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証明困難な大前提を省略した三段論法で曖昧に結論を導く
<説明>
三段論法とは、大前提と小前提から結論を導きますが、
- 大前提:AはBである
- 小前提:CはAである
- 結 論:CはBである
省略三段論法とは、大前提を省略したまま結論を導くものです。
- 小前提:CはAである
- 結 論:CはBである
世の中には一見して自明の理のようで実際には曖昧な言説があります。詭弁を使うマニピュレーターは、意図的にこの大前提となる言説を省略することで自分にとって好都合な結論を導きます。
SはPであり、したがって、SはQである。
※ここで、PがQであることは自明ではない。
<例>
省略三段論法自体は必ずしも誤謬ではありません、次の例を見て下さい。
<例1>
アリストテレスは人間です。したがって、アリストテレスは必ず死にます。
この論証は「人間は必ず死ぬ」という大前提が省略された上で、小前提から結論を導く省略三段論法です。ここで、「人間は必ず死ぬ」という大前提は普遍的に真であるので、この省略三段論法は妥当であり、結論も真となります。
一方、次の3つの例を見て下さい。
<例2a>
徹君は茶髪です。したがって徹君はチャラいです。
<例2b>
徹君は弁護士です。したがって徹君は正義の味方です。
<例2c>
徹君は元政治家です。したがって徹君は金持ちです。
これらの論証は、それぞれ「茶髪の人はチャラい」「弁護士は正義の味方である」「元政治家は金持ちである」という大前提が省略された上で、小前提から結論を導く省略三段論法です。ここで、これらの大前提はいずれも普遍的に真ではなく、この省略三段論法は不当であると言えます。結論も必ずしも真であるとは言えません。
このように、省略三段論法の妥当性は、小前提と結論の関係から推定される大前提が普遍的か、普遍的でないかによって判定することができます。
<事例>LGBTと生産性
<事例1a>『新潮45』8月号 2018/07/18
杉田水脈衆議院議員「LGBT支援の度が過ぎる」
「生きづらさ」を行政が解決してあげることが悪いとは言いません。しかし、行政が動くということは税金を使うということです。例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。
自由民主党の杉田水脈議員は、LGBT(L:レズビアン、G:ゲイ、B:バイセクシャル、T:トランスジェンダー)に関する政治的な意見を月刊誌に寄稿しましたが、その文書で使われた「生産性」という言葉が大きな物議を呼び、月刊誌が廃刊になる騒動が発生しました。以下、詳しく分析していきます。
この寄稿文において、杉田議員は、「生産性」という言葉を「生殖の可能性」という意味で使っています。しかしながら、BとTには「生殖の可能性」はないとは言えず、「生殖の可能性」が完全にないのは生物学的性を基準とした場合における同性愛カップルのLとGです。ちなみに、LとGは、子供の「生殖」には関与しませんが、社会の一員として子供の「成長」に関与しています。社会はマスとして構成員に影響を与える環境システムであるので、たとえ子孫を残すことはなくても、人間は人間の「生産(広義)」のプロセスに確実に組み込まれているのです。
確かに、この寄稿文全体を読むと、「生産性」という言葉以外にも、個人の精神的自由である性的指向や性自認の否定と誤解されかねない表現や、性的マイノリティへの配慮を欠く表現など、「問題への理解不足と関係者への配慮を欠いた表現(自民党の見解)」が数箇所認められます。センシティヴな課題の議論に対して、あまりにも文章表現が無防備であることは否めません。
しかしながら、たとえ文章表現に問題があったとしても、その解釈の範囲を遥かに凌駕する歪曲がなされて文章全体が否定されるのは公正とは言えません。そもそも議論においては、前提の言説に用いられている言葉を【意味論 semantics】で解釈して議論するのがルールであり、【語用論 pragmatics】で解釈すれば、いくらでも歪曲可能です。杉田議員の「生産性」という言葉も、常軌を逸した語用論によって大きく歪曲されました。立憲民主党の尾辻かな子議員は7月18日に次のようにツイートしています。
<事例1b>尾辻かな子議員Twitter 2018/07/18
杉田水脈自民党衆議院議員の雑誌「新潮45」への記事。LGBTのカップルは生産性がないので税金を投入することの是非があると。LGBTも納税者であることは指摘しておきたい。当たり前のことだが、すべての人は生きていること、その事自体に価値がある。
このツイートのうち、前段は「生産性」という言葉を意味論で解釈した正当な「議論」です。ただし、このツイートのポイントは「当たり前のことだが、すべての人は生きていること、その事自体に価値がある」という杉田議員の寄稿文の内容とは無関係な文章が唐突に書かれている後段にあります。
これは、論敵と無関係な負の情報を文末に付記し、論敵と負の情報に関係があるように連想させる【併記による誘導 juxtaposition】という、マスメディアも多用する心理操作の方法です。この一文が付記されたことによって、実際には杉田論文の原文を読んでいないほとんどの情報受信者は、反語的解釈によって、杉田議員が「LGBTは生きている価値がない」と考えているかのように連想することになります。もちろん、杉田議員の寄稿文にそのような言説は存在していません。さらに尾辻議員は7月20日に次のようなツイートをしています。
<事例2c>尾辻かな子議員Twitter 2018/07/20
子どもを作らない人間は「生産性」がないと断じることは、人間の価値は子供を作るという「生産性」にあるという主張になります。人の生き方に「生産性」という言葉を使って評価することは公人のするべきことではありません。
このツイートにこそ、杉田議員の寄稿文を決定的に歪めた【レトリック rhetoric】が隠されている【省略三段論法】に他なりません。論理的に考えれば「子どもを作らない人間は生産性がない」という前提から「人間の価値は子供を作るという生産性にある」という結論を導くことはできません。なぜなら結論にある「人間の価値」という概念が前提に見当たらないからです。
このツイートにおいて、前提から結論を導くためには「生産性のない人間は価値がない」という大前提が必要となります。つまり、尾辻議員は「生産性のない人間は価値がない」という大前提を暗に仮定して「人間の価値は子供を作るという生産性にある」という結論を省略三段論法によって導いているのです。そして尾辻議員が暗に仮定した「生産性のない人間は価値がない」という大前提こそ【優生思想 eugenics】に他なりません。
杉田議員の寄稿文を読めばわかるように、杉田議員はあくまで社会制度の問題を議論していたに過ぎず、人としての価値についてはまったく言及していません。そんな中で尾辻議員は優生思想を忍び込ませて杉田議員の言説を歪めたのです。その結果、実際には原文を読んでいない多くの大衆は、杉田議員が「人間の価値は子供を作るという生産性にある」と言明しているかのように誤解し、杉田議員を優生思想のナツィと同一視するに至りました。
このような併記による誘導と省略三段論法によって大衆は印象操作され、「生産性で人間の生き方を評価する杉田議員は議員を辞めろ」「自民党は杉田議員を辞めさせろ」とするヒステリックな騒動に発展したのです。これは論敵の発言を歪めてその歪めた部分を批判する典型的な【ストローマン論証/論点歪曲 the strawman】です。