IOCとバッハ会長の献身的努力に感謝すべき

コロナ渦のなかで開かれた東京五輪は、大きな混乱もなく大成功だった(パラリンピックはこれからだが)。東京五輪組織委員会の皆さんをはじめ関係者の素晴らしい仕事を称賛したい。また、IOCとバッハ会長の献身的努力と忍耐に感謝すべきだ。

トーマス・バッハ会長 NHKより

多くがさまざまな組織からの出向者である組織委員会の人々は、一年間の延期によって本来の職場の人事の流れからはずれて個人的にも辛い思いをしただろうし、国民世論なるものからの誹謗中傷にさらされてモチベーションを保つのも難しかったかと思うが難しい仕事を完遂してくれた。

IOCについては、もちろん、彼らがアスリート・ファーストが他の利害と対立することはあったが、それは立場の違いであり批判すべきものでない。

IOCはほかの国際機関と同様の問題を抱えている。また、モントリオール五輪の財政破綻への反省から生まれた商業化には光も影もある。

いま、かつての貴族的で名誉だけを求めたブランデージ会長の時代のような組織のあり方を求めるのは非現実的である。バッハ会長にしても、慈善事業でこの仕事をしているわけでないし個人的な野心もあろうが、競技団体、さまざまな国や組織の利害を調整し、ビジネスとして五輪を成功させねばならないのだから、聖人君子タイプであってはこの仕事をできるわけないだろう。

そういう条件のなかで、必要以上に情緒的な「世論」に振り回され、さらに、組織委員会が自分たちもその無理を分かりつつも傾きがちな日本的な組織の論理、国際的な常識の欠如、官僚主義、減点主義、前例主義、何事も事前に予定して臨機応変の対応を否定する仕事に付き合うのも大変だったと思う。

あるいは、日本人や日本国内のイベントにも適用されないような過度の規制を日本側から理不尽に要求され、それが組織委員会だけでなくIOCにとっても巨大な損失に結びついてもアスリート第一主義で、開催できればということで我慢してきたことに敬意を表したいし、日本人として申し訳なく思う。

IOCを商業主義的だと批判する日本人は多いが、五輪には巨大な事業という側面があるのだから、ビジネスとしての合理性に正当な関心を払わない日本側の採算度外視の気まぐれに付き合わされて誠に気の毒だった。

とくに、「世論が承知しない」という言葉がよく使われたが、開催は国際的な約束であり、それを変更するのは客観的な状況であって世論は理由にならないはずだが、よく切れずに我慢してくれたと思う。

また、ワクチンをめぐる世界的な常識が無視されたのも残念だ。世界的な流れは、ワクチンや頻繁な検査をすれば入国規制も行動規制も緩和するものだ。その条件に合う選手や関係者にまでコンディション維持に影響を及ぼすような過度の隔離などをしたのは不適切だった。

また、無観客開催は選手にも失礼だし、祝祭的雰囲気の欠如は放送などを通じた世界的関心を減退させ、今後の五輪運動にとっても少なからず打撃を与えたと思う。私はワクチン接種者や24時間ないし48時間内のPCR検査者で陰性だった観客を入れてなんの問題もなかったと思う。

それは、これからの国内イベントにおいて同様の措置を取る場合の貴重な実験となったはずだ。

さらに、バッハ会長が天皇陛下と並ばれたとかいうのが、不敬であるという非常識な批判もあったが、写真を見る限り、いずれも、ロンドン五輪におけるエリザベス女王とバッハ会長のあいだのプロコールを尊重しており、それを不敬というのは、無知のなせる論でしかないことも付け加えたい。