関わると面倒な「被害者意識が強い人」を回避する方法

黒坂 岳央

黒坂岳央(くろさか たけを)です。

「人間関係」の充実度は、人生における幸福度に直結する、とてつもなく大きなファクターである。実際、大多数の人が抱える悩みのほとんどは人間関係に起因するとされる。人間関係は多くの人にとって、ネガティビティへ強く反応してしまう厄介な特性がある。人にもよるが、たとえ99人のいい人に囲まれていても、たった1人の面倒な人がいるだけで強い精神的苦痛を味わうものなのだ。数万人、数十万人のチャンネル登録者を抱える人気YouTuberの中には、わずか数人のアンチからの攻撃に心を病んでしまい、発信を止めてしまったりすることからもそれがわかる。

metamorworks/iStock

こうした事情を鑑みるに、筆者が考えるストレスのない人間関係とは「いかに自分に合わない人を避けるか」に依ると考える。すなわち、心の底からリスペクトできるような、素晴らしい人間関係を持つこと以上に、ストレスを感じるような面倒な人と関わりを持たないことがQOLを高めてくれると思うのだ。

「面倒な人」の定義は意見が様々分かれるところだろう。本稿では筆者が最も関わりたくない「被害者意識が強い」という属性を持つ人たちと定義したい。人によっては仕事上、どうしても避けることは難しいかもしれないが、少なくともプライベート上で彼ら/彼女らを回避する方法を取り上げていきたい。

関わりたくない「被害者意識が強い人たち」

世の中には被害者意識の強い人たちが一定数いる。ここで注意が必要なのは、「被害者」というワードがついていても、彼ら/彼女らは真に救うべき大きな被害を受けている人たちとは異なる存在だという点だ。つまり、被害者意識が強い人達は「自分たちは救われるべき対象だ」と考えているが、客観的には必ずしもそうではないということである。

具体例をあげてみよう。たとえば仕事の誤りを発見した際に「ここはAではなくBのようですよ」と後学のためとやんわりと相手に伝えたのに「怒られた!この人は自分のことが嫌いなのだ!」と騒ぎ立てる人。「これを使えば、ケアレスミスなどを未然に防げますよ」とアドバイスをすると「指導という名のパワハラを受けた!」といった人たちである。

筆者にもこうした自己体験がある。自分は英語を教えている立場なのだが、これまで英語指導をしてきた経験やデータから「英語の初心者が学習を継続できない理由と、その改善点を伝える」という動画をYouTubeで取り上げた。概ね、肯定的な反応を頂いており「おかげで足りない点がわかりました」とか「お花畑なアドバイスが多い中、ハッキリとダメな点を指摘てくれて有益だった」といったコメントを頂いた。だが、一部からは「お前は説教臭い」などの否定的な反応を得ることもある。不特定多数に向けたTIPSを、個人的に筆者から説教を受けたと曲解する思考プロセスは理解不可能である。まさしく「面倒な人」であろう。

世の中には被害者意識を持っておらず、気が合い楽しくコミュニケーションの取れる相手もいる。個人的には、無理して被害者意識が強い人と関わるメリットはないので極力遮断している。もちろん、逆も然りだ。筆者と少しでも合わないと感じた人は、必ず遮断してもらいたいとも思っている。世界観があまりに多様化しすぎた現代においては、「話し合って分かり合う」はユートピアであり、「合う人とだけ仲良く、合わない人とは一切関わらない」が最善手だからだ。

面倒な人が発する2つのシグナル

こうした面倒な人の顔には「私は被害者意識がとても強いですよ」とは書いてはいない。そのため、彼ら/彼女らが発するシグナルを敏感に感じ取り、密接な関係構築が始まる前の段階で距離を取っておく必要がある。ここからは完全なる個人的な独断と偏見による展開だが、面倒な人が発するシグナルとしては概ね次があると考える。

・相手をコントロールしようとする
・なにかの不満を抱えており、余裕がない

具体的に取り上げていきたい。

昨今あちこちで取り上げられている言葉に「他人と過去は変えられないが、自分と未来だけは変えられる」というものがある。「過去を悔やむ代わりに未来を変えるために今を頑張り、自分とは別人格の他人を変えようとするのではなく、自分を進化させることにリソースを使え」という至極まっとうな話だ。だが、面倒な人は自分を変えようとする代わりに、常に世の中や周囲の人間を変えようとする。「自分はこの人物から被害を受けた」とか「自分が不遇な立場にあるのは、社会のこういう点がおかしい。即刻改善されるべきだ」といった具合である。その人の発する発言や、SNSの投稿からそのような香りが立ち込めているなら、すぐに距離を取るべきだろう。相手との会話を避ければ「あいつに無視された!」といつその矛先が向くか分からない。物理的に距離を取らねば、次に標的になるのは、近くにいる自分かもしれないのだ。

そして、面倒な人というのは往々にして不満を溜め込んでいる。自分の思い通りにことが運ばなかったり、人生における不安の種が解消されなかったりで、心はストレス色に染まっている。だが経済的、社会的に余裕がある人物ならそうした性質を持つ可能性は相対的に低いだろう。自分の心が充足して入れば、次は社会や周囲へ受けた幸福を還元したいと思う人もいるだろう。また、成功を収めるような合理主義者ほど、被害者意識を高める、というメリットが小さい行動に対して、わざわざ貴重なリソースを割く可能性は低いと考えるからだ。

筆者はプライベートでも仕事でも、面倒そうな人は絶対に近寄らないようにしている。仕事上での振る舞いでは強気に見られることも多いのだが、プライベートではそんなことはなく、相手に気を使いすぎて疲れてしまうことが少なくない。そのため、付き合う相手はできるだけ自分と波長の合う人に限定したい、という価値観を持っている。

最近では多くの人がSNSで自分の意見を発信しているので、その人の過去の投稿やいいね!への対象をいくつか見るだけでも面倒そうなシグナルを感じ取ることができる。個人の思考が見える化しており、そういう意味では、深く付き合う前の段階で合わない人とは距離を取ることができるので便利だと感じる。

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