以下、登場する外交官の名前、国については書けないことを断っておく。当方には問題はないが、外交官にとって、ひょっとしたら不味いかもしれないからだ。
中国武漢発の新型コロナウイルスが欧州に席巻して以来、当方が住むオーストリアでは3度のロックダウンを経験し、厳格なコロナ規制の下で生活してきた。日本では「緊急事態宣言」が発布されたというニュースを聞くが、欧州ではほぼ1年半近く、ある意味で「緊急事態宣言」下で生きてきた。
ワクチン接種が開始されて以来、コロナ規制は緩和され、対人接触制限も緩んだ。長い厳しい冬が過ぎ、眩い日差しを受ける季節が到来した。冬眠から目を覚ました動物のように、人々も外出する機会が増えてきた。
そろそろ本格的な仕事開始の時かな、と考えていた時,知人の外交官から電話が入ってきた。「しばらく会っていないので昼飯でも一緒に食べよう」という誘いの電話だった。外交官は、「君は既にワクチン接種を終わっただろう。僕も2回、接種済みだ。レストランで食事するのに問題はないだろう」というのだ。
オーストリアではレストランや喫茶店で食事などをする場合、通称「3G」の提示が要求される。48時間以内のコロナ検査で陰性だった証明書、コロナ回復証明書、ワクチン接種証明書のいずれかを提示すれば、レストランで食事ができる。近い将来、ワクチン接種証明書だけが有効となる「1G」の時代がくる予定だ。
外交官は、「いつものレストランではどうか」と聞いてきた。当方はやんわりと、「できれば別のレストランでは」と聞いた。外交官はどうして、と思ったかもしれないが、説明はしなかった。外交官は、「それでは君が推薦するレストランで落ち合うことにしよう」となった。
外交官が好むレストランは店の中は狭く、空気の流通が悪い。そのうえ、1時間以上、テーブルで談笑しながら食事をするのは危険だという判断があったからだ。ワクチンを接種していても感染リスクはある。当方より若い外交官は元気な声で話すから、エアロゾル感染の恐れもある、と、とっさに判断したからだ。だから、外で食事ができるレストランがいいと考えた。コロナ規制下で生きてきた体験から、自分は病的なほど用心深くなってきたのを感じる。
外交官はタクシーでレストランに来た。知らないレストランを探すのが億劫だったのだろう。自分の車ではなく、タクシーを利用したわけだ。当方は握手ではなく、肘タッチをした。政治家たちが肘タッチをしているのをテレビのニュースで何度も見てきたので、自分も一度はしてみたいと考えていた。肘タッチはコロナ時代の挨拶の仕方として既に定着してきた。知人も素早く応じてきた。
外交官は元気だった。食事をしながら互いに近況を語り合った。外交官が、「君と会うのはこれが最後だ。後継者がウィーン入りしているから、彼と会ってほしい」という。知人はウィーン駐在して8月で3年目が終わる。通常、任期は3年だ。驚いた当方は、「コロナ禍で外交官としての仕事もできなかったでしょう。任期が延長されることはないのですか」と聞くと、「それは出来ない。妻も帰国を願っているしね」という。
外交官の仕事は駐在国の外交官と交流するなど、多くの人と交流し、自国の政策、文化を紹介することが仕事だが、コロナ禍でそれらの任務もほとんどできなかったはずだ。外交官には無念の思いもあったに違いない。しかし、誰にも文句をいえない。外交官は、「君と何度も会いたかったよ」といった時、外交官からの電話を受ける度にいろいろな理由を挙げて断ってきたことを申し訳なく思った。当方は過去の病歴(基礎疾患)もあって感染の危険が高いから、人との接触をほとんど断ってきたからだ。一方、知人を含め外交官はこの2年あまりコロナ禍のため本来の仕事ができずに苦戦してきたのだろう。中国発新型コロナは多くの犠牲者を世界中に出してきているわけだ。少々恨めしく感じる。
ある国では海外駐在の若い外交官がコロナ・ブルー(憂鬱)になって自殺したケースが報告されている。全ての人がコロナ禍で苦労しているが、普段は華々しく活躍する外交官も同じように苦労しながら生きてきたのだな、と感じた。
「国に戻ればまた連絡するよ」といって外交官はレストランを後にした。「一期一会」という言葉がある。人と人との出会いの重要性、大切さを諭した言葉だ。コロナ下で人との出会いを制限されてきた。“第2、第3のコロナ禍”が来るかもしれない。人との出会いを大切にして生きていかなければ後悔するかもしれない、と考えた次第だ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年8月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。