ジェレミー・ブレーデン氏とロジャー・グッドマン氏の書いた「日本の私立大学はなぜ生き残るのか-人口減少社会と同族経営:1992-2030」を読むと、あれだけ「大学危機」と言われていたのにいまだに増え続けているという謎の一端が氷解する。
2010年代半ばには、「2018年問題」がさまざまに議論されていた。18歳人口の減少によって、日本の弱小私立大学は次々と経営破綻すると予想されていたのだ。識者によっては、2018年に18%とか20%の大学が消えてなくなると言われていたのだ。だが、現実にはむしろ増えている。
それは政府や大学関係者の無計画の賜物だと思うだろうが、逆に揺るぎない経営努力の賜物なのであった。
政府の役割は懸念されていたよりもずっと曖昧で、私立大学に関わる利益団体は予想よりも素早い動きを見せた。かつてならば短期大学に入っていたであろう学生が大学に入るようになったことなど、高等教育界の他の部分での変化もまた、18歳の人口が減少したにもかかわらず大学への需要の増加に寄与した。
私立大学自身も、予想された破綻のシナリオへの対応を予想以上に迅速・確実に行っていたという。また、大学は多様化するニーズへの対応や提供するコースの変更をしただけでなく、形態や規模にも相当改革をした。
また、大学は黄金期の頃の蓄えを不動産として持っていることが多く、危機に瀕した時にはそれらを売却して現金化したり、閉校を望まない地元コミュニティの政治的な支援にも恵まれたりした。
しかし、大学のレジリエンスの最も大きな源は、学校法人の構造によって、法人内の他の教育機関と相互補助(経済的、人事的そして知識レベルでも)ができるということだった。
つまり、そのレジリエンスの源泉は「同族経営」にあり、日本社会の本質ともいえるものであった。
同族経営学校法人にとって大学は主軸となる事業であることが多く、大学を失脚させることは、関連する他の教育機関への危機にもなりうるからで、さらに、一族としてのアイデンティティや一族の歴史についての意識が大学の維持に強く結びつけられていたからだ。
文科省の曖昧模糊とした空理空論にもとづいた制度や補助を、オーナー経営として機動的に最大限利用し、またさまざまなアセットも最大限利用し、生き残ったと言える。著者たちは、その「同族経営」の粘り強さがこの逆境を乗り切る力があったと見ている。
そして、それを可能にしたのは政府の役割であった。大学経営に合理性を徹底的に求めていたならば、このようなレジリエンスは発揮されなかったはずである。そこに日本の独自性が見いだせるかもしれない。
しかし、受益者である学生たちは個々の私立大学の繁栄により利益を得たか?教育ローンの拡充で大学が生き残ったという指摘は、われわれ日本人には深刻な問いかけになるだろう。大学のこれからを考える前提となる一冊となるであろう。