イスラム教を世界史の中で理解する~戦前篇

八幡 和郎

アフガニスタンを巡る混乱は、CNNにまでチェンバレンのミュンヘン協定以来の失敗と言われては民主党の大統領としても救われない。

rzdeb/iStock

イギリス労働党はカブール陥落を『スエズ動乱以来の失態』と政府を批判。欧米社会の動揺の激しさを日本人は理解していない。英米などは自分たちの協力者や地獄の思いをする女性ジャーナリストや芸能人なども置き去りにして逃げ出した。これは世界史的事件かもしれない。

そこで、この問題を理解するために、新刊「365日でわかる日本史」の姉妹編、「365日でわかる世界史』(清談社)からイスラム教の歴史について書いた部分を抜き出し、再編集してお届けする。

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イスラム世界の誕生からオスマン帝国の滅亡まで

三大宗教のうちイスラム教は、ムハンマド自身が強力な宗教国家をアラビア半島に創り上げた。そのために、政治や法律を含む社会のあり方に、より強力な影響をあたえることができ、キリスト教も強力なライバルの出現への対応を迫られたが、それをめぐる温度差で東西の教会が分裂することになった。

イスラム教出現の前史はササン朝ペルシャの隆盛である。ローマ帝国は一時期にはメソポタミアまで版図に入れたが、少し無理があるのでトラヤヌス帝は撤退した。そのあとに三世紀になって強力な帝国を築いたのは、ゾロアスター教を国教とするササン朝ペルシャである。

降服するウァレリアヌス帝らと騎乗のシャープール1世。ナクシェ・ロスタムの磨崖像
出典:Wikipedia

一方、ローマ帝国では313年にコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認し、首都をコンスタンチノープルに移して東方対策を強化し、ササン朝ペルシャと死闘を繰り広げ、ローマ皇帝が捕虜になったこともある。そして、六世紀にはササン朝ペルシャとローマ法大全をまとめたユスティニアヌス大帝を出した東ローマ帝国がいずれも全盛を迎えた。

しかし、ササン朝ペルシャでは、マニ教などの試みはあったが、古い宗教から脱皮できなかった。この両帝国の対立でシルクロードが機能不全となるなかで栄えたアラビア半島からキリスト教の改良版というべき新宗教をもって現れたのがムハンマドで622年にメディナに聖遷(ヒジュラ)し、実質上のイスラム国家を建国した。

このイスラム帝国は651年にササン朝ペルシャを滅ぼし、あっという間に地中海の南側を進みイベリア半島まで手に入れた。東ローマ帝国はコンスタンチノープルを死守したが、イスラム教対策として偶像禁止など純化路線に傾かざるをえなかった。

このことは西ヨーロッパの土俗信仰と融合しながら現実路線を歩んでフランク王国と協力しながら西ヨーロッパの秩序維持を進めていたローマ教会と相容れるところでなく、教会の東西分裂を招いた。

また、この時期にスペインから北上するイスラム勢力を東ローマ帝国に頼ることなく撃退したカロリング家からカール大帝が出て西ヨーロッパの再建が始まる。

イスラム教は仏教やキリスト教以上に国際性があり、さらに、政治、社会、日常生活の規範となるものを具体的に備えていた。国家というものが成立してないところでも、イスラム教の流入によって宗教的な権威を持った君主のもとではじめて国家が出来るのである。ただし、一方では、中世社会の温存につながる宿命でもあった。

大航海時代がなぜ始まったかは、いろんな誤解がある。そもそもの動機は何かというと、イベリア半島をイスラム勢力から取り戻そうというレコンキスタ(国土回復運動)の一環として、ポルトガルがアフリカに進出したことだ。ポルトガルは1488年に喜望峰、1498年にはインドに達して貿易を独占した。

スペインは、アフリカでおくれをとったので、西回りでインドを目指そうとしたところ、コロンブスがたまたまアメリカ大陸を発見した。しかも、多くの銀山を開発してヨーロッパ経済への支配を強めた。スペイン人は、新大陸の資源を手に入れただけでなく、新大陸の各地とほかのヨーロッパ諸国の貿易を禁止して交易も独占しようとした。

これと同じ時代に、中央アジアから起こったテュルク族が1453年にコンスタンティノープルを陥落させてオスマン帝国を建国し、サラセン帝国と東ローマ帝国に代わる東地中海の支配者となった。

オスマン帝国の領土拡大 出典:Wikipedia

しかし、シルクロードをトルコ人に押さえられたから、かわりのオリエントへの道を求めたというのも、事実ではない。イタリアの商人たちにとってオスマン帝国がとくに面倒な支配者であったことはない。シルクロードが廃れたのは大航海時代の結果である。

そのころ十字軍の活動を経済的に支え、ヨーロッパの金融を支え、毛織物など新しい産業も起きたイタリアでは、ルネサンスが興って宗教の束縛から逃れた精神活動も活発になった。

フランス革命に先立ち、アメリカはフランスの援助でイギリスから独立し、ナポレオン戦争でスペインとポルトガルが混乱した状況のなかで中南米諸国がそれにならった。

ロシアは近代化は不十分だったがナポレオン戦争の勝利への貢献でヨーロッパ主要国としての認知を得た。それに対して、オスマン帝国はフランスに支援されたエジプトの自立で帝国の枠組みが崩れ始め、最終的には、第1次世界大戦での敗戦によってオスマン帝国は滅びた。(戦後編に続く)