フェイクニュースとフェイスブックの苦悩

フェイスブックの元社員がこの社員の知る限りでの暴露話をアメリカ議会の公聴会で3時間以上にわたり証言しました。この元社員はそもそもフェイクニュース対策などを担当していたものの5月に退職し、その後、匿名情報を寄せ、10月にテレビに出て実名報道をしたことで急速に話題になったものです。

Facebook Wikipediaより

この伏線として9月27日にフェイスブックは準備を進めていた子供向けインスタグラムの開発中断を発表していました。中断の理由は13歳以下の子供向けのプログラムにメンタルヘルス上の問題があるという意見に対して十分な論理的説明が出来なかったことが背景かとみられています。

上述の暴露者も何か技術的な瑕疵を指摘したわけではなく、感性的な主張が主流のように見え、フェイスブック社は安全より利益第一主義としたのは個人の考えを色付けし、印象操作を地で行ったようなもので公聴会に呼ぶ理由があったのかどうか、そこが私には今一つよくわからないところです。

フェイスブック社をはじめ、多くのSNS事業者を悩ましているのがフェイクニュース対策です。フェイクニュースとは偽情報やデマのことです。かつてはこんな問題が机上に上がることがなかったのは情報発信者が事業者やその記者といったその道のプロであり、また情報を載せる媒体はテレビ、ラジオおよび新聞や雑誌と限りがあった上にプル型の情報が主流であったからです。プル型とは自分で情報を取りに行く、という作業をする必要があり、テレビで情報を取る、新聞を読むという行為が求められます。

ところがこの20年ぐらいの変化とは情報が勝手に入ってくるプッシュ型に変わったことです。スマホやパソコンに次々と自分が興味ありそうな情報が入ってくると思います。もちろん、登録しているメディアにそれを許しているからですが、何か違う作業をしているときに「ほれ、情報だよ」と囁かれるとつい見てしまうという方も多いでしょう。

もう一つはSNSです。ご承知の通りSNSの参加者はプロではなく、一般人です。しかも我々の知っている人という紐づけがあります。この紐づけがミソで「誰々からこんな情報が来た」となるとメディアが出すニュースより見てしまう確率ははるかに高くなります。なぜ、プロの記事よりSNSの記事を見てしまうのでしょうか?

それは多くの方にとってローカルニュースが最大の興味だからです。大学の時、社会学の授業だったと思いますが、教授が「あなたは新聞をどちらから開きますか?」とクラス全員に質問しました。確かかなりの大多数が新聞の後ろから、つまりテレビ番組表、社会面、スポーツ欄から見ると答えたのです。

私はカナダにいてカナダと日本のニュースを見ますが、こちらに来てからは日本の社会面的記事には興味があまりなくなりました。理由は身近ではないからです。むしろ、自分が今住んでいる地域で何が起きているか、殺人、火災、交通事故…には興味があるのです。これは誰でも同じです。日本で各地にある地方新聞が全国紙より売れるのはそこに理由があるのです。

とすれば配信ニュースについて言えばメディアとSNS、どちらに興味があるかといえばSNSであり、その内容について強く惹かれるのは人間としてごく普通の行動なのです。

ではフェイスブックの何が問題なのでしょうか?それはAIアルゴリズムです。AI、つまり人工知能は音楽や芸術、思想などを認識し、数値化し、それをアルゴリズム(計算方法)でパタンやモデル化をします。この中にフェイスニュースが入っていてもそれを排除する完全なる決め手がないというのが現状なのです。

例えばあなたのとてもよく知っていて信頼している人がフェイクニュースをSNSで発信したとしてもフェイクニュースだというフィルターに必ずしも引っかからないこともあり、それを見たあなたは「おぉー!」ということでそれをさらに拡散するということにつながります。

この話に似たケースがパソコンを乗っ取られ、自分の登録していたメアドに悪意を持った人間がウィルスをまき散らします。ところがあなたの友人はそれをあなたからの本当のメールだと思い、開けてしまう、というのとほぼ同じ心理状態です。オレオレ詐欺もほぼ同じ心理から来ます。

インスタグラムに抵抗をもつ女性が全体の1/3にも及ぶというカナダCBC(国営放送)の報道があります。要はインスタが写真、動画を介して容姿や体形を重視する結果となり、暗黙の差別化が起きているというものです。

この記事を読んで思い出したのが履歴書の写真。日本は今でも添付するのでしょうけれど当地では履歴書に写真はありえません。しかも履歴書から写真が消えたのは私が当地に来る前からですから80年代かそれ以前の話です。容姿で採用の可否を差別される原因だとされたわけです。そんな先進国がインスタで差別意識というのはある意味滑稽な話ですが結局、我々は同じことをずっと繰り返しているのでしょう。

「お前は何者じゃ、名を名乗れ」という流れと同じで「あなた、顔を見せてよ、その表情を見ないと判断できない」という主張が強い時代もあれば「中身重視です」と本心か言わされているのかわからない時もあります。

フェイスブックの問題であるフェイクニュースの撲滅と差別化の助長対策は極めて難しい問題なのだろうと思います。特に北米では「答えは無限にある」という中でどれが完全なブラックでどれがグレーゾーンなのかそれをアルゴリズムで判断することができるかどうか、私にはわかりません。

今できることは情報を鵜呑みにせず、わからないことは分からないで判断留保する勇気だと思います。複雑な世の中、分かろうとするから最終的に短絡的な答えを選択することもあるでしょう。そんなことをせずに正々堂々と「わかりませーん」と言えることが今の時代には一番大事なのかもしれません。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年10月10日の記事より転載させていただきました。