オーストリア大統領府で11日、8日に辞任したクルツ首相(35)の後継者アレクサンダー・シャレンベルク外相(52)の首相任命式が行われた。アレクサンダー・ファン・デア・ベレン大統領の任命を受けたシャレンベルク氏は宣誓後、第33代目の首相に正式に就任した。
オーストリア政界は6日、クルツ首相に対して「経済および汚職検察庁」(WKStA=ホワイトカラー犯罪および汚職の訴追のための中央検察庁)が贈収賄や背任の疑いで調査を開始し、与党国民党本部、財務省などを家宅捜査したことが報じられ、大揺れとなった。連立を組む「緑の党」や野党から「スムーズな政権運営は困難だ」としてクルツ氏の辞任要求が飛び出した。クルツ氏は容疑を否定し、政権の継続に意欲を示してきたが、「緑の党」やファン・デア・ベレン大統領からの圧力もあっても、政権の継続を条件に首相ポストから降り、自身は国民党党首に留まる決意をしたわけだ。
クルツ首相の容疑は、2016年から17年にかけ、ケルン社会民主党主導連立政権で外相を務めていたクルツ氏が、自身に有利なように世論調査結果を恣意的に操作するため世論調査機関に依頼し、オーストリアの日刊紙「エステライヒ」にその結果を掲載させ、報酬を財務省からの公金を使って払ったという疑惑だ。内容はクルツ首相と当時財務省幹部だった友人との間で交わされたショートメッセージ(SMS)から明らかになっている。汚職容疑ではクルツ氏を含む10人が捜査対象という。
クルツ氏が辞任を決意した後、誰を後継首相にするかが焦点となった。「緑の党」は背任と汚職の容疑を受けているクルツ氏を「執行能力が制限されている」として、①執行能力のある人物に代えるべきだと要求する一方、②身の潔白な政治家が必要だと主張してきた。
クルツ氏が国民党内の側近と検討した後、シャレンベルク氏の名前が挙がった。シャレンベルク氏は「緑の党」の2つの条件を満たすと共に、同氏は国民党に所属していない無所属だ。そのうえ、クルツ氏への忠誠心がある、という理由からだ。
オーストリアのメディアによると、クルツ氏はシャレンベルク外相を後継者に決めると、早朝3時に同外相にメールを送り、「直ぐに話したい」と伝言。シャレンベルク氏は首相府に急いだ。首相就任を要請された同氏は「しばらく考えさせてほしい」というと、クルツ氏は「ダメだ」と答えたという。シャレンベルク氏はその後、「自分には(首相に就く以外に)他の選択がなかった」と述べている。
シャレンベルク氏は1969年、スイスのベルンで外交官の家庭に生まれ、父親(1992~96年外務事務局長)に連れられてインド、スペイン、フランスで生活し、1989年から94年、ウィーンとパリで法律を学び、外務省入りした後、ブリュッセルに行き5年間余り駐在。シュッセル政権では外交問題アドバイサーや、プラスニック外相(当時)の報道官などを歴任した後、クルツ氏が外相時代にはその最側近として歩んできた。
シャレンベルク家は1000年の歴史を有する由緒ある貴族の家系という。シャレンベルク氏の表情は柔和だが、難民問題では外相時代、強硬発言を繰り返している。クルツ政権の難民政策を支えてきた政治家だ。
クルツ氏が外相に就任した直後、シャレンベルク氏は独週刊誌シュピーゲルとのインタビューの中で、「クルツ氏のようにタレントのある外相に会ったことはない」とクルツ氏を高く評価していた。
シャレンベルク新首相は12日、初の議会での演説の中で、「クルツ前首相の操り人間だ」という批判を意識し、「国民党は議会の第1党だ。その党首とは今後ともさまざまな問題で協力していく」と述べ、クルツ党首と密接なコンタクトを維持していく意向を明らかにする一方、クルツ氏への司法省側の容疑問題については、「疑いは正しいとは思わない」と指摘、クルツ氏を擁護している。外交官らしくない単刀直入な発言に野党関係者やメディア関係者は驚いた。
シャレンベルク氏は首相として最初の声明文の中で、「自分は首相に任命されるとは考えてもいなかったし、首相になりたいとも願っていなかった」と語っている。砂場で遊んでいた子供時代から「僕は大きくなれば首相になる」と考えてきたアルフレッド・グーゼンバウアー氏(2007~08年首相、社会民主党出身)とは違い、「首相に就く野心も願いもなかった」と公言する貴族出身の新首相に国民は何を期待できるだろうか。
蛇足だが、シャレンベルク氏は10日、ファン・デア・ベレン大統領と大統領府で会談したが、メディアは「大統領府はタバコの紫煙で覆われた」と報じていた。大統領も新首相もヘビースモーカーで有名だ。そして両者ともファーストネームは「アレクサンダー」だから、「2人のアレキサンダーがタバコを吸いながら、今後の政界について話し合った」と揶揄した。オーストリアの政界が2人のアレキサンダーの煙に巻かれないように、野党側は警戒を強めている。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年10月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。