旭川女子中学生いじめ問題 遺族手記から分かる学校側の非道

旭川市の公園で女子中学生・廣瀬爽彩さんが遺体で見つかり、いじめの有無が調査されている問題で、遺族が8月18日、手記を公開した。その手記からは、我が子を亡くし、悲嘆にくれる母親の心が痛いほど伝わってきた。それとともに、手記から伝わってくるのは、爽彩さんが通っていた中学校の教師たちの異常・非道・無責任ぶりである。

爽彩さんが通っていた中学校
Wikiediaより

「お母さん、死にたい」と何度も言うようになった爽彩さんを心配した母親が担任に相談しても担任は「思春期ですからよくあることですよ」と素っ気なく答えたという。母親がいじめの証拠を掴み、学校側に連絡しても、教頭が「いじめが本当なら指導しないといけないので」と言うだけで、何の対応もしてもらえなかったそうだ。

更には、学校に呼び出された母親は教頭から「いたずらが行き過ぎただけで、悪意はなかった」「加害者にも未来があるんです」「10人の加害者の未来と、1人の被害者の未来、どっちが大切ですか。10人ですよ。1人のために10人の未来をつぶしていいんですか。どっちが将来の日本のためになりますか。もう一度、冷静に考えてみてください」などと言われたという。手記を読んでいて、私が最も腹立たしく感じた場面・言葉である。

いじめを「いたずらが行きすぎただけ」とごまかしているのも腹が立つ。「加害者にも未来がある」ということは、加害者は、爽彩さんに相当酷いことをしているということではないか?ちょっとやそっとのイジメではないことを、教頭のこの言葉は示しているといえよう。「1人のために10人の未来をつぶしていいんですか」との言葉も、何たる言い草であろうか。先ずは、爽彩さんをしっかりとケアし、その上で、いじめが事実であるならば、加害者を厳重に注意する、もしくは何らかの罰を与えるというのが普通ではないか。教頭の言動は、いじめから目を逸らす、保身・事勿れ主義に見えてならない。

いや、教頭だけでなく、担任や教育委員会も同様だ。手記を読んでいると、その事がよく伝わってくる。もう少し早く、学校が対応していれば爽彩さんは亡くならずに済んだかもしれない。それを想うと、悔しく残念な気持ちになってくる。学校側は猛省する必要があろう。