冤罪と戦いつつ美濃加茂市政奪還を目指す藤井浩人氏と、再選出馬表明伊藤市長の「刑事再審」への誤解

来年1月23日の美濃加茂市長選挙に向けて、2017年12月に執行猶予付き有罪判決が確定し、その執行猶予期間が2020年12月に満了した藤井浩人前市長が、12月13日に立候補の意向を表明した。藤井氏は、収賄冤罪事件について、既に名古屋高裁に再審請求を行っている。

一方、現職伊藤誠一市長は、昨日(12月17日)市長選挙への出馬会見を行った(会見内容については、岐阜新聞12月18日朝刊による)。

左:藤井浩人前市長 右:伊藤誠一市長

伊藤氏は、藤井浩人氏が収賄冤罪事件で逮捕・起訴された時、市長室内で市長を直接支える総合戦略室長として、藤井氏の逮捕直後から弁護活動を続けてきた私とも頻繁に連絡をとり、不当な警察捜査・検察の起訴に惑わされることなく藤井市政を継続できるよう、粉骨砕身してくれた人だ。藤井氏有罪が確定し、市長失職となった際に副市長であった伊藤氏は、藤井市長の要請で、敢えて市長職を引き受けてくれたことにも、「藤井市政への継続」への熱い思いを感じた。伊藤氏が、昨日の会見で、その時の「美濃加茂市に帰ってきて頂きたいというのが、その時の正直な思いだった」と率直に述べたのは、伊藤氏の誠実な人柄によるものだろう。

その伊藤氏が、ようやく藤井氏が公民権停止期間も終わり、市長への復帰をめざせることになった時点で、藤井氏の対立候補として再選をめざして市長選に出馬すると聞き、複雑な思いだ。伊藤氏の4年間の市長職で図らずも生じてしまった「市政にまとわりつく利権勢力とのシガラミ」によるものなのだろうか。

伊藤市長は会見で、

「再審請求と市政運営を同時に進めるとなると、庁舎を離れた行動も出る。(裁判に専念する時間もあり)、市政運営に緊張感を生むのでは」

と発言した。藤井浩人氏が冤罪であることを、美濃加茂市の中で誰よりも確信しているからこそ、今すぐにでも、「再審裁判」の手続が始まると考えての発言だと思うが、そこには、「刑事再審」という手続についての大きな誤解がある。

先月末、再審請求書を名古屋高裁に提出し、受理されたが、まずは、来年3月までに提出される検察官の意見書を待つことになる。その後、裁判所で、再審を開始すべきかどうか、再審の請求の理由についての審理が行われるわけだが、いつ、どのような事実取調べ始まるのかは、全くわからない。事実取調べが始まったとしても、対応するのは検察官と弁護人で、請求人本人は、手続には全く関わらない。名古屋高裁で、「再審を開始すべきだ」という判断である「再審開始決定」がいつ出るのかも、全くわからない。

藤井氏本人が再審の手続に直接関わることがあるとすれば、それは、「再審開始決定」が出て、それが確定し、実際に「再審裁判」が開始された時である。我々は、一日も早く実現したいと考えているが、日本の刑事再審の現状からすると、実際に再審裁判が始まるとしても、まだまだ先の話だ。

ということなので、伊藤氏が言う「再審と市政運営との緊張関係」というのは全くの杞憂だ。

伊藤市長ですら、このような誤解をすることの背景には、刑事事件で執行猶予付きの有罪判決が確定し、その執行猶予期間が満了したことの法的な意味と、社会的事実として「冤罪」を訴えることとの関係が、十分に理解されていないことがあるように思う。

その関係について、少し整理して解説しておきたい。

刑法27条で

「刑の全部の執行猶予の言渡しを取り消されることなくその猶予の期間を経過したときは、刑の言渡しは効力を失う。」

とされている。執行猶予期間が満了すると、法的には、執行猶予判決を受けたことの効力はなくなる。履歴書の賞罰欄に前科を書く必要もなく、各種資格取得の際の提出書類などで前科を申告する必要も法的にはない。政治家として、公職の候補者として活動する上でも法的には全く問題はない。

藤井浩人氏は、法的には、美濃加茂市長に初当選した際と同じ状態であり、市政に取り組んでいくことについて何ら障害はない。

ただ、執行猶予期間が満了して、法的には言渡しの効力がなくなっても、美濃加茂市長になる前の市議時代の収賄事件で有罪判決の言渡しを受けたという事実自体は消えない。

その「有罪判決の事実認定が誤っている」ことを、藤井氏はずっと訴えてきた。一審判決は、証人尋問、被告人質問など詳細な事実審理の結果に基づいて正しい事実認定をし、無罪の判決だった。その一審の判断を覆した控訴審の有罪判決が誤っていることは疑いの余地のないものだが、刑事事件で一旦「誤判」の裁判が確定してしまうと、過去の事実としての「誤判」を裁判手続で明らかにする方法は「再審」しかない。

今回、その「誤判」である有罪判決を覆す新規・明白な証拠が得られたので、再審請求に至ったものだ。

藤井浩人氏が無実で潔白であることは、これまで、彼の冤罪を晴らすことを支え続けた多くの有力弁護士が確信している。今回の再審請求は、弁護人として、逮捕直後から主任弁護人として弁護を担当した私のほか、元東京高裁部総括原田國男弁護士、刑事弁護で著名な喜田村洋一弁護士も加わってくれている。

しかも、想定外の控訴審逆転有罪判決以降は、上告審、民事訴訟、再審請求と、多くの弁護士が、経済的に苦境にある藤井氏の冤罪を何とか晴らしたいという思いから、ほとんど報酬も受けず、冤罪を晴らすための活動に当たっている。「この事件は冤罪だ」という強い確信がなければ、このようなことはあり得ない。

一旦確定した有罪判決を「再審」という刑訴法の手続で覆し冤罪を晴らすことは容易なことではないが、真実を明らかにするための藤井氏の闘いは、しっかり支えていきたいと思う。

そのような「真実を明らかにしていくための闘いを続けること」と、藤井氏自身の「市長職に復帰して美濃加茂市民のために市政を担っていくこと」とは全く別の問題だ。

我々弁護団が再審開始に向けて闘う一方で、藤井氏が、一日も早く美濃加茂市長の職に復帰し、市民のための市政を実現することを望んでいる。

それにしても、若き市長を支え、不当な警察・検察の捜査・起訴にもめげす藤井市政の継続に尽くし、失職に追い込まれた市長に代って市長を引き受けてくれた伊藤氏が、「藤井市政」ではなく「伊藤市政」の継続をめざして選挙に臨まざるを得ないことに、今なお残る「地方自治の闇」のようなものを感じるのは私だけだろうか。