氷の男「エッツィ」発見30年

1991年9月19日、5300年の眠りから1人の男が氷の世界から不本意にも目を覚まされてしまった。30年前の話だ。不本意といったのは、その後の余り快くない出来事に遭遇してしまわざるを得なかったからだ。新石器時代、または銅器時代に生きていた男がタイムトラベルで1991年の世界に引っ張り出されてしまった。もちろん、「目を覚ました」という表現は正しくない。発見されたのだ。

5300年前に生きていた「エッツィ」のミイラ(ウィキぺディアから)

ドイツ人カップル、エリカとヘルムート・サイモン夫妻は、エッツタールアルプスの南チロルの海抜3210mのティセンヨッホで新石器時代または銅器時代の5300年前の死体を発見した。世界のメディアは「アイスマン」として大々的に報道したので、氷の男は一躍世界的な人物となった。「エッツィ」という呼称は、発見された場所エッツタールから取ってメディアが名付けたものだ。

「エッツィ(Otzi)の30年目」を報じた日刊紙「クライネ・ツァイトゥンク(Kleine Zeitung)」の記者は15日電子版で、「エッツィは、既に久しく過ぎ去ったと思われていたことが、ひょんなことから現代に生き返って存在する、という意味の同義語となった」と表現している。

エッツィが発見されたニュースを当方は30年前ウィーンで聞いた。ミイラの氷の男が何度もテレビに映し出され、周囲の人が感動的に報じていたのを微かに思い出す。仕事に追われていたのだろう。「氷の男」の話はニュースで聞くだけで、特別な感傷はなかった。5300年前に生きていた男と自分の関係が理解できなかったからだ。

ただし、「氷の男」が発見された場所がイタリア領土内か、オーストリアのチロル州内かで両国側が激しい言い争いをしていたことは良く覚えている。イタリアとオーストリア両国は通常は関係がいいが、「氷の男」が出現したことで気まずい雰囲気が生まれた。

クライネ・ツァイトゥンクの記者は、「氷河のミイラは掘り出される際、世紀の発見であるとは分からなかったこともあって、スキーストックと削岩機で左股関節と左脚から下腿にかけて傷がつけられた。掘り出された後、左上腕の骨が折れてしまった。同年9月23日、遺体は科学的検査のためにインスブルックに運ばれた。そして10月2日、測量士は、『アイスマンはイタリアとオーストリアの国境から正確に92.56m離れた南チロル領土内で発見された』と明確に確認した。死体発見場所は近くの山小屋の家主によって公式に報告されたが、カラビニエリ(イタリア憲兵隊)は採掘作業に関心がなかったため、発見場所を「北チロル」として届けた。このささやかな怠慢がイタリアとオーストリア両国がその後、「氷の男」の出生地で争う原因となったわけだ。もちろん、アイスマンが世紀の大発見と分かってからだが。

エッツィの発見から約6年後、両国はアイスマンの男が南チロルに戻ることで合意に達した。1998年1月、氷河の死体は冷蔵コンテナでインスブルックからボルツァーノに運ばれ、そこで氷の男は新しく設立された博物館、南チロル考古学博物館(「アイスマン博物館」)で再び永遠の休憩に入ることになったわけだ。

エッツィ発見で生まれた騒動はこれだけではない。発見者への報奨金の額で長い裁判が続いた。ドイツ人夫妻は3億リラ(約15万5000ユーロ)の報酬を求め、南チロル州は5万ユーロしか払えないと主張したからだ。長い裁判の後、2010年、紛争は解決した。サイモン家は17万5000ユーロを受けとった。ただし、発見者の1人、ヘルムート・サイモンは2004年、ザルツブルクのバートホフガスタイン近くのガムスカーコーゲル地域でのハイキング中に墜落死している。報奨金を受け取らずに亡くなっている。

エッツィ発見から30年間、世界中の考古学者などが研究してきたが、それによるとエッツィには、歯周炎、ライム病、乳糖不耐症、胆石、動脈の硬化などの多様な病気の痕跡があったという。科学者たちは彼の入れ墨、胃の内容物、腸内細菌をも調べた。エッツィの親戚がどこに生存しているか、まで見つけている。「アイスマン」は身長約1.60m、靴のサイズが38、体重が約50kg。茶色の目、茶色の髪、血液型O型。「Otzi」の左肩に矢が当たった跡がある。「アイスマン」は死の直前、何らかの戦いがあったことを示唆している。彼の右手に深い切り傷があったからだ。

エッツィが5300年前に生きていた人間だとすれば、ノアよりも古い人間だ。聖書学的にいえば、アダムからノアの間に存在していた人間となる。エッツィは何を考え、何を探していたのだろうか。

注:「エッツィの話」は主にクライネ・ツァイトゥンクの9月15日電子版から引用した。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年9月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。