テロとの戦争から20年:国際社会の反対意見を振り切っての戦争開始、政治家の嘘、続いた欧州テロ

2001年9月11日、米国で発生した同時多発テロ(「9.11テロ」)。約3000人が亡くなった。

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このテロは米国だけに影響を及ぼしたものではない。

その首謀者がイスラム過激組織「アルカイダ」を創設したオサマ・ビンラディンであることが判明すると、ブッシュ米政権(当時)下の米国はビンラディンをかくまっているとされるアフガニスタンに英国とともに侵攻し、「テロとの戦争」が始まったからだ。

違法な戦争の開始

2001年10月の侵攻後、アフガニスタンのタリバン政権はまもなく崩壊するが、ブッシュ政権は次にイラクに狙いを定め、イラク戦争(2003年3月)を開戦する。

英国を含む欧州各国の市民、知識人の間では、「正当な理由がない戦争=違法な戦争」という認識があり、大規模な反戦行動が発生したが、こうした声を振り切っての開戦となった。

米国はアフガニスタンで、テロに関係あると見なした男性たちを次々と拘束し、キューバにあるグアンタナモ米基地に設置した収容所に送った。

オレンジ色のジャンプスーツに身を包み、目と耳をふさがれ、足には足枷を付けられた容疑者たちが収容所の看守に腕を抱えられながら歩く様子や炎天下で座り続ける姿が世界中で報道された。

男性たちは正当な司法手続きを経ずに、容疑を知らされないまま長期拘束され、厳しい尋問や拷問に近い取り扱いを受けた。

拘束者たちは捕虜に対して人道的な待遇を義務付ける「ジュネーブ条約」が適用されない状態に置かれた。

米国は、基地が米国の領域外にあるために米国憲法の基づく人権の保障が受けられず、収容者を「非合法な戦闘員」と規定することによって、国際法上の捕虜には当たらない、としたのである。

「法の支配」を順守するはずの米国・・・という認識がガラガラと崩れていったように筆者は記憶している。

9.11テロの直後、世界中から寄せられた米国に対する同情、痛みの共感が、テロの戦争が始まるにつれ一気に減少してしまったように感じたのは、筆者だけではないだろう。

ビンラディンは2011年5月2日、パキスタン北部の潜伏先で米軍特殊部隊の急襲を受け、殺害された。

アフガニスタンから駐留米軍や北大西洋条約機構(NATO)加盟国による連合軍が完全撤収したのは、今年8月末である。

欧州各国ではテロが次々と発生

欧州に目をやると、イスラム過激派によるテロ事件が次々と発生した。

その1つとなったのが、2015年11月、フランス・パリのテロだ。約130人が命を落とした。数か月にわたる裁判が、最近始まったばかりだ。

政治の嘘

イラク戦争開戦のために英政府が繰り返したのが、「イラクの大量破壊兵器の脅威」だった。当初からこれに疑問を挟む人はたくさんいたが、最終的に大量破壊兵器は見つからなかったことで、開戦したいがために「政府が嘘をついたのではないか」、あるいは少なくとも「事実を誇張していたのではないか」という疑惑が出た。

政治とメディアの嘘について著作がある、保守系作家ピーター・オボーン氏は、ロンドンで開催されたあるイベントで、「イラク戦争を機に、自分は英国の知識エリート層に対する信頼をすべて失った」と述べている。

ブッシュ大統領が始めたテロの戦争の一番の支持者は、ブレア英首相だった。そんなブレア氏に英週刊誌「エコノミスト」は「嘘つきブレア?(Bliar?)」というニックネームをつけた。

英「エコノミスト」の2003年6月7日号の表紙(筆者撮影)

ムスリム市民との関係を探る

2005年7月7日、今度はロンドンがテロに襲われた。イスラム過激主義の青年たちがロンドンの公共交通機関に攻撃をしかけたのである。52人が死亡。

「イスラム過激主義のテロリスト」は、「外からやってきた人」であるはずだった。しかし、ロンドン・テロを実行したのは、英国で生まれ育った男性たちだった。「地元で生まれ育った人がテロリスト」(ホームグロウン・テロリスト)という言葉が生まれた。

そこで、「なぜテロリストになったのか」、「社会に落ち度があったのだろうか」。そんな問いが発されるようになった。ムスリム市民の社会の中の位置づけについて、英国民は考えるようになった。

約90万人が亡くなった、忘れようにも忘れられない転機

今年9月1日、米ブラウン大学の推定によると、テロの戦争で約90万人が亡くなったという。

昨年5月の米ジョージ・フロイド氏殺害事件から始まって、世界中に広がった反人種差別の「ブラックライブズ・マター」運動。その前には性被害を告発する「ミー・トゥー」運動があった。今や、女性、そして有色人種の社会的位置づけを意識せざるを得なくなった。

9・11テロ、そしてテロとの戦争から20年。

米国、そして米国とともに武力侵攻に参加した英国にとって、忘れようにも忘れられない転機となった。テロの戦争の舞台となったアフガニスタン、イラクに住む人にとっても、人生が大きく変わってしまった。

在英ジャーナリストの視点から、テロとの戦争について考えるため、英国内外の人々の声を紹介していきたい。

テロ戦争のタイムライン

2001年9月11日米大規模同時多発テロ発生

9月12日ブッシュ米大統領がテロに対する戦争の開始を宣言

9月25日ラムスフェルド国防長官が反テロ作戦の開始を発表

10月7日 米英による、タリバン政権下アフガニスタンへの空爆開始。後、トルコ、ドイツ、イタリア、オランダ、フランス、ポーランドなどが参加の意向を示す。

11月13日アフガニスタンの首都カブール陥落。

12月7日タリバンの最後の拠点カンダハール陥落

2002年6月13日ハミド・カルザイが暫定政府の統括役に。04年、民主的に選ばれた大統領に就任。

2003年3月19日米国と連合軍がイラク侵攻。

5月1日ブッシュ米大統領がイラクでの大規模戦闘勝利宣言。

12月13日フセイン・イラク大統領が捕獲される

2004年3月11日アルカイダに心酔するグループがスペイン・マドリードで

テロ。死傷者は200人以上。

2005年7月7日ロンドンでテロ。52人死亡。

2006年12月30日フセイン、処刑される

2010年8月30日オバマ米大統領がイラクでの戦闘終了を宣言

2011年5月2日オサマ・ビンラディンが殺害される

6月22日オバマ大統領がアフガニスタンからの米軍撤収を宣言。

期限は2014年。

2014年12月28日 アフガニスタンでの戦闘終了宣言。

1万人規模の米軍は駐留

2020年2月トランプ米大統領とタリバンが和平合意。米軍の完全撤収を約束

2021年8月末米軍、NATO軍の完全撤収

(参考:ウェブサイト「ヒストリー」


編集部より:この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2021年9月29日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。