コロナ第6波に向けていま日本人が行動すべき3つのこと(後編)

森田 洋之

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後編では「コロナ第6波に向けていま日本人が行動すべき3つのこと」の残りの2点について解説する。

前編はこちら

2. 客観的事実を俯瞰的視野で正確に捉えること

新型コロナに関する情報は正直なところ玉石混交だ。テレビなどで報道される最新情報、特に日々のコロナ感染対策や検査陽性者数などの情報で感情を動かされていては俯瞰的視野には到底たどり着けない。そこにたどり着くためにはコロナだけでなく医療や社会全体について以下の3つの俯瞰的視野で見ていくことが大事である。

<疾患横断的俯瞰>
新型コロナ感染症も言ってみれば数ある疾患の中の一つであり、コロナだけを見ていても医療界全体の中での新型コロナの位置は見えてこない。

たとえば、同じ呼吸器の感染症で比較すると、インフルエンザは年間総感染者数1000万人、死者数も1万人とも言われる。一方、新型コロナはここ1年半で感染者(検査陽性者)数160万人、死亡数17000人である。また、インフルエンザの小児死亡例は残念なことに毎年10名前後が見られているが、新型コロナの小児死亡例は未だにゼロ件だ。

なお、昨冬のインフルエンザ流行は異例の低水準で、これには感染対策の徹底が奏功したものと考えられていたが、今夏、小児を中心に流行する呼吸器感染症のRSウイルスは大流行した。RSウイルスは緊急事態宣言下で厳重な感染対策が継続されていた東京で観測史上最大の感染拡大が発生したのである。そう考えると、感染対策でインフルエンザが減ったという説も疑問符が付いてしまう。ちなみにRSウイルスはほとんどの子供にとってはただの風邪程度の症状であるが、それでも全国的に見れば年間数十名の小児死亡例を出す疾患である。

こうして疾患横断的な視野で新型コロナを見ると、新型コロナ感染をより立体的に見ることが出来る。新型コロナの感染動向などに注目するニュース報道を見ていては、こうした俯瞰的視野は得られないだろう。

<国際的俯瞰>
同じく、国際的な視野での俯瞰もとても重要である。前編で少しご紹介したとおり、日本のコロナ感染被害は欧米に比して圧倒的に小さい。

人口あたりの新型コロナウイルス死者数の推移
出典:札幌医大 フロンティア研 ゲノム医科学

欧米各国はワクチン接種が日本よりも進んでいる傾向にあるが、それでも欧米の感染被害はやはり日本より大きいのである。そんな中英国では感染拡大ただ中の7月19日にコロナ規制を全廃した。アメリカでも、州によってはマスクもせずに密集した大群衆の中の巨大イベントが開催されたりしている。

25日のメジャーリーグの試合風景。大群衆の殆どがマスクなしで密集している。

なお、この試合の行われていた9月25日現在、アメリカの人口あたり感染者数と死者数は、両方ともに日本の約15倍である。

もちろん、徹底的なロックダウンでほぼ「ゼロコロナ」を実現している台湾やニュージーランドなどの国もある。しかし、これらの国は逆に「今後いつまで鎖国を続けるのか」という難しい課題を突きつけられることになるだろう。

こうした国際的な視野で新型コロナのデータを俯瞰すると、見えてくる世界がまた違ってくる。

<歴史/社会的俯瞰>
さらに言えば、歴史/社会的俯瞰もとても大事である。

たとえば、日本全体の年間死亡数は高齢化の進展に伴ってここ30年間毎年2万人ずつ増えており、現在は約140万人にまで達している。ところが、新型コロナウイルスが席巻した令和2年は不思議なことに前年より1万人減少したのだ。

もしPCR検査などの精密検査が存在しなかった数十年前に今回のコロナが流行していたら、日本人は新型コロナの流行に気が付かなかった可能性すらある。

また、年間140万人の死亡者のうち「肺炎」の死亡数は約10万人である。新型コロナの死亡数1万7千人(ここ1年半の数値)と比べて見ると、その多さに驚くことだろう。

なお、日本の総死亡140万も肺炎死の10万も、その内訳の殆どは高齢者であるが、これは新型コロナの死亡においてもほぼ同じである。

その一方で社会全体を見れば、このコロナ禍の感染対策・自粛・緊急事態宣言などの社会の変化に伴い、旅行業・飲食業・イベント業などの収益は大きく減少し、またそれに伴い「自殺数」が急増している。小中高生の自殺数は観測史上過去最多を更新した。

宿泊旅行者数
出典:NHK

日本の自殺数の推移
出典:警察庁

国民の不幸の形は、こうした経済規模や自殺数など数字で表されるものばかりではない。子どもたちの授業・運動会・修学旅行など教育と楽しみの場が奪われていくこと、莫大な数の高齢者がコロナに感染しているわけでもないのに施設に閉じ込められてここ1年半一歩も外に出ていないこと、こうした甚大な負の影響は決して数字にならない。

社会全体に与える影響にしっかり目を向けることこそが我々にとって重要な視点なのである。

3. 様々な情報を統合し、それを社会にどう落とし込むかを冷静に議論すること

コロナ第6波に向けていま日本人が行動すべき3つのことの最後の1点は、

「それらの俯瞰的情報を統合し、社会へ落とし込むため冷静に議論すること」

である。

そもそも死者のほとんどが高齢者で若者にほぼ被害がないこのウイルスに対して、社会がどこで許容し共存してゆくかという議論をしてゆくか、ということだ。これは、社会全体として喫緊で最重要な課題である。

前出の米国メジャーリーグの動画を見ると、彼らは日本の15倍のコロナ被害を許容し、その上でコロナ前と同じように人生を楽しんでいるように見える。一方、日本は彼らの15分の1の被害しか出ていないのに、目下「緊急事態宣言」で自らを鎖につないでいる。

医学的に感染者を減らすことには社会的なメリットもデメリットもある。そのバランスをどう社会に落とし込むかは、俯瞰的視点からの情報に基づき社会全体で判断するしか無いのである。

「年間1万人ものコロナ死を許容するなんて日本人には出来ない?」

いやそんなことはない。なぜなら、我々はこれまでインフルエンザでの年間1万人の死亡も、肺炎による10万人の死亡も、年間2万人ずつの死者数増加も、ほとんどの人がそんな数字を知ることもなく、許容してきたのだ。

肺炎の死亡が年間10万人から11万人になってもおそらく殆どの国民が気付きもしなかっただろう。要するに我々が客観的事実をどう認識し、社会全体でどう解釈するか、という問題に尽きるのである。

医学の世界というと、科学的でキッチリした正解のある世界を想定されるかもしれない。たしかにそうしたエビデンスが重視される世界観は医学の中の大きな部分を占めている。しかし、その医学をどう社会に適合させるか、我々がどう解釈するかについて、「正解はない」のである。感染者を減らす対策にエビデンスや正解はあるかもしれないが、その対策によって失われる国民の幸福に対してはエビデンスも正解も無いのだ。

医学の専門家、感染症の専門家はときに「自殺数や経済指標はこちらの領域ではない、その筋の専門家で評価してくれ」と言う。もっともだ。彼らはその分野のみの専門家なのだから。

であれば、それらの情報を統合し社会全体の利益のためどう落とし込むのかという議論は、決して専門家にお任せしてOKという話ではない。国民全体で議論して決めなければならない「国民全員の課題」だろう。

残念ながら人間はいつか必ず死ぬ。その来たるべき「死」までの期間をどれだけ充実させられるか?いかに自分らしく生きられるか?という根本的問題を今一度国民全体で問い直す時期に来ているのではないだろうか。

「コロナ第6波に向けていま日本人が行動すべき3つのこと」を国民一人ひとりが真剣に認識し、しっかりと国民全体で議論することが今後のコロナ対策のもっとも重要な課題と言っていいだろう。

そうでなければ、来たるべき第6波も、いやその後何度感染の波が来ても、そのたびごとに専門家から感染対策の徹底が叫ばれ、「緊急事態宣言」が繰り返されるに違いない。事実としてこれまでがそうだったし、何も変わらなければこれからもそうなるだろう。

政府や専門家など誰かにおまかせしていては、我々は自分の人生を生ききることが出来ないのだから。