「核兵器のない世界」は平和につながるのか?

新しい資本主義は「泣きっ面に蜂」?

10月4日の臨時国会を受けて、岸田文雄氏が第100代内閣総理大臣に指名された。そして、新たに発足する岸田政権が目指す構想が示されたのが、8日に行われた所信表明演説である。

演説の中で岸田氏は新型コロナ対策を喫緊の課題だと位置づける一方で、新しい資本主義の実現を岸田政権の大きなテーマとして設定した。

その新しい資本主義を実現させる理由について、岸田氏は「新自由主義的な政策」が「富めるものと、富まざるものとの深刻な分断を生んだ」として、それを是正するために、「企業と政府が大胆な投資をしていく」必要性を説いた。

すなわち、岸田氏は過度な規制緩和を推し進める欲望むき出しの資本主義が日本中を苦しめているという問題意識があり、それを改善するためにより大きな政府が解決策であると示唆している。

しかし、多くの識者が指摘しているように、日本政府の役割と予算は拡大していく一方であり、そのような政府をこれ以上大きくしていくことが果たして賢明であるかという疑問が出てくる。楽天株式会社の社長の三木谷氏は岸田氏が描く日本経済のビジョンを新社会主義だとして痛烈に批判している。

だが、新しい資本主義への言及より、筆者の関心を引いたのが岸田氏への核兵器廃絶への思いである。

広島出身としてのアイデンティティ

岸田氏は被爆地広島を代表して政治の世界に居ることもあり、核兵器に対する思いは並々ならぬ思いがある。また、その思いは自身のホームページに掲載されている核兵器問題というセクションから十二分に感じ取ることができる。HPの最上部には自身が昨年書いた著書「核兵器のない世界へ」の紹介が載ってあり、それ以降は外務大臣時代に取り組んだ核拡散の防止への取り組み、オバマ大統領の広島訪問などについての説明がなされている。

2015年核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議
岸田文雄公式サイトより

さらに、著書のタイトルと所々で引用されている語句から推察されるように、核の廃絶に特に関心があることが分かる。

むろん、筆者は核兵器が持つ非人道性に意義を唱えるつもりはない。1945年に投下された二つの原子爆弾は一瞬にして何十万という非戦闘員の命を奪った。さらに、もし核兵器を使用することに躊躇がないテロリストや核の管理能力の無い国に核は渡ってしまえば、第二の広島、長崎が現れる可能性が極限に高まってしまう。そのことから、核兵器などこの世から消えてしまうべきだという意見は理にかなっていると考える。

しかし、ここでひとつ思考実験をしたい。仮に、アメリカ、ロシア、中国などといった大国が核を放棄すれば、世界は安全になるのであろうか。

核兵器は大規模紛争を不可能にした

もし、核兵器による報復を懸念する場合、大国は最初の一発を放つかどうかについて物凄い心理的圧力に直面する。その一発が自国に生存に直結する危険性があるからである。さらに、核兵器を使用する能力がある側も自らの攻撃によって生じる犠牲が政治的な目標に釣り合うかどうかという究極の選択肢を迫られる。そのため、大国間の核の使用は相殺されて、相互確証破壊という状況が生まれる。さらに、小規模な紛争でもエスカレーションの度合い次第では核戦争にまで発展する恐れから、大国間はそもそも武力を行使することに消極的にならざるを得ない。

そして、そのような核にまつわる論理の正当性は未だに第三次世界大戦が勃発していないという事実から証明済みである。第二次世界大戦以後、朝鮮戦争、ベトナム戦争といった局地的な紛争、または内戦には事欠かなかったが、全世界を巻き込んだ世界大戦と呼ばれるような紛争には遭遇していない。それは決して、人類が戦争に明け暮れた自分たちの先祖よりも賢くなったわけではない。核兵器が登場したことによって戦争をエスカレーションさせるリスクが限りなく高くなったからだ。ひとつの町どころか、ひとつの国を破壊してまで達成したいような政治的な目標はないはずである。それゆえ、核兵器が持つ過度の破壊性によって政策決定者は小競り合いを大規模紛争にまで事態を発展させることを避けるようになった。

一方、大国が「核兵器のない世界」への実現に向けて、自前の核兵器を全廃すればどうなるか。まず、核戦争に事態が発展する可能性がゼロになる(全廃しているから)。次に、核戦争という事態は発生しないため、通常兵器を使用するという心理的な壁が低くなる。さらに、いくら戦闘がエスカレーションしても、核によって生じるような壊滅的な結果は引き起こされないため、際限なくエスカレーションが続いていく。つまり、以上の思考実験で証明したいのは、核兵器というものが大規模戦争を抑制する事実上の「瓶のふた」として機能しており、それが取り外されるならば戦争が起きやすい世界が出来上がってしまうということだ。

新しい資本主義、「核兵器のない世界」というキャッチーなフレーズは魅力的なものであるという反面、著しく前提条件をとらえ損ねた用語である。特に岸田氏には大国間の安定に寄与してきた核兵器の役割を再認識して、問題意識の前提となる部分を今一度問い直してもらいたい。