オリンピック開催に反対していたマスメディアが、オリンピック報道に熱を上げているのは商業主義的すぎる、と揶揄されている。
しかし、メディア関係者は、全く同じメンタリティで、新型コロナとオリンピックの報道を続けているにすぎない。
「過去最高の日本の感染者数!」
「過去最高の日本の金メダル!」
「日本のお粗末な新型コロナ対策!」
「日本のお粗末なオリンピック運営!」
といった見出しを付けている人物が、全部同じであったとしても、違和感はない。要するに、その日に入ってきた情報で、その日の記事を最も盛り上がる見出しで作ることが重要なので、選定する内容はもちろん、見出しの妥当性などは、特に重要なことではないのである。
そうだとすれば、情報を受け止める側が、最低限のリテラシーをもって情報を吸収しなければならない、と思うしかない。
ただ、そこでさらに厄介なのは、SNSなどを通じた、いわゆる「専門家」たちの発信内容も、全面的に信じていいものである保証はないことだ。SNSでは特に、進行形の相互チェックのプロセスをへて情報の質が高まっていくことを、参加者がよく理解していく必要がある。
たとえば、SNSで盛んに発信しているので、私の目にも入ったデータサイエンティストの方の場合、7月31日に、東京の一日当たり新規陽性者数は「来週5000名に到達するのはほぼ確実」とツィッターで発信した。しかし、実際には、その一週間後の8月7日、この人物が通常行っている二階差分トレンドの推定値でも、5,000人には到達しなかった。
本日の東京都の報告数は4058名、二階差分トレンドの直近7日間の推定値は2060, 2290, 2540, 2840, 3150, 3500, 3870、7日周期成分の推定値は-68, -364, 39, 153, 263, -36.5, 39、トレンドの直近3日間の差分値は319, 343, 369。来週5000名に到達するのはほぼ確実と見て良さそうhttps://t.co/sYQX4C4ydd pic.twitter.com/pofTyNrJ5c
— TJO (@TJO_datasci) July 31, 2021
木曜日に瞬間風速で5,042人の新規陽性者が出たときには、「西浦さんの勝ち」といった煽り系の表現でツィートしていた。しかし、ただ一日でも5,000人に到達した日があればそれで「勝ち」「負け」が決まるといった走り幅跳びの採点方式のような話でいいのであれば、お茶の間の素人の誰でもテレビを観ながら簡単にできる。データサイエンティストは用なしになるのではないか。
8月7日時点で、東京都の一日当たり新規陽性者数は、7日移動平均で、3,893人である。私自身は、新規陽性者数を、7日移動平均以外の言い方で表現したことはない。曜日の偏差があるのは織り込み済だし、一日一日のムラがあることも当然なので、統計処理をする際には移動平均値をとるのは普通だ。一週間単位の業務サイクルを持つ公の機関が数値発表をする各国共通の事情のため、7日移動平均は、新型コロナの国際的な数値理解において世界各国で広範に用いられている。
東京都の新型コロナウイルス感染症医療アドバイザーを務める国立国際医療研究センター病院の大曲貴夫医師も、いつも7日移動平均で都内の感染状況を語っている。この言い方がよほど気に入らない場合には使うのを拒絶したくなるのかもしれないが、本来、建設的な議論をするためには、普通の言い方にあわせたうえで、評価をめぐる意見を戦わせるべきだ。ところが日本では、マスコミが一日一日の報告数値で盛り上がれるかだけにしか関心がなく、多くの「専門家」が独自の指標を使ってみたりしながら、マスコミ好みの予測をしてみて「勝った」「当たった」を叫んだりするだけと支離滅裂であったりするため、未だに一貫性のある形で建設的なデータ評価の議論が行われている形跡がない。
8月5日、大曲医師が8月18日には1万909人の新規陽性者が出ると予言したかのような記事が、各メディアで大きく取り上げられた。
ただそれは、8月5日時点の前週比の増加率が2週間続く仮定の計算をしてみた場合にはそうなる、ということだけの話である。何かニュース性のあるような内容ではない。単なる計算の話である。実際には、増加率が2週間固定される、という現象は、稀にしか起きない。
本当に重要なのは、増加率の増減の変動を冷静に観察したうえで、短中長期のトレンドを考えることだ。
現在、日本では、以前と比して、新規陽性者数に対して重症者数や死者数が抑え込まれている。それをふまえたうえで、なお新規陽性者数を見るのは、いずれにせよ新規陽性者数が重症者数と死者数の先行指標だからだ。割合は変わっても、新規陽性者が増えれば、必ず重症者数と死者数も増える傾向が一か月程度以内に現れてくる。それを予測することは、医療体制の充実などを図る政策的措置をとるために、極めて重要だ。
日本では、新規陽性者数が語られるのは、「途方もなく深刻で悲惨な事態が起こっている!皆さん、恐怖におののいて、震えあがって一歩も家から出れなくなってください、そして家でオリンピックを見て楽しむか、菅首相辞めろと叫んで憂さ晴らしをするかしかできなくなってください!」というメッセージを送るためである。
しかし、本来は、新規陽性者数の観察とは、もっと冷静に行い、将来の政策に活かしていくために行うものなのである。
東京都の新規陽性者数の増加は、7月の最終週で急激な上昇を見せた後、7月31日をピークにして、スピードを減速させている。
本来であれば、この現象の要因分析にエネルギーを注がなければならない。だが、「一人の生命も軽視するな」、「デルタ株の恐ろしさを過小評価するな」、「俺が勝った」、「あいつは馬鹿」といった感情論とマウント合戦で、全く建設的な議論が行われていない。議論をさらにいっそう不毛にするために、様々な怪しい「専門家」が闊歩している。非常に残念な事態である。
現在の日本の混乱に、政治家の責任も大きいだろう。だが、言論人の責任も大きい、と考えざるを得ない。