デジタル時代のアナログな生き方

デジタルトランスフォーメーション(DX)全盛期といってよいでしょう。我々は知らぬ間にデジタルと共存し、事実を的確に素早く知ることができます。銀行口座の動きや振り込み内容、SUICAやクレジットカード決済、スマホテキストのやり取り、ネットショッピング…これらはすべてDXが背景にあります。我々はデジタル時代を謳歌するというよりデジタルと共存しているといえるでしょう。

デジタルの基本は0と1ですからそこはYES-NOが明白に存在します。それゆえに人間のあいまいさを表現するのが難しかったとされます。かつて「ファジー理論」なるものも生まれ、1990年に日本の家電メーカーがこぞって「ファジー機能付き炊飯器」を売り出したのを覚えている方もいらっしゃるでしょう。きめ細かい温度設定をファジー制御と言っていたわけです。私も買いましたが今一だった記憶があります。きっと最近の製品は改良されていると思います。

Stan Eales/iStock

さて、世の中、DXになるとそれが人間社会を席巻するのでしょうか?それはあり得ません。なぜなら人間そのものがDX化できないからです。判断する人間はAIの指示通り動くほど単純明快な動物ではありません。あぁといえば、こうと言う「あまのじゃく」的な人も多いでしょう。

例えば株式市場に群がる人たちを考えてみましょう。これだけデジタルが進み、プログラム売買が進むのならば理論的には株価は必ずフラットになるはずです。なぜなら過去に基づいた予想に通りに行動しているので株価のブレ(偏差)は極小にならねばなりません。しかし、近年だけ見てもそのブレ具合は尋常ではありません。つまり、そこにはAIが予想しえない株価に影響を与える新事実、それに対する人々の行動予測ができないのです。AIは過去を分析したうえで未来予想をするわけですが、事件は誰も予想不可能なのです。

業績連動型報酬を取り入れる企業が増えています。企業の成績が良ければ役員の報酬も増えるというものです。一般社員にこれを適応できないのは給与水準の変動幅が日常生活に影響をもたらす可能性があるからです。プラスになった時だけ頂けるという都合の良い仕組みはないので通常は経営陣のみへの適応です。これにより報酬は自動的に計算できるようになり、会社の決算結果により自分の懐にいくら入るか「見える化」が起きます。

ですが、仮に報酬が1000万から3000万、5000万から1億円へと増えていくとしましょう。私が会社務めならありがたく頂戴しますが、頂いた金額分の仕事を自分が全うできるか、怪しくなると思います。1億円もらうのが先にありきで、自分は偉いからと部下に仕事を無理くり押し付けるようになるでしょう。またそのポジションにしがみつくかもしれません。部下に対しては「君もいつかは俺のように1億円、稼げるからな、せいぜい頑張り給え」となるのです。この役員氏は果たして人間的価値があるのでしょうか?私から見れば平社員並みだと思います。良い役員なら2億円稼ぐ方策を考えるはずです。

一方、自分が作った会社ならいつまでたっても給与は変わらない気がします。なぜなら金持ちになりたくて起業したわけではないからです。自分がプレイするビジネスというゲームのコマがすごろく上で日々、前に進んだり後退したりしながらもゴールを目指すことが楽しいので生活に困らない程度頂ければそれで結構なのです。つまり無欲というDXでもAIでも理解できない人間の価値観がそこに存在するのです。

なぜ、無欲が必要なのか、といえば腹が満たされたらもう食べたくないと思うからです。だからある程度我慢をすることで明日への意欲を維持しているのです。例えば私は自分用の場合、一本2000円以上のワインはあまり買いません。酒屋で「いつかは2500円のワインを買いたい」と思って明日も頑張ろうと思うのです。つまり制御という機能が私には備わっているのです。これは無限の欲望が当たり前である人間の性の真逆を意図的に取り込むのです。これはDXでは解明できないでしょう。

ロシアがウクライナに侵攻するかもしれないとされます。これはDXでもAIでも予想することはできません。なぜならそれはプーチン氏の判断するときの気持ち一つなのです。それこそ、その日の天気や気分、感情の起伏具合次第かもしれません。習近平の目指す中国はもっともアナログチックな世界です。

こんなことは世の中、無限にあります。家族関係、人間関係、学校での勉強、仕事へのやる気、老後の過ごし方…これらはすべてアナログでしかないのです。例えば旅行に行ったとき、そこで食べるおいしいものや見聞きする驚きや感動が「また行きたいね」と思わせるのでしょう。中には日本の全ての温泉を制覇するとか世界〇か国行くといった自分の履歴をDX化される方もいます。それは旅行という概念ではなく、デジタルに強要されている別の自分がそうさせるのだとも言えます。

それが悪いことだとは言いません。ただ私は人間であることをあえて強調したいのです。AIもDXも私にとっては補助材料であり、それを利用できる部分は頼るけれどあとは自分の頭で考え、行動するようにしています。

最近の社会事件を見ていると極端な事件が多くなりました。気にいらないと身内や学友を殺す、家に火をつける、詐欺行為や無謀運転…。なぜかといえば人間感情が制御できなくなっている気がするのです。コンピューターはコンピューター内の制御にとどまりますが、影響を与えられた人間はその制御の仕方が分からなくなっている、そんなふうに見えます。

今はデジタルが人間の行動自身を指示しようとします。ナビを使って運転するとき、指示と違う道に行くとうるさく修正要求がナビから求められます。私はA地点とB地点の位置関係と交通渋滞の状況だけを瞬時で見てあとはその方向に自分で考えながら走り、最後、目的地そばだけでナビに頼るようにしています。

これが私のデジタルとの付き合い方です。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2021年12月17日の記事より転載させていただきました。

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会社経営者
ブルーツリーマネージメント社 社長 
カナダで不動産ビジネスをして25年、不動産や起業実務を踏まえた上で世界の中の日本を考え、書き綴っています。ブログは365日切れ目なく経済、マネー、社会、政治など様々なトピックをズバッと斬っています。分かりやすいブログを目指しています。