ローマ教皇の「手術後初の外国訪問」

ローマ教皇フランシスコは15日、3日間のスロバキア公式訪問を終えて、ローマに戻る。同教皇は12日から15日にかけ、中欧のハンガリーの首都ブタペストとスロバキアを訪問した。ハンガリーでは12日午後、ブタペストの英雄広場で開催中の国際聖体大会に参加し、閉会式の記念ミサを行った。その後、スロバキアの公式訪問に入った。政府や宗教関係者と会談した。

ブラチスラバでユダヤ教徒の代表と会見するフランシスコ教皇(2021年9月13日、バチカンニュースから)

両国訪問はフランシスコ教皇にとって43回目の外国訪問だ。教皇は7月4日、ローマのアゴスチノ・ゲメリ・クリニックで結腸の憩室狭窄の手術を受けたばかりだから、手術後初の外国訪問となった。

テレビのニュース番組を見る限りでは、フランシスコ教皇は手術を乗り越えたようだ。スペインのジャーナリストとの会見の中で「10メートルまでも歩けない」といっていたが、スロバキアでの表情は明るい。

ハンガリー訪問はあくまでもブタペストで開催中の国際聖体大会で記念礼拝をするのが目的。一方、スロバキア訪問は実質的な公式訪問だ。ハンガリーもスロバキアもキリスト教社会の欧州の中央部に位置し、冷戦時代にはキリスト教徒を中心とした民主運動が推進された地域だ。

メディア関係者はフランシスコ教皇が“欧州の異端児”と呼ばれているオルバン首相と会合するかどうかに関心があった。ニュースを見る限り、両者は会合し、短い会話が行われた。一方、スロバキア訪問は3日間の公式訪問だから、ブラチスラバ入りすると、同国のズザナ・チャプトヴァー大統領らの歓迎を受け、政府関係者、教会指導者、多数の信者たちの歓迎を受けた。

バチカンニュースによると、教皇は13日午前、政府関係者、市民代表、外交官などと大統領府内の庭園で会合した。チャプトヴァー大統領は、「教皇をスロバキアに迎える名誉に感謝する」と述べると、フランシスコ教皇は、「28年前、チェコとスロバキアは紛争もなく、平和裏に分割した。これは模範的な実例だ。スロバキアの歴史が欧州の中心部にあって平和と統合のメッセージとなるように」と語った。

スロバキア日刊紙によると、チャプトヴァー大統領が教皇に、「多くの日程をこなすのも大変ではないですか」と聞くと、教皇は、「若返ったような気分です。訪問は私にエネルギーを与えてくれました」と答えたという。

フランシスコ教皇はスロバキアの首都ブラチスラバの聖マルティン大聖堂で教会関係者と会い、同国内のユダヤ教徒の代表とも会合した(第2次世界大戦前にはスロバキアには1万5000人のユダヤ人が住んでいたが、戦後、その数は3500人になっている)。

スロバキア司教会議のマーテイン・クラマラ広報官は、「教皇がスロバキアの伝統や詩に通じていることに驚かされた。教皇は、『パンを分け合い、連帯という塩で味をつける』と述べた。教皇の訪問はわれわれの信仰を高めてくれた」と評価している。

個人的な話になるが、当方にとってブラチスラバは特別な場所だ。1988年3月25日、ブラチスラバ民族劇場前でキリスト者たちの「宗教の自由」を要求したロウソク集会が開催された。その時、当方も取材で広場にいた。

「小雨が降る夕方、ブラチスラバの民族劇場前広場がデモ集会の開催地だった。開催前から私服警察官が広場にくる市民の動向に目を光らせていた。キリスト者たちがロウソクを灯して広場に集まり出すと、警察は放水車を駆り出して集まってきた市民を追い払い始めた。当方がカバンから素早くカメラを出してシャッターを切った時、背後から私服警官がカメラを奪い取り、当方を警察の車両に連れて行った。国際記者証を出し、『プレスだ』といったが、私服警察官はその記者証までを取り上げた。そしてブラチスラバの中央警察署に連行され、釈放されるまで7時間余り尋問を受けた。当方のように警察署に連行された1人のキリスト信者が何か抗議したら、警察官がその青年の顔を壁にぶつけたのを目撃した」(当方の取材ノートから)。

尋問では、「君は誰から今日のデモ集会のことを聴いたのか」という質問が繰り返し飛び出した。尋問担当の警察官は、「こんな質問はしたくないが、仕事だからね」と言いながら、申し訳なさそうな表情をした。尋問後、早朝パトカーに乗せられ、駅まで運ばれ、そこで記者証や旅券が返され、「ここからウィーンに戻るのだ」といって、早朝一番のウイーン行きの電車に乗せられた(「30年前のロウソク集会の思い出」2018年3月27日参考)。

それから1年余りでチェコスロバキア共産党政権は崩壊した。そして1993年1月、チェコスロバキア連邦は連邦を解体し、チェコとスロバキア両共和国に分かれた。両国とも現在、欧州連盟(EU)と北大西洋条約機構(NATO)の加盟国だ。チェコではバーツラフ・ハベル氏らの「民主化運動」が、スロバキアではキリスト教信者たちの「宗教の自由運動」がそれぞれ改革の原動力となって「ビロード革命」が起きたわけだ。

民主化後、30年以上が経過した。ワシントンDCのシンクタンク「ビューリサーチ・センター」の宗教の多様性調査(2014年)によると、チェコではキリスト教徒23・3%だが、無宗教者は76・4%とキリスト教文化圏の国で考えられないほど高い。スロバキアでも世俗化の波を受け、カトリック教会は衰退傾向が見られ、若い世代の教会離れが加速している。

フランシスコ教皇はスロバキアのカトリック教会関係者に対し、「共産政権時代から解放され、自由を享受していく中で、人は次第に自身の快さに溺れ、その奴隷となっていく傾向が見られる」と指摘し、「教会は高い所から世界を見下ろす砦ではない」と訴えている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年9月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。