アフガニスタン崩壊と日本への教訓(古森 義久)

顧問・麗澤大学特別教授   古森 義久

アメリカのバイデン大統領のアフガニスタンに関する決定は同大統領への自国内での広範な非難だけでなく、国際的にも深刻な課題をいくつも提起した。同大統領は8月16日、休暇先からホワイトハウスに戻り、全米向けの演説で今回の決定の理由などを説明したが、この演説にも与党の民主党側からも批判が起きた。バイデン政権は登場して半年ほど、最大の危機を迎えたといえそうだ。

しかしその危機には日本にとっての教訓や意味があることも忘れてはならない。

アフガニスタンではバイデン大統領がつい数日前まで予測していた事態とはまるで異なり、反政府のイスラム過激派タリバンが一気に首都カブールを制圧した。アメリカが20年ほども支援してきたアフガニスタン共和国の政府も軍隊もタリバン側に降伏する形で崩壊した。

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この事態をバイデン大統領の責任として追及する声は連邦議会でも民主、共和両党に共通していた。とくに同大統領が実際の破局の直前まで事態を楽観して、8月13日から暑中休暇をとり、近郊の大統領山荘キャンプ・デービッドで静養していたことへも非難の矢は向けられた。

民主党寄りの国際戦略専門家のイアン・ブレマー氏は今回の事態を「ここ数十年で最大の外交政策の失敗であり、その悪影響はグローバルとなる」と総括した。

そのうえでブレマー氏はバイデン政権が情報収集、調整、立案、意思疎通の4分野で失敗したと述べ、アフガニスタン国軍の能力の過大評価、同盟諸国との協力の失敗、緊急計画の欠落、アメリカ国民への説明の欠落などを具体的に指摘した。

実際に国際協調や同盟諸国との連携を強調してきたバイデン大統領が今回はまったくの単独で進めたアフガニスタン完全撤退の実行であり、ブレマー氏は「これこそ一国主義だ」とも批判した。

アメリカ国内では今回のアフガニスタンの崩壊とアメリカの撤退や現地住民のパニック状態をベトナム戦争最後のサイゴン陥落に重ねる評論が多くなった。首都カブールの市民の多くがタリバンの支配の復活を恐れ、とくにアメリカに協力してきた人たちは反米のタリバンからの報復を心配して、国外に脱出しようとする。

こうしたアメリカ大使館や首都の空港での現地住民のアメリカに頼っての国外避難の必死の試みは1975年4月のベトナム戦争の終結時と酷似していた。南ベトナムの首都のサイゴン(現ホーチミン市)では当時、北ベトナム軍の軍事支配を恐れて、米軍のヘリや輸送機で脱出を求める大群衆が奔流のように渦巻いたのだ。

だからいまのワシントンではアフガン情勢をみて、「ベトナムの悪夢の再現」と批判する向きが多いのである。私自身も当時の毎日新聞ベトナム駐在特派員としてこのサイゴンの混乱や悲劇の一部始終を直接に目撃していた。

私はまたアフガニスタンにもアメリカ軍がタリバンを首都カブールから撃退した直後の2002年2月から1ヵ月ほど滞在していた。そのときにはタリバンの苛酷な支配がいかに厳しかったかを語る一般市民の声を聴き続けた。だから今回のタリバン復帰を恐れる人たちの心情もわかる気がする。

しかしこのアメリカ対外政策の明らかな失敗が今後、国際的な安全保障などにどんな影響を及ぼすか、俯瞰的にみる考察も欠かせないだろう。ワシントンでの各界の識者などの意見も参考としながら、私なりに以下にまとめてみた。そこには当然、日本にとっての意味や教訓も含まれる。

まず第一はアメリカの同盟関係への影響である。

アフガニスタン共和国はアメリカの正式な同盟相手とはいえないにしても、明白な防衛パートナーだった。アフガン駐在の米軍はアフガンの国家安全保障、国家の防衛に責任を果たすことを誓約していた。そして現実にその誓いを実行していた。

だが今回のバイデン政権の措置はその防衛誓約を一方的に破棄したのである。バイデン大統領は演説で「当事国の軍隊が戦う意思がないのにアメリカが戦うわけにはいかない」という趣旨を繰り返した。

このアメリカの態度はアメリカがアフガニスタンと同様に相手国の防衛への支援を誓約している諸国にも当然、懸念を生むことになる。現にワシントンでは「台湾はどうなるのか、韓国はどうか」という指摘が起きた。それらの地域や国の有事にアメリカは防衛行動をとるのだろうか。

その同盟相手には当然、日本も含まれる。もちろん戦後70年以上も堅持されてきた日米同盟とアメリカ・アフガン関係では大きな差異がある。だが自国ではない相手を自国が犠牲を払ってでも戦闘し、防衛する、という対外誓約の基本は変わらない。

第二は国際テロリズムへの影響である。

アメリカがそもそもアフガニスタンに軍事介入したのは自国がイスラム原理主義の国際テロ組織アルカーイダに襲われたことが理由だった。そのアルカーイダを自国内に留め、軍事訓練をさせ、多様な支援までしていたアフガニスタンのタリバン政権が国際テロの抑止、制裁という観点からアメリカの攻撃対象となったわけだ。

そのタリバンがアフガニスタン全土をまた支配し、国家を運営するのである。タリバンはすでにアフガン共和国とアメリカ当局によって拘束されていたアルカーイダ関連のテロ容疑者5000人をも解放したという。

いまのタリバンの最高指導者たちの間にはこれまでのアフガニスタンでの戦闘で米軍の捕虜となっていた人物も複数、確認されている。タリバン政権で内務大臣を務めたカイルラ・カイルクワという人物はいまもアフガニスタンで活発に動いているが、一時は米軍に拘束され、米側の重要テロ容疑者専門のグアンタノモ収容所に長期間、拘留された。だが2014年にオバマ政権により米軍捕虜との交換で釈放されて、またタリバン中枢に戻ったという経緯がある。

同時にイスラムの反米世界では今回の事態はタリバンがアメリカを打倒した偉業として賞賛されるだろう。とすれば、アルカーイダの残党に限らず、反米志向のテロ組織が国境を越えて新たに大同団結する展望も考えられる。

だからタリバンの復権はイスラム原理主義のテロ集団にとってはアフガニスタンという国家や資源の回復だけでなく、全世界のジハード(イスラム聖戦)主義者の鼓舞を意味することになる。

第三はインド太平洋構想への影響である。

アメリカが日本やオーストラリアとともに推進する「自由で開かれたインド太平洋」という戦略では、アフガニスタンがアメリカに協調的な存在か否かは大きな要素となる。

地理的にはアフガニスタンはインド太平洋地域に面してはいないが、中東から中央アジアにつながる地政学上の要衝としての比重は大きい。この地域でのアメリカの軍事行動にしてもアフガニスタンを実際の軍事拠点として自由に使える場合と、そこに敵対的な政権が存在する場合とでは、違いは巨大となる。

米軍にとってのこれまでのアフガニスタンはイスラム過激派だけでなく、ロシアや中国に関しても重要な情報獲得の拠点だった。そのアフガニスタンがタリバン支配となれば、当然、米軍の軍事戦略上の情報取得の機能は失われる。このことがインド太平洋戦略全体にも影響してくることが予測されるわけだ。

そのうえに大きいのは中国やロシアの動向だといえる。アメリカや日本のそもそものインド太平洋構想の狙いは対中抑止戦略だった。中国がインド太平洋地域で国際規範に反する活動を強めないことを目標としたわけだ。

ところがアメリカがアフガニスタンを喪失するとなると、インド太平洋の側面の守りを失う形となり、その分、アメリカへの敵対性を有する立ち位置の中国やロシアの行動により多くの自由を与えることともなる。

ただし中国はいまのところアメリカのアフガン全面撤退を手放しで歓迎はせず、またタリバンとの関係も新疆ウイグル地区のイスラム系住民弾圧の問題もあり、必ずしも円滑ではない。だが総合的にはアメリカのアフガニスタンからの後退がインド太平洋という舞台では中国側を利する要素が多いことは否定できないだろう。

以上、このアメリカのアフガニスタン離脱という新国際環境でのグローバルな戦略面での変化は少なくとも、3つ考えられるのである。そしてそのいずれもがわが日本の国家安全保障や対外戦略に大きな影を投げてくるのだ。

古森 義久(Komori  Yoshihisa)
1963年、慶應義塾大学卒業後、毎日新聞入社。1972年から南ベトナムのサイゴン特派員。1975年、サイゴン支局長。1976年、ワシントン特派員。1987年、毎日新聞を退社し、産経新聞に入社。ロンドン支局長、ワシントン支局長、中国総局長、ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員などを歴任。現在、JFSS顧問。産経新聞ワシントン駐在客員特派員。麗澤大学特別教授。著書に『新型コロナウイルスが世界を滅ぼす』『米中激突と日本の針路』ほか多数。


編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2021年8月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。