強いチームとは?:青山社中11周年を機に官邸チームを横目にみつつ、スポーツ等から考えてみる

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チーム力の重要性

今年も11月が終わった。しかも、丁度11周年。

11月は、経産省を飛び出して設立した弊社青山社中の設立記念日(11月15日)を含む月ということで、自分の中で何となく特別な感じがある。

寒さが本格化してくる、ちょうど、冬の入り口という季節でもあり、自然と身が引き締まる月でもある。漢字で十一を縦にくっつけて書くと「士」になることもあり、志を持って集った志士たちを表しているようで、多分に気分を表しているようにも思える。亀山社中を気取って作った青山社中。

11年、歩んで来て去就する思いは、世の常というか、「よくやってきた」という自画自賛感と、まだまだ足りないという相半ばする感情だ。正確には、正直に書けば、3:7くらいで後者の忸怩たる思いの方が強いであろうか。

始動者(リーダー)教育、地域活性、政党や政治家の支援、海外との接点づくりなど、かなり基盤は整えてきたが、その一方、日本を大きく活性化に向かわせるようなムーブメントを起こせているわけでもなく、そのための、大きな政策案・ビジネスプランが確立できているわけでもない。

こうした大きな推進力を持つには、1)しっかりとレビューする力(振り返って良きも悪きも反省し、それを次の動きに繋げる力)、2)そのためのチームの力、という2点が必要だと経営者11年にして、改めて強く感じるところである。

弊社青山社中は、政策シンクタンクを標榜することも少なくないが、本来、政策シンクタンクには、上記の1)、すなわち、物事を虚心坦懐にレビューしていく力が不可欠である。岸田政権発足後のこの約2か月をどう振り返るのか、岸田政権が意識している菅政権や安倍政権はどうであったのか。

政権に関して言えば、最も中核的な感想は、上記の2)とも重なるが、官邸周辺のチーム力が大きな鍵になるという点だ。会社とは少し違う論理にはなるが、政治にも経営が不可欠だ。例えば、古い話にはなるが、民主党政権の崩壊は、政策力より経営力の問題だと感じる。

いずれの政権でも中にいたわけではないので、想像・推測になるが、最近の3政権を乱暴に整理すると、1)岸田政権は、総理自身の構想力が弱く、官邸チームが色々と献策して物事を進める感じ、2)その前の菅政権は、ともすると恐怖政治にもなりかねないほど総理の想いや意志が強く、チーム構成員は歯車として動く感じ、3)更にその前の安倍政権は、総理主導の動きとチーム員の自立的な動きのバランス・配分が絶妙な感じ、、、という印象を受ける。

当然と言えば当然だが、超長期政権を維持するには、やはり、そのあたりのバランスがとても大事な気がする。如何に自立的・自律的チーム員のアイディアや動きを、総理が自らの大きな構想や想いとチューニングさせながら、大きく導いたり、オーソライズしたりするか。

たまたま11月25日に、同じくシンクタンク主宰者として大変尊敬している船橋洋一氏(アジアパシフィックイニシアティブ:APIを主宰)にお声かけ頂き、政策起業を志す仲間たちや若手などにオンラインで講演する機会を頂いた。

APIは、最近、政府のコロナ対応についての膨大なレビューを行ったことで有名だが(「新型コロナ対応・民間臨時調査会」(小林喜光委員長=コロナ民間臨調))、船橋理事長によれば、現在は、当事者たちに精力的に聞き込みを行い、安倍政権のレビューを行っているという。チームについてのレビューを特に期待したい。

個人の強さか滅私奉公か

さて、この1週間、不思議と、自立的・自律的個人について、或いは、そうした人たちが関わるチームについて考える機会が多かった。代表的事例が以下の3つだ。

  • 1)三冠王3回という前人未踏の記録を選手として残しつつ、中日ドラゴンズ監督としても圧倒的な成績を残した落合博満氏についてのドキュメンタリー本(『嫌われた監督』)を読み始めたら止まらず、ほぼ徹夜で読みふけってしまった。(23日:勤労感謝の日)
  • 2)シンクロナイズドスイミング(アーティスティックスイミング)日本代表コーチ・中国代表コーチを歴任して圧倒的成績を収め、日本代表のコーチに復帰して東京五輪に臨んだ井村雅代氏のお話を直接に伺う機会があった。(26日夜)
  • 3)将棋の谷川浩司九段のお話を直接に伺う機会があって感銘を受け、その場で藤井聡太四冠について書いた谷川さんのサイン入り本(『藤井聡太論』)も頂戴し、持ち帰ってそのまま深夜まで読みふけってしまった。(28日夜)

野球、シンクロナイズドスイミング(アーティスティックスイミング)、将棋、と、それぞれ分野が違うので、当然ながら具体例・具体的な事象はもちろん全然違うのだが、不思議と抽象化すると同じ言葉で紡がれるべき話が多く、事後、自分で“レビュー”してみて改めて驚いた。

一言で整理をすれば、①自ら考えて動ける「圧倒的に自立(自律)した強い個人」を作ることが大事であり、②その強い個々人が「勝ち」にこだわる時に、チームは最強になれる、ということだ。「滅私奉公こそが最上のチーム作りとされてきた時期もあるが、それはどうも違うのではないか」、そんな思いを裏書きして頂いた感じがする。

落合博満氏は、選手としても、管理・整理された競争社会ではなく、いわばアウトサイダーとして中核的打者になってきた経歴を持つ。高校の野球部を抜け出し、社会人野球から、弱小球団のロッテで圧倒的実績を出し、日本を代表する打者となった。

神主打法と呼ばれる独特の打法で有名だが、今は、大谷翔平をはじめ「是」とされるが、当時はダメとされていたアッパースイング(かつては、ダウンスイングをするべき、というのが指導の常識)である。それを武器に、圧倒的成績を残してきた。

中日監督時代(2007年)の落合博満氏
出典:Wikipedia

監督としても、自分の頭で考え続け、大勢に容易になびかず、常識を疑う圧倒的な「個」の人である。就任直後の開幕戦で、三年間も一軍で投げていない肩痛に悩む川崎憲次郎を開幕投手にし(案の定負けるわけだが、そのチームに与えた効果は興味深い)、絶対の不動のサードだった人格者立浪のライバルとして、敢えて森野を育ててチームを不安に陥れ、また、不動のセカンドとショートだった荒木と井端のまさかのコンバートをして、失策数を激増させたりしている。

それでも監督を務めた8年間で、リーグ優勝4回、日本一1回を達成した。1度だけリーグ3位になったことがあるが、ただの一度も4位以下になっていない。一定期間以上監督を務めた中では、歴代で考えてもかなりの成績を残している。特に、巨人や全盛期の西武など、人気があり、フロントにお金が潤沢で、大物選手の補強が容易に出来た球団ではない中日の監督としてこれだけの成績を残しているのは驚異的と言えよう。

落合氏の独特の決断として特に有名なのは、日本シリーズで、8回まで完全試合を達成していた、一本もヒットを許していない大記録のかかる山井を下ろして(諸説あるが、この本を読むと、落合が下ろすつもりだったことが見て取れる)、抑えの岩瀬を投入したことがあげられる。別の話だが、日本人としての名誉とも言えるWBC(プロ野球の世界大会)に選手を送らなかったことも国中の不評を買っている。

紙幅の関係で詳述はしないが、井村氏の日本や中国でのご経験の話も、指導方法は落合氏とは違う印象であったが、要すれば求めていたのは、チーム競技ながら、強い個々の選手であったことが分かる。谷川氏は、著書の中で、藤井氏の「AI超え」にしばしば言及しているが、4億手の対局を経たAIが推挙しなかった手を指した藤井氏の独自の思考・決断に脱帽している。(その後、6億手の対局を経たAIは、藤井氏の指した手を推挙するようになった模様)

私は、井村氏に会う直前に落合氏の本を読んでいたこともあり、氏に以下の質問をした。

「先日読んだ本によれば、中日の監督の落合氏は、10年~20年後のチームを見据えて選手の獲得・育成をしようというフロントに対し、常に即戦力を求めていたようだ。数年後に勝てるチームというよりは、今すぐ勝てるチームを育成することにこだわっていたように思える。世界選手権やオリンピックなど、短期的・中期的な様々な勝利目標を見据えざるを得なかった井村さんは、チーム作りと短期・長期をどのように考えていますか?」

井村氏の答えは、「子どもを育てる際は、長期的な体作りなどを見据えた指導が必要になるが、大人のチームは、明日、次の試合、目の前の戦いをどう勝つかが大事である。中長期というものは、基本的には視野にはない。」というシンプルなものであった。

井村氏は、別のやり取りの際だが、こういう趣旨のこともおっしゃっていた。「長期という視点で損得を考えすぎるのは如何なものか。長期というのは、格好良い言葉であるが、実際にはそんなに見えるものではない。目の前のことをしっかりやり、個人としてちゃんと実績を出していれば、誰かがそれを見ていて色々なチャンスが来るものだ。そのようにもたらされるチャンスは、長期的に計算できない」

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目の前の高い山をどのように超えられるか。考えに考え、頭を使って努力をし、圧倒的に強い個人を作っていくことが、まずは基本にあるのだ、と得心した。そのためには嫌われることもいとわない、というのが、私が感じた落合氏と井村氏の迫力である。

そして更に、強い個人たちが、勝ちにこだわって、全体のために動くときに、そのチームは最強となる。落合氏は、選手生命が断たれかねない危険なヘッドスライディングを禁じていたことでも有名だ。しかし、圧倒的成績を出していた落合氏の不可解な監督解任決定後の、つまりは落合監督最後の年のリーグ優勝争いの重要な試合で、荒木が自らの判断で必死のヘッドスライディングをして決死の一点をもぎ取る。涙なしには読めないシーンだ。

集団による同調圧力を跳ねのけられるだけの強い個人となったはずの、その当の個々人が、自らの意志でチームの勝ちのために自らを捨てる。その時こそ、チームは最強になる気がする。

のちに日本史上最高の外務大臣とも言われる陸奥宗光が代表的メンバーだが、自立した個々人の集まりを志向した坂本龍馬は、人の集まりという意味の「社中」を用いて、亀山社中を結成した。それぞれ、脱藩浪人たちからなる一騎当千の集団を目指したわけだが、いろは丸事件の際などは、後継組織である海援隊が、巨大な藩である紀州藩を相手にチームとして一歩も引けを取らず、ついには、交渉で圧倒したと言って良い。

青山社中も、圧倒的実力を持つ個々人が、チームとして勝ちを目指すという在り方を意識して、歩んで行きたいと強く思う。自画自賛となるが、うちの社員は、みな、気迫十分で、面構えも良く、自立した力のある個人という方向を目指していると思われる。

偉そうではあるが、願わくは、岸田政権を構成するチームもそうあって頂きたいと思う。