日本海軍「真珠湾攻撃の謎」:なぜ第二撃を加えなかったのか?

日本海軍の真珠湾攻撃

日本の米国との太平洋戦争は、今から80年前の1941年12月8日の日本海軍による「ハワイ真珠湾攻撃」で火蓋が切られた。ハワイ真珠湾は米国海軍太平洋艦隊の主要基地であり、西太平洋海域における制海権・制空権を掌握するための米国海軍の重要な戦略拠点であった。

炎上する真珠湾上空を飛行する九七式艦上攻撃機 Wikipediaより

日本海軍による真珠湾奇襲攻撃の目的は、日本軍のマレー半島やフィリピンなどへの南方方面作戦に対し、米太平洋艦隊の介入を防ぐとともに、緒戦において米軍に大打撃を与え、米国海軍及び米国民の戦意を挫くことにもあった。特に、真珠湾攻撃を発案し主導した海軍大将山本五十六連合艦隊司令長官には後者の意図が明確であった(大木毅著「太平洋の巨鷲・山本五十六」231頁2021年角川新書参照)。山本長官は、開戦時における日米間の国力差に鑑み、長期持久戦を避け、短期決戦による早期和平への道を模索していたからである。

真珠湾奇襲作戦は空母6隻、戦艦2隻、巡洋艦3隻、駆逐艦9隻、特殊潜航艇5隻、艦載航空機350機により敢行された。戦闘の結果、米海軍戦艦4隻撃沈、戦艦3隻損傷、航空機231機損失及び損傷など、米軍に甚大な被害を与えた。日本側の損害は航空機29機、特殊潜航艇5隻のみであった(大木毅著「前掲書」223頁参照)。しかし、米空母2隻を討ち漏らしたことが、半年後のミッドウエイ海戦敗北の遠因になった。

第二撃を加えなかった戦略作戦ミス

このように、真珠湾奇襲攻撃は米軍に大打撃を与えた。しかし、直接指揮を執った海軍中将南雲忠一第一航空艦隊司令長官は、艦載機350機による一撃を終えると、450万バレルの巨大重油タンクや海軍工廠を目標とした第二撃を行わずに戦場を離脱した。

この攻撃の不徹底さが、米海軍に早期立ち直りを可能とさせ、以後の戦局に重大な影響を与えたのである。巨大重油タンクや海軍工廠への徹底した攻撃が行われていれば、軍港は機能不全となり、米軍の被害は壊滅的であったであろう。南雲中将の重大な戦略作戦ミスと言わざるを得ない。この戦略作戦ミスにより、米海軍太平洋艦隊は九死に一生を得たのである。

このような千載一遇のチャンスにもかかわらず、なぜ、第二撃を加えて米国側の息の根を止めなかったのかについては、大きな疑問があり謎である。

戦略作戦ミスの背景

この戦略作戦ミスの背景には、山本五十六長官と海軍軍令部(海軍大将永野修身軍令部総長)との対立がある。日本海軍の戦略・戦術や作戦の立案・統合を行う海軍軍令部は、もともと、南方方面の作戦を重視し、山本長官が強く主張する真珠湾攻撃には反対であった。なぜなら、真珠湾奇襲作戦は機密が漏れれば返り討ちに会うリスクがあり、一か八かの賭けに近く、奇襲に失敗した場合は、多数の空母や戦闘員を失うなど、日本海軍は致命的な損害を被るからである。

直接の指揮を執った南雲忠一海軍中将も真珠湾攻撃の作戦の成功には懐疑的であり、空母や航空兵力は南方方面作戦の支援を行うべきと考えていた(戸高一成著「日本海軍戦史」410頁2021年角川新書参照)。

しかし、山本長官の「この作戦を軍令部が認めないなら自身は辞職する」との固い決意を受け、永野軍令部総長が「山本にそれだけの自信があるのなら任せよう」と妥協した経緯がある(戸高一成著「前掲書」411頁参照)。その意味では、真珠湾奇襲作戦はいわば日本海軍指導部内の妥協の産物でもあったと言えよう。

このような背景が、もともとリスクの高い真珠湾奇襲作戦の成功に懐疑的であった南雲中将の前記「戦略作戦ミス」にも影響したと考えられる。さらに、予想を超える大戦果であったことも影響したであろう。

源田実第一航空艦隊参謀の見解

ただ、真珠湾攻撃に第一航空艦隊参謀として参加した源田実海軍大佐(空将・航空幕僚長・自民党参議院議員4期)は、「ハワイ近海には米空母2隻が存在し、その所在がつかめないままに第二撃の作戦を行えば、危険であった。」(源田実著「真珠湾作戦回顧録」298頁2021年文藝春秋社参照)と述べている。

しかし、同時に、源田氏は真珠湾攻撃について、「はっきり言って、南雲(忠一第一航空艦隊司令長官)さんの長官はミス・キャストだった、と私は思う。海軍中央の人事のミスである。大西(滝治郎海軍中将)さん、もしくは山口(多聞海軍中将)さんが指揮をとっていれば、事態はもう少し変わっていただろう。」(同書324頁参照)とも述べているのである。

「真珠湾攻撃」の世界史的意義

真珠湾奇襲攻撃によって米国は直ちに日本に宣戦布告し、日米戦争が開始された。日米戦争は、世界史的には、後進資本主義国の日本と先進資本主義国の米国との間の「植民地争奪戦争」であり「覇権戦争」である。レーニンによれば「帝国主義戦争」である(レーニン著「資本主義の最高の段階としての帝国主義」(レーニン全集22巻293頁以下参照)。

なお、中国重慶国民党政府の蒋介石は、長らく日本と英米との開戦を待ち望んでいた。日中戦争に有利となるからである。真珠湾攻撃の報に接した蒋介石は「気持ちを抑えられないほどだ」と「蒋介石日記」に記している(波多野澄雄ほか著「決定版・大東亜戦争」上114頁以下2021年新潮新書参照)。

山本五十六連合艦隊司令長官の名言

真珠湾攻撃を主導した山本五十六連合艦隊司令長官は次の言葉を残している。

「国大なりといえども戦いを好む者は必ず滅ぶ。天下安らかなりといえども戦いを忘れる者は必ず滅ぶ」(源田実著「前掲書」332頁参照)。

現在にも通じる名言と言えよう。日本国民はこの教訓を決して忘れてはならないのである。