輪らしい光景そのものだとも捉える人もいるだろう。

たとえ、自身が獲得したメダルであっても、下品ではないか。それこそ、愛情表現や、勝利を表現したものなのかもしれないが。そして、河村に対する批判にあったとおり、不衛生であり、メダルが傷つくリスクもある。中には噛んでる風の人もいるが、それでも下品だ。これは選手が自ら「将来、メダルを獲ったら、かじろう」と思っているだけでなく、メディアが仕向けている側面もあるのではないか。

その点、プロレス・格闘技は上品だ。ヒールレスラーでも、腰に巻く、肩にかける、掲げるくらいだ。たまに、頬ずり、キスはいるが。中には一時の内藤哲也選手のように投げつける人もおり、それはいかがなものかと思うのだが。

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五輪関連でいうと、「常見選手、銀以上確定」「中川選手、銅以上確定」という表現も苦手だ。いや、間違ってはいないし、スマホ時代に、簡潔に結果を知りたいというニーズもあるだろう。穿った見方をすると、国民の気持ちをあげよう(コロナからそらそう)という意図が見え隠れするのだが。結果がすべてかよ、と。「○○に勝利、準決勝進出」くらいに書いてほしい。

五輪はもうすぐ終わる。平熱体質で、淡々と何が起こったかを捉え、考えたい。


編集部より:この記事は千葉商科大学准教授、常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2021年8月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。