小田急切りつけ男の頭の中:パラノイア感の時代?

小田急線と言えば、新宿駅南口から世田谷区、狛江市、川崎市の多摩区、麻生区などを経て湘南の風が香る藤沢や箱根の玄関でもある小田原に延びる路線です。筆者も学生時代は沿線に住み、役者とミュージシャンの町である下北沢や高級住宅が並ぶ成城、そして多摩川の風が心地よい和泉多摩川の雰囲気を満喫したものです。数ある路線の中でも都会の喧騒から離れたのどかなイメージ、品の良いイメージ、そして文化の香りが漂う人気路線の一つと言えるでしょう。

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ですが、2021年8月6日、その車内が惨劇の現場になります。世田谷区を走行中に自称派遣社員の対馬悠介容疑者(36)(殺人未遂容疑で逮捕)が、刃物で乗客を切りつけて回ったのです。

最初に襲われた女子大学生(20)はかなり執拗に切りつけられたようです。刃渡り20センチの牛刀で背中や胸など7カ所も…。対馬容疑者の明らかな殺意が伝わってきます。被害女性の恐怖、抵抗できない絶望感、想像してみると…。背筋が凍るような思いになるのは私だけではないでしょう。

この他、4人が切りつけられ、6人が転倒などで負傷しました。対馬容疑者は一体何を望んで多くの人に危害を加えようとしたのでしょうか。対馬容疑者に対する憤りを禁じえません。対馬容疑者、彼は何者なのでしょうか?心理学的に考えてみましょう。

対馬容疑者の頭の中はパラノイア感

ネット上では対馬容疑者の素性や反省を探る動きも多いようですが、対馬容疑者の頭の中を表すキーワードとして、私は「パラノイア感(Bodner&Mikulincer,1998:杉山,2018)」を挙げたいと思います。パラノイア感とは「自分が蔑ろにされる境遇にある」と感じることで、「他者からの悪意に過敏になる」状態です。あまり一般には知られていない心理学用語ですが、欧米では古くから「カモフラージュされたうつ病」として研究が進み、日本では私・杉山が研究しています。

「何でも人のせい」にできるパラノイア感

パラノイア感について少し説明させて下さい。まず、「蔑ろにされる境遇」について自分を責めるとどうなるでしょうか?苦しいですよね。この苦しさは「抑うつ感」と呼ばれ、うつ病の素になるものです。

抑うつ感は心の痛みが強く、また心身ともに疲れ果てさせ、とにかく非常に苦しいです。そこで、私たちは無意識的にこれを回避しようとします。

ここで「蔑ろにされる」理由を人のせいにすれば、言い換えれば「何でもかんでも人のせい」にできたら、どれだけ気が楽になるか…。自分を責めた経験がある方ならお察しいただけるでしょう。苦悩に耐える力が弱い子どももこのようになりがちですが、成人でもこの「気が楽になる感じ」が癖になることで慢性的なパラノイア感に陥るのです。

なぜ、女性に逆恨みを?何でも人のせいに?

私から見ると、対馬容疑者の事件直前の行動や供述にはパラノイア感の特徴が見て取れます。まず、女子大学生を襲った理由について、大学のサークルや出会い系で出会った女性に無碍にされた経験があり、「勝ち組っぽい女性」への復讐というニュアンスを語っているようです。女性や幸せそうな人たちへの歪んだ劣等感や恨み、敵意も述べられているようです。

また、事件直前には新宿区のコンビニで酒を盗み、輸入食品店でつまみ類を万引して警察の厄介になっています。ここで、警察に連れられて帰宅した後、万引を通報した女性店員への報復のために凶器を持ち小田急線に乗り込んでいます。結果的に、食品店ではなく車内で凶行に及んだわけですが、盗みや万引への反省の色は微塵も感じられません。全てを人のせいにしているように見えるのは私だけではないでしょう。

抑うつ感に耐えられなかった?コロナ禍の影響は?

さらに、凶器となった牛刀は2年前に自殺するために購入したと述べているようです。自殺を考える背景の多くは、極めて重たい抑うつ感に苦しむ経験があります。自身の境遇について、相当苦しんだ時期もあったようです。しかし、何かのきっかけで人のせいにすることが癖になり、パラノイア感を強めて今回の凶行に及んだのでしょう。

なお、対馬容疑者は善悪の区別がつかない意識状態にも陥っていたようです。これはコロナ禍の影響で仕事を失いやすい派遣・バイトという立場も影響していたのかもしれません。社会との接点が狭まると、社会的な善悪の枠組みを見失いやすいからです。

また、脳がコロナ禍に翻弄される日々に悲鳴を挙げていたのかもしれません。被害者に耐え難い恐怖や絶望感を与えた対馬容疑者の行為は許しがたいものですが、コロナ禍の社会的影響が拡大する中、防ぐ施策はなかったか検証する試みも必要かもしれません。コロナ禍が続く中、模倣犯を含めて第2第3の事件が起こることも心配です。

パラノイア感の時代へ

さて、このように対馬容疑者の頭の中はパラノイア感に支配されていた可能性が考えられるわけですが、今後、パラノイア感に支配される人は増えるのでしょうか?

実は私がこの概念に注目し研究を始めたのは理由があります。日本では1980年から「うつ病の時代(大原,1981)」と言われはじめました。実際に1990年代から2000年代にかけて精神科ではうつ病の受診が大きく増えました。

しかし、2000年代後半の格差社会の進展の中で不遇な立場に追い込まれる人が増えました。格差社会という社会病理を反映した不遇なので、人のせいにできてしまいます。そこで、2005年に嫉妬や羨望にとらわれる人が増えて、時代を反映する精神病理がうつ病からパラノイア感にシフトするのではないかと予想しました(杉山,2005)。

現在、社会には多くの不満が渦巻いています。コロナ禍で不満の矛先は様々な方向に分岐している面もありますが、格差社会が放置され、そのしわ寄せが派遣労働者などいわゆる非正規雇用とされる方々に集中しているのが実態です。むしろ、ますます酷くなっています。対馬容疑者の事件だけで結論づけることはできませんが、私の悪い予想が当たりそうな予感がしてしまいます。

「うつ病の時代」もある意味で魂の地獄とも呼べる時代ですが、仮に「パラノイア感の時代」が本当に来てしまったら…。他者を害する、貶める、陥れる、といった行為が横行するという、また別の意味での地獄を招きます。

今回は無計画な単独犯でしたが、パラノイア感でつながった人々が徒党を組んで組織的、計画的な他害行為を行ったとしたら、そしてそれが法の盲点を突いた現代司法では裁けない何かだとしたら…。考えるだけで恐ろしいですね。この問題は単に対馬容疑者の問題と片付けるのではなく、社会的な問題として広く共有する必要があると言えるでしょう。

参考文献
Bodner, E., & Mikulincer, M. (1998). Learned Helplessness and the Occurence of Depressive-Like and Paranoid-Like Responses: The Role of Attentional Focus. Journal of Personality and Social Psychology, 74, 1010-1023.
大原健士郎(1981)うつ病の時代,講談社現代.
杉山崇(2005)社会階層の分断化とキャリア発達カウンセリング,山梨英和大学紀要4, 1-15.
杉山崇(2018)心理学研究におけるパラノイア感・抑うつ感の定義と測定尺度の作成,心理相談研究 9, 1-11.

杉山崇(脳心理科学者・神奈川大学教授)
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