イスラム教を世界史の中で理解する~戦後篇

八幡 和郎

昨日は、政治史としての観点からイスラムの歩みを「365日でわかる世界史』(清談社)の内容を「イスラム教を世界史の中で理解する~戦前篇」というかたちで再編集してお届けした。

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今日は、「世界と日本がわかる最強の世界史」(扶桑社新書)から、戦後の世界政治とイスラム教について書いた部分を再編成して提供する。なお、個々のイスラム教国については、「365日でわかる世界史』に極めて詳細に書いてある。通読して頂ければ、これまでの疑問がかなり氷解するだろう。

ipopba/iStock

イスラム教条主義とシオニズムに振り回される欧米

戦後の中東世界は、中世以来、もっとも世界の注目を集めている。オスマン帝国の末期に世界的な民族主義の波に乗って、アラブは覚醒した。トルコも排他的になり、アルメニア人を迫害したりしていた。

イギリスがムハンマドの家系でメッカの支配者だったハーシム家を支援したものの、十分に支持が集まらず、聖地は教条主義的なサウジ・アラビアのものとなった。そこで、ハーシム家はヨルダンとイラク(のちに追放)だけの国王になった。またシリアはフランスの勢力圏だったが、キリスト教徒の多いレバノンが分離した。

一方、第一次世界大戦時にイギリスは、「バルフォワ宣言」で、シオニストにユダヤ人国家の建設を約束した。1948年にイスラエルが建国され、世界各地から移住者を集めた。

エジプトは、王制がナセルら自由将校団の革命で倒され、穏健な社会主義路線を進めソ連に接近した。ナイル川にアスワン・ハイ・ダムを建設するためスエズ運河を国有化して資金に充てようとし、英仏やイスラエルと第二次中東戦争を戦い勝利した。その後、サウジの支持も得てアラブの盟主を狙い、イスラエルと第三次中東戦争を戦ったが6日で敗れて声望を失った。

後任のサダトはアメリカの仲介によるキャンプ・デービッド合意でイスラエルと和解した。サダトは小池百合子東京都知事がもっとも尊敬する政治家としている人物である。

また、イスラエルはオスロ合意でPLO(パレスティナ解放戦線)とパレスティナにおける暫定政府の樹立に合意しパレスティナ国家の建設に道筋をつけた。しかし、右派政権は、パレスティナに引き渡されべきだったヨルダン川左岸に入植者を送り込み、ガザ地区では残虐な反対派の弾圧を続け、合意は風前の灯火になっている。

エルサレムの神殿の丘 Wikipediaより

アメリカはイスラエルを支持し、石油確保のために、中世的な宗教国家であるサウジの王制派などに肩入れしてきた。その間隙を縫って、過激派が力を伸ばし、エジプトではムスリム同胞団が自由選挙で勝利するといったこともあった。また、アルカイーダやISIL(イスラム国)のような武闘派も力を伸ばし始めた。

いずれにせよ、イスラエル国家が存在し続ける限り、中東の平穏は、それこそラクダが針の穴をくぐり抜けるほど難しいだろう。

中東の地図 Wikipediaより

イラクでは比較的近代的で世俗的な左翼政党であるバース党が政権にあった。フセインが独裁者になって、人気取りのためにイラン・イラク戦争を行った。このときはアメリカの支援を受けたが、その後クウェート侵攻を行い、湾岸戦争、ついでイラク戦争で敗れて裁判にかけられて殺された。

その後は、自由選挙をするとシーア派が勝ち、それをアメリカが支援するとい奇妙な形となった。アメリカの最大の失敗は、フセインはともかくバース党関係者を広汎に追放したことだろう。戦後日本では局長クラスまでは追放された。そのときは中堅幹部が残ったからこそ復興ができたのだ。その点、小泉政権はしっかりアドバイスしてもよかったと思う。

サウジアラビアの王室は、スンニー派のなかのワッハーブ派という教条主義的会派を振興している。初代イブン・サウド国王の男子が六人つづけて王座にあるが、現在のサルマーン国王が最後で,次代からは第三世代に移る。

メッカのカーバ神殿 Wikipediaより

教条主義的で中世的な女性差別、鞭打ち刑などに象徴され、過激派の揺籃となっている社会を擁護する王室をアメリカが石油確保のために支えているという構造は大きな矛盾をはらんでいるのだ。

シリアでは1970年からバース党系のアサド一家が権力を握っている。アラウィー派というシーア派に近接した宗派に属しイランとの関係が密接である。パレスティナのハマスやレバノン(キリスト教とイスラムが拮抗)のヒズボラと関係が深い。そのため、アメリカ,フランス、イスラエルからは嫌われています。

内戦で、アサド政権、アルカイダ系の過激派を含むスンニー派、ISIL(イスラム国)が入り乱れ、さらに、クルド人も多く、入り乱れた内戦が展開され、膨大な難民を送り出している。

トルコではケマル・パシャによる革命以来、世俗主義政党が政権を握ってきた。しかし、現在のエルドゥアン大統領は穏健イスラム教政党に属している。優れた政治能力を発揮しているが、強権的に過ぎると批判が高まっている。欧米にとっては頼りになる存在だが、クルド人問題での強硬ぶりでは一致していない。

アヤソフィア Wikipediaより

そのクルド人は、トルコ、シリア、イラク、イランの国境地帯に住む人種で十字軍時代のサラディンも属していた。ただ、いちども国をもったことのない気の毒な民族だ。欧米も各国が独立運動を弾圧することは支持しているが、独立には反対している。

「アラブの春」は2011年から翌年にかけて、チュニジア、リビア、エジプトで独裁者が追放するなどした事件を言う。このうち、チュニジアは民主化が定着しつつあるが、カダフィ大佐を追放したリビアは政府不在に近い大混乱となっている。エジプトでは選挙でイスラム同胞団という過激派が政権につき、軍部がクーデターを起こしてやっと安定するというような事態だ。

アフガニスタンでは、親ソ連派政権を排除した過激派タリバンが政権をとり、それを欧米が追い出したものの混乱が続き、2021年にはタリバンが政権に復帰した。

イランでは、アケメネス朝ペルシャを継承すると称して欧米化を進めたパーレビ国王がイスラム革命で失脚してからシーア派教条主義の神権政治になっている。アメリカ大使館襲撃事件で外交官保護の条約を無視したことから、アメリカとは絶縁状態にある。また、シリアなどのシーア派や北朝鮮などとの関係でも対立している。しかし、イラクではシーア派とアメリカが連携しており複雑な状況だ。

テヘラン Wikipediaより

このように各国の状況が入り乱れて解決の糸口が見えない。そもそも、シオニズムという根本的に無理がある運動を欧米が支援し、また、その一方、石油欲しさにイスラム教条主義に対して、欧米が甘すぎたのが諸悪の根源のように見える。

キリスト教も含めてほかの宗教ならば人権侵害とか反民主的と糾弾されるようなことをイスラム教だけに容認するのは合理性がない。(続く)