リーダーシップの究極の資質

第34代米国大統領のドワイト・D・アイゼンハワー曰く、「リーダーシップの究極の資質が誠実さであることには疑問の余地がない。それがなければ、鉄道の保線区班であろうと、フットボール・フィールドや軍隊、オフィスのいずれにおいても真の成功はあり得ない」とのことです。

とは換言すれば、信と義を併せたものと言えなくもありません。私は之が如何に大事かを、これ迄も当ブログ等で幾度となく指摘してきました。それは、人生を成功に導く上で非常に大事だと思うからです。例えば『中庸』では、「誠は天の道なり。之を誠にするは、人の道なり」と厳(おごそ)かに説かれています。また『孟子』には、「至誠(しせい)にして動かざる者は未だこれあらざるなり」とか、「至誠天に通ず…真心を大切にして誠実に事を実行すれば、その気持ちが天に通じ、よい結果が得られる」とかとあります。

新渡戸稲造博士曰く、至誠とは「広びろとして深厚であり、しかも、はるかな未来にわたって限りがない性質をもっている。そして意識的に動かすことなく相手を変化させ、また意識的に働きかけることなく、みずから目的を達成する力をもっている」ということで、独りを慎み、即ち睹(み)ず聞かざる所に戒慎することが、己に克つ具体的修練の方法であり、それにより私心を無くし、の域に達することが出来るようになります(西郷隆盛著『南洲翁遺訓』)。

上記の如くアイゼンハワーの言も正にその通りだと思われ、「リーダーシップの究極の資質が誠実さであることには疑問の余地がない」ものですが、私見を申せば品性というものの中に誠実さというのは含まれているのだろうと思います。一年程前の『指導者の条件』と題した私のブログの中で、次の通り述べました――「経営者が為さねばならぬことは学ぶことが出来る。しかし経営者が学び得ないが、どうしても身につけなければならない資質がある。それは天才的な才能ではなくて、実はその人の品性なのである」とは、ドラッカーの言葉です。之は経営者に限った話ではありません。指導者が、ある意味どうしても身に付けねばならないものが此の品性なのです。

御先祖様から脈々と受け継いできている「血」、どのような環境の中で育ってきたかという「育ち」、そして「学問修養」が人間を形成する三要素です。「血」や「育ち」を変えるのは大変難しいことですが、「学問修養」によっては変えることも可能となり、そしてまた、自分の品性を高めて行くことが出来るようになります。森信三先生も人間としての品性を高位に保つことは「人間の修養上、最大の難物」と述べておられる通り、非常に難しく、だからこそ平生の心掛けを大事にすると共に、必死になって学問修養をして行かねば、品性は決して磨かれ得ないものです。様々な事柄の結晶がそこに凝縮され結果として、品性ということで全人格的に集約されるのだと思います。リーダーシップの究極の資質が、誠実さを包含する品性であることには疑問の余地がありません。

最後にもう一つ、福沢諭吉の言葉に「独立自尊」が有名です。独立とは「自らの頭で考え判断するための知力を備えることにより、精神的に自立する」ということで、自尊とは「自らの品格を保つということ」です。自らに対する矜持(確かな自信があっての誇り)を持てない人は、修養が足りないと言わざるを得ません。指導者が何の矜持も持たずして、その重責を担うものではありません。


編集部より:この記事は、北尾吉孝氏のブログ「北尾吉孝日記」2021年9月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。