失われつつある科学への信頼を取り戻すには --- 宮本 優

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前回の投稿では経験知の活用を呼びかけました。もっと平たく言えば「当たらない理論よりも経験論的な予測のほうが遥かに期待できる」という話です。前回書いた中身は大変稚拙なもので、中学生や高校生であっても十分に理解できますし、考え付くものでした。これは言葉でいうと「実効再生産数は何か人為的な操作をしない限り一定の数値を示すべきなのに、何故増えたり減ったりするのかを説明していない」という基本的な問題点です。非常事態宣言によって減少したと言いたいのでしょうけれど、タイミングがどう見ても合わない事例が多すぎるとも言及しました。

数理モデルで感染症を扱う方でもし読んだ人が居られれば「そんな簡単なもんじゃないんだよ」とか言ってるだろうなと思います。もちろん前回書いたように私は全くの素人ですから根本的に分かっていない部分がおそらくあります。でもそれならそれで、パラメータ合わせではないシンプルな基本モデルは当然あり、その紹介くらいはあるはずなんです。そして私はそれを見たことはありません。ではメカニズムが分からなければ我々は何もできないか、というとそんなことはないんですね。物理の世界でも、モデルが提示できない現象は多いです。その場合は経験論としてデータを積み上げ、どのファクターが一番効いているか、といった考察をします。また経験論的な予測もできます。その結果を見て良いモデルを打ち立てられないか理論家が考えるというキャッチボールが常に行われます。

経験知としては前回にも書いたように、ワクチンの種類が違いますが、やはりイギリスの例が参考になると思います。イギリスはすでにワクチンを打ち終わった、と言える状況ですが、新規陽性者数と死者数の推移は下図に示す通りです。上段が死者数、下段が陽性者数です。この1年半ほどの間に繰り返された数回の感染拡大における死者数と陽性者数の鮮やかな対比は、色々の示唆に富んでいます。直近のピークの違いはワクチンの接種の有無から来るのでしょうから、日本もこの先こうなるとすればコロナはもはや、死ぬ死なないの問題からいかに悪化させないか、という段階に移ったと言えるでしょう。となれば、第5類に指定変更して医療資源の配分をドンドン出てくる罹って間もない人に振り分け、入院までしないで済む医療体制づくりが求められます。こんなの誰でもそう思いますよね。

図表はhttps://coronavirus.data.gov.uk/からの引用

指定変更、聞く耳持ってくれない人は多いでしょうが、多少不謹慎なのは許して頂くとして、現在の爆発的な陽性者の増加(でも悪化する人はこれまでと同じか、より少ない)を圧力として利用し、一気に政令なりで5類相当にしてしまうのが一番良いと思います。費用など(とくに有望とされる抗体カクテル療法の取り扱い)に関することは当座は適切かつ柔軟にお手当てして、とにかく出来るだけ早くただの風邪と皆が感じられる状況に達するべきでしょう。まずは悪夢から覚めないと。そして、個人的にはもうその流れに乗りかかっている気がしますので期待しています。大反省会は必ず各分野で将来行うこととして、いまは皆で最善の道を最速で歩むほうに努力しませんか。

さて、ここでややコロナから外れますが、私が一番憂慮しているのは今回の出来事で科学が非常に大きい痛手を負ったことです。当初、専門家からの判断や予測は信頼され、それが一般生活に大きな影響を与えるものであっても適用されました。クラスター対策が的を射たものであったのも、その信頼感を強めたと思います。しかし、その後の判断や予測はあまり的確ではなく、一般の国民もその結果から、あまり正しい判断だったと感じていないでしょう。思考過程を示さず結果だけを提示し、そしてそれが当たらない。この期に及んでも同様の政策判断しかしないようであれば、もはや多くの人はそれには従わないでしょう。当然ですよね。そして科学に対する不信感だけが残ります。

同様の例に東日本大震災での原発事故が挙げられます、震災前の2009年に産業技術総合研究所の研究者が経産省の審議会という公式の場で、かつて想定をはるかに超える津波が押し寄せた証拠(予測ではなく証拠)を突きつけて対策を迫ったのに、経済的な判断で無視されました。丘の上の非常用自家発電施設との連結さえ行っていれば、福島第2原発のようにたとえギリギリの状況まで進んでも何とか踏みとどまれた可能性は高かったでしょう。

まずは科学的な判断が軽んじられ、加えてその後に起きた莫大な被害が科学技術に対する信頼を毀損しました。私もそこに含まれますが、原資が税金である研究は、社会に対する貢献や還元を問われます。科学技術に対する不信感はその大きな障害となります。同じ失敗が今回のコロナでも起きたと思われます。

科学的な思考とは、どうしても恣意的な判断やミスを犯してしまう人間をサポートし、いかに正しい道を導けるかという方法論です。温暖化に関する議論にも同じような構図が見られますが、あいつらはバカだ、これは陰謀だ、というような極端な二派に分かれてしまって、肝心の真実を追求する姿勢が失われていることが多いです。コロナ騒動はその流れをより強めてしまっている気がして憂鬱です。

科学に対する信頼を取り戻すために、まずはコロナに対して正しいアプローチをとり、目に見える成果を得なければならないでしょう。

宮本 優
固体物理の研究者(実験系)、みなし公務員。
趣味はピアノ演奏とラジコン。