岸田首相「遠くへ行きたければ皆で」成功の条件

岸田首相は、所信表明演説で、「早く行きたければ一人で進め。遠くまで行きたければ、みんなで進め」というアフリカの諺を引用して岸田イズムの基本哲学を示した。

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もちろん、云わんとする気持ちはわかるのだが、みんなで進むのは、「ダメな人や部門」を甘やかす護送船団方式の復活なのか、「ダメな人や部門」を叱咤激励して無理矢理にでもついてこさせるのかどちらなのか。

後者なら、みんなで遠くまで行くことは成功するだろう。世界的には、正しいリベラル路線の経済社会政策とはそういうものだからだ。

逆に、新自由主義は、強制はしないが、頑張らない人や企業などの結果に責任をもたないということで、経済は発展するが、格差は拡大する。

それに対して、平成日本では何をするにも、強制するのを避ける。なにかを推進するためには、ひたすら、飴を与えるばかりで鞭を振るうとか強制しない。うっかりすると、頑張らない人にも結果は出して上げる。

たとえば、マイナンバーカードを普及させようとするために、マイナーポイントをつけるとかいろいろするが、持つことを強制したり、持たないと著しい不便やコストが生じるようなことはしない。

むしろ、持たないひとに不便がないように配慮してくれる。

コロナ・ワクチンでも、接種しないと仕事を解雇されたり、外食、イベント参加、飛行機や列車に乗れないというのが世界の潮流だが、日本はそういうことをしない。

しかし、みんなで遠くへいきたいなら、飴だけでなく鞭をふるうのが筋だし、世界のリベラルな政権はそうすることで、成果を上げているのである。

かつての高度成長期というのは、輸出産業が四番バッターとエースの役割をしてくれたから、ほかの産業はのんびり護送船団方式でやれたのだが、いまはそんな余裕はない。

ラスト・バッターも控え投手も、厳しい競争に耐えられるようにがんばってもらうしかない。

岸田改革は、方向性としては、だいたい良識にそったことを言っている。しかし、それをコストをあまり掛けずに実現しようとすれば、かなり冷徹で厳しい措置が必要だ。しかし。鞭を振るう勇気があるとは今のところ見えない。

経済成長についてだって、世界で最低の経済成長しかしてない国で、成長より分配ということは正気の沙汰ではない。分配のためにもまず成長といいつつ、同時に、分配とか質の向上で実質所得の向上をめざすとでもいえばいいし、それに近い方向に変わってきたが、最初はびっくりした。

改革のためにどういう方法があるかだが、公的部門を未来先取りで変えていくのも一案だ。ここ一世代以上。土光改革以来といっても良いと思うが、公共部門が先導という発想がない。

たとえば、かつては休日の増加は公的部門が先行していたが、週休2日は、民間大企業のほとんどで実施するまで役所は実施できなかった。

民間準拠をやめて、公的部門先行にしてはどうか。たとえば、リモートワークもそうだし、男性の育児休暇もそうだ。給与も若い人を上げるとか、家族の数で公務員住宅の広さに大きな差を付けるとかすればいい。あるいは、IT技術者の給与を一気に何割か上げても構わないのである。