American troops cannot, should not be fighting in a war, die in a war that Afaghan forces are not willing to fight for themselves.
(アメリカ軍は、アフガン軍が自ら戦う気がない戦争において、戦うことも死ぬこともできなければ、そうすべきでもない)
American troops cannot — and should not — be fighting and dying in a war that Afghan forces are by and large not willing to fight and die in themselves.
— President Biden (@POTUS) August 16, 2021
これは、バイデンの言葉だが、アフガン軍でなくアフガン国民というべきだし、戦わずに逃げてくる難民を受け入れてきたからこんなことになった。もちろん、勇敢に戦った人々や米軍などの協力者は別であるし、具体的な迫害を受けて命の危険が迫っている人も別だが、単に怖いからとかアフガンに未来はないとかいうだけの難民を受け入れるから誰も戦う気がなくなるのではないか。
国に残って苦しい戦いをしているアフガン人よりも、自国を棄てて逃げ去った難民を優遇したらこうなるのは当たり前だ。
少し過激に聞こえるだろうが、これは私が東西冷戦が終わってからの世界を論じる中で主張し続けてきたことだ。以下は、「世界と日本がわかる最強の世界史」(扶桑社新書)を主体に「365日でわかる世界史」(清談社)からも再編成して提供しておく。
欧米社会は、ソ連型社会主義との戦いには勝利したが、そこでの成功体験に拘って、移民・難民問題で大失敗をした。
そもそも、圧政が行われていることや貧困を理由に難民になれるなら、人権が尊重され民主主義的が行われていない国、経済が発展していない国からは、自国を改革する努力などせずに、逃げ出すほうに流れるのは当たり前である。
母国の豊かな生活を生活を捨てて経済的には損でも自由を求めてというなら難民である。だが、難民になったほうが豊かになれるのでは、みんな喜んで難民になるのも当たり前である。
レバノンは分かりやすい例だ。レバノンはシリアのうちキリスト教徒が半数を占める地中海沿岸地方をフランスが支援して創った国だ。ところがパレスティナの混乱の余波で、治安が悪くなり、レバノンからは主としてキリスト教徒が逃げ出してフランスに移住した。
結果、パリの15区あたりはレバノン人地区化しているし、一方、レバノンではキリスト教徒の割合が減ってイスラム国になってしまった。憲法の規定で、権力は平等に分担しているが、普通に選挙したらイスラム独裁国家になるだろう。
これはアメリカでも同じで、中南米の自分の国をよくしようという努力をせずに逃げてきた難民、移民を安直に受け入れてきたから、ラテン・アメリカの国々は発展の道を閉ざされているである。
かつての東欧からの政治亡命者などは、その流出が社会主義国の経済に打撃を与え、体制変革を促す意味があったが、現在の難民は圧政国家にとって厄介払いにしかならない。
ヨーロッパは、環境、普遍的な人権、ジェンダー、情報公開、参加、障害者の保護など、あらゆる新しい現代的発想において、世界を引っ張ってきた。しかし、難民問題については、少し道を誤った。
その根源はやはりドイツである。ドイツ経済界が安い労働力を求めて加盟国の急速な拡大や難民を歓迎するのは当然なのだが、それはドイツにとってすら本当に良いことかも分からないし、欧州全体にとってはなおさらである。
一方、ドイツは移民の「ドイツ化」はかなりしっかりやっており、そこがフランスやイギリスは甘かったように思う。
ともかく、安直に難民・移民を受け入れ続けては、世界の国々のかなりの部分と資源は、ならず者たちの天国になってしまう。アフガニスタンの場合、地下資源はあまりないが、芥子と麻薬という金づるをタリバンのためにくれてやったようなものだ。
ヨーロッパの政治の動向についていえば、イギリス労働党、フランス社会党、ドイツ社民党といったところが穏健化し、社会自由主義(ソーシャル・リベラリズム)といわれる流れが優勢になった。イタリアではもともとソ連東欧型から距離を置いていた共産党が消滅し民主党に合流した。保守派もイギリス保守党ですらサッチャー引退後は穏健化した。
ところが、このことで左翼・右翼の傾向がはっきりした人たちが二大政党のいずれにも幻滅し、結果、極左、極右政党の台頭を許すことになっている。さらに、地域政党とか環境派のような単一問題政党が台頭すると二大政党制はますます成り立たなくなった。
フランスでは国民戦線(フロン・ナショナル)が保守政党の中道化の間隙をぬって政治勢力として確固たる地位を占めた。スペインでは比例代表制のために、極左のポデモスや極右的な色彩もある市民党、地域政党、単一問題政党の台頭で、なんど総選挙をやり直しても首班指名ができないありさまになった。
イギリスでは、保守党を独立党が侵食し、それに危機感をもったジョンソンらがポピュリスト的な主張に乗り、労働党では極左的なコービンの支持勢力が組織的に党員登録をして党を乗っ取った。その結果がEUからの脱退決定であった。
アメリカでは、クリントン大統領(1993~2001年)の時代、伝統的な民主党の保護主義に反して経済の自由化を進めて経済成長を実現し、その一方で、中産階級の育成やマイノリティの権利拡大につとめ、黒人やヒスパニックや女性に歓迎された。
しかし、リベラル派が議論を避けたがっていることだが、誰かの地位を引き上げることは、よほどの経済成長がない限りは誰かの既得権を奪うということであって、下層中層白人男性の強烈な不満が出てきたのは当然である。