岸田政権と江戸幕府:二つの鎖国政策

新型コロナウィルスの変異株の一種であるオミクロン株の出現を受けて、岸田政権の混乱が見受けられる。世界的な感染拡大がみられる中、岸田首相は外国人の新規入国を原則禁止にするという方針を掲げた。さらに、日本へのゲートキーパーを務める国交省との意思疎通の欠如とも捉えられる岸田氏の統率力に疑義が呈されている。

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しかし、既に海外からの入国が大幅に減っている中で、改めて外国人に対する渡航規制を発表することについて筆者は疑問に思う。あたかも海外の人々がコロナを広げるのだという印象を広め、無用な差別、偏見を広げる可能性があることを筆者は懸念している。

さらに、百歩譲って外国人ならまだしも、在留資格のある人々や、日本国籍を有する人々をも入国禁止の対象にするべきだという声がある。残念なことにそういった極端な主張が寛容さを訴えるリベラルな政党であることを自認している野党の方から聞こえている。

肝心な時に、納税者、国民を守らない、受け入れない国に住みたいと思うはずがない。また、そのように思わせてしまう政治家の言動が是正されなければならないと筆者は考える。

このような内向き化を進める日本のコロナ対策を鎖国だとする声もある。鎖国という言葉は閉鎖的で、後進的なイメージを批判する対象に植え付けたい時に使用される場合が多い。そして、鎖国政策なるものが実施していたとされる江戸幕府が明治維新に対して呆気なく滅ぼされた理由を説明するときに鎖国をしていたということがやり玉にあげられる。なんせ、鎖国という表現、それを実行していた江戸幕府は人気があまり宜しくない。

しかし、鎖国という単語が外国から来た言葉であるという事実を知っている日本人はどれぐらいいるであろうか。それについて知ってるか、知っていないかで江戸幕府の外交政策の実態に対する認識は大きく変わってくる。

鎖国は外来語?

鎖国という単語の生みの親は志筑忠雄である。しかし、彼は自分でその単語を思いついたのではなく、ドイツ人医師のケンペルが書いた「日本誌」を和訳する過程で生まれた。「日本誌」の原著はドイツ語で書かれているものの、志筑に渡った「日本誌」はオランダ語で訳されたものであり、そのオランダ語訳は英訳の「日本誌」が元になっている。

ちなみに、原著には「国を閉ざす」という語句は存在せず、「日本において自国民の出国、外国人の入国を禁じ」という文章が記されている。一方、英語版の「日本誌」には確かに国を閉ざすというニュアンスを含む「Keep it shut」という文が存在する。志筑は結果的に後者の記述を参考に、「日本誌」の原題を「鎖国論」と訳したが、それは原著が表現したいこととイコールの関係にはない。イリノイ大学教授のトビ氏の言葉を借りれば、鎖国という表現は「日本誌」が訳される過程で生じた「微妙なズレから誕生したものである。」(トビ、P80)

しかし、鎖国という言葉が外からやってきたということは、当時の日本人が自らの国が閉ざされていることを認識していなかったという裏返しである。それもそのはずであり、江戸時代の日本は鎖国とは程遠かった。

スペイン、ポルトガルなどのキリスト教国家との間では外交、通商関係は断絶されていた。そのため、それらの国々の視点から見た国は日本を閉鎖的な国だと認識してもおかしくない。しかし、実際には日本はオランダ、中国をはじめ、朝鮮、琉球や蝦夷などといった広範囲で異なる民族や地域との間で交易を行っていた。日本は江戸時代から東アジアの経済システムの中で確固たる位置を占めていたのである。

さらに、江戸幕府が外国人の日本への往来だけではなく、日本人の海外への行き来を禁止していたのも間違いである。朝鮮との貿易のため、長崎にある出島の日本版である倭館が現在の釜山があるところに設置され、日本に住む商人たちはそこに赴くことができた。すなわち、営利のためなら限定的ではあったものの、外国に行くことは合法だったのである。

江戸幕府は独自のリーダーシップをとって、貿易を独占し、人や思想の出入りを規制はしたものの、開放的な一面もあった。その実態は江戸幕府が鎖国政策を取っていたというよりかは、貿易管理政策を実施していたと表現するほうが正しいのかもしれない。

江戸幕府は再評価に値する

上記の歴史を知れば、江戸幕府が事実上の外交政策であった、いわゆる「鎖国」は理にかなった政策であったといえよう。江戸幕府が有害と見なす、キリスト教を排し、有益と見なす貿易は振興させるのは実に現実的な政策である。

さらに、鎖国は近代的な側面もあった。現代では当たり前に国境管理や貿易規制などが行われているが、そのように近代国家が機能しているのと同じように江戸幕府が政務を取り仕切っていたのは注目に値する。そんな江戸幕府が西洋から、近代国家に非ずと認識され、その汚名を晴らすために近代化を進めたことが皮肉にも思える。

文字通りの鎖国はいらない

岸田政権が発表した渡航規制は、江戸幕府が実施していた国益に叶う理にかなった「鎖国」政策ではなく、文字通りの「鎖国」を体現している。

筆者は感染症対策の一環として、人が密集しやすい空港や飛行機などの空間などを規制する必要性を理解している。しかし、その後の含意を考慮せずに、一方的に国を閉ざす方針はいかがなものであるかと考える。

日本が国際社会で影響力を発揮するために、ソフトパワーの強化は必要であるし、それを発展させるために留学生の受け入れは不可欠である。また、コロナで打撃を受けた観光業や飲食業などを国内需要だけで回復させるのには限界がある。

岸田氏の入国規制が熟慮の末の措置ではなく、衝動的なものであれば、それは江戸幕府以下である。

<参考文献>

ロナルド・トビ「「鎖国」という外交 (全集 日本の歴史 9)」小学館