関東や東京では「身を切る改革」は響かない?それでも断行するにはワケがある

こんにちは、音喜多駿(参議院議員 / 東京都選出)です。

先日、生田よしかつさんのネット番組に出演した際に、東京・関東における「身を切る改革」の肌感をお話したところ、一部で激しい議論の呼び水になりました(汗)。

上のTweetや過去ブログに書いたことがほぼすべてではありますが、「身を切る改革」の意義については埼玉維新・幹事長の津田まさのり上尾市議が端的にまとめて下さっています。

一つには「政治・政治家のあり方を変える」という覚悟を端的に示すもので、気合い的な精神論の意味合いもあると思います。

しかしそれが「単なる精神論おつww」と馬鹿にできるかと言えばそうではなくて、私も津田議員と同様、こうした口だけではない「本気度」が行政や政策を動かすことはあると実感しています。

そもそも議員報酬の多寡というのは複雑な要素が絡み合っていて、「身を切る改革」を断行すれば薄給すぎて良い人材が集まらないという反面、お金目当てで議員になろうという人を一定程度は回避することができます

議員自体の給料を上げたほうが政界自体に良い人材が集まるという指摘はもっともである一方、議員報酬・歳費が次の選挙のために使われているという実態の中ではますます現職ばかりが強くなり、逆に新人の参入障壁が高くなるという副作用も起きます。

なかなか難しいのです。

ただここでも実感として言えるのは、国会議員の給与については歳費2割カット・ボーナス3割を自主カットしていても、決して裕福な暮らしはできないものの、都内で子育てをしながら生活を維持できるので私は十分かなあと思っています(貯蓄までしようと思えば、パートナーの収入が頼りになりますが)。

町田市長選挙に維新公認で挑戦予定のおくざわさんは、「政治に信頼を取り戻す」という観点から、わかりやすい一つの指標として身を切る改革を掲げています。

昭和の慣習でずっと残っている首長の4年毎の退職金は有権者感覚では意味不明であり、これについては全面的に廃止が私も望ましいと思います。

いずれにしても、「身を切る改革」は大前提・出発地点であって、その先に何を成すかも重要

東京・関東でも皆さまの期待に応える実績が出せるよう、全力で邁進をしていきます。

それでは、また明日。


編集部より:この記事は、参議院議員、音喜多駿氏(東京選挙区、日本維新の会)のブログ2021年12月25日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は音喜多駿ブログをご覧ください。