大きな言葉としての株主の利益

大きな言葉とは、内容に具体性がないにもかかわらず、重大な意味をもつかのようにして使われる抽象的な言葉である。大きな言葉は、抽象性がもつ大きな力で、具体的で大切なことを埋没させてしまう。例えば、公共の福祉という言葉である。

公共の福祉は、従来は、個々の人権を超えたところにある社会全体の共通利益と考えられていて、この大きな言葉によって、安易に個々の人権の制限が認められてきたのである。しかし、個別の具体的状況に応じて、丁寧な議論が長年にわたって積み上げられてきた結果、現在では、適用範囲が小さくなってきた、即ち、大きな言葉は、小さな言葉になってきたわけだ。

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さて、株主の利益は、大きな言葉であろうか。あるいは、大きな言葉として、機能すべきものであろうか。

「コーポレートガバナンス・コード」は、明らかに株主の利益を中核に構成されているとしても、そこには、顧客や従業員等の「株主以外のステークホルダーとの適切な協働」も謳われている。これは、ステークホルダーとの適切な協働がない限り、企業の持続的な成長はあり得ないので、それが最終的には株主の利益になるとの論理構成に基づくものである。

従って、ここでは、株主の利益は、少しも大きな言葉として機能していない、即ち、他の経営の諸要素を無意味化して消し去るようなものとしては、機能していない。しかし、コーポレートガバナンス改革を実現することが目的ならば、株主の利益が大きな言葉として他を圧倒する環境を整備したほうがよかったのではないか。

実際、持続的な成長とか、中長期的な企業価値の向上といったときには、強い大きな言葉として、全てを究極的に株主の利益に収斂させる力としては働かず、弱い大きな言葉として、全てを曖昧模糊とさせ、現状を肯定する方向に機能する危険を避け得ない。表面的には、あるいは一時的には、株主の利益に反しても、中長期的には株主の利益になるといってしまえば、全てを正当化できるからである。

森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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