こんにちは、フローレンスというNPOの経営をしている駒崎です。
実は3ヶ月前に、精神科クリニックに行って発達検査を受けてきました。
その顛末の開示をしようと思います。正直、自分の裸を公共の場で晒すような恥ずかしさで、自分の中だけで抱えていこうと思っていたんです。
ですが、ふと、「ちょっと待てよ。これは同じような生きづらさを抱えている人もいるのではなかろうか。だとしたら、この小さな経験をシェアした方が、人々の力になるのではないか」と思ったんですね。
でも恥ずかしい。人様に言うことでもないだろう。いや、自分が恥ずかしいくらいなんだ、と。誰かの役に立つために仕事してるんだから、自己開示くらいでビビっちゃだめだ。そう思って、共有したいと思います。
なぜ発達検査を受けようと思ったのか
まず、なぜ発達検査を受けようと思ったのか。それは仕事上のコミュニケーションにおいて課題を抱えていたためです。
弊会フローレンスで導入しているリーダーシップ調査(360°評価)等でも、「ビジョンと成果を出すこと全振りで、傲慢で批判的で心理的隔たりがあって感情知性がない人」と解釈できる結果でした。ガッデム、俺最悪。
しかも、10年くらい前から同じ調査やってて、全然変わってないんですよ、結果が。コーチングやったり、研修やったり、内省したり、瞑想やったり・・・って自己変革の努力を重ねてきたんだけど、全く変わらない。
それに加えて、自分が経営者としてマネジメントする中で、自分の見えているものをうまく伝えることができず、一部のメンバー達に大きな不安や誤解を与えてしまうこともしばしばありました。
よく、「組織はトップの器以上に大きくはならない」と言われます。
フローレンスは日本の子どもと親を支える組織で、もっともっとたくさんの子どもと親を支えていきたいと思っているのですが、自分自身の器がフローレンスの成長のボトルネックでは無かろうか、と。メンバー、仲間達ではなく、自分こそが変わらねばならないのではないか、と思い、自分の特性と向き合おうと思ったのです。
検査を受ける前の仮説(と期待)
実は僕はこの発達検査によって、自分は「発達障害である」というお墨付きを得られると思っていました。小さな頃から学校の授業が退屈で先生から嫌われていて、だから学校が大嫌いで授業中は全然違うことをしていて。
友人たちとも考えや行動が違っていて、25年前は珍しかった高校留学など、違う道を歩みました。周りの大人は歳の離れた姉など一部の人しか僕を認めてくれてはおらず、いつも反対や揶揄ばかり。「自分は誰にも分かってもらえていない」という思いを抱え続けていました。生きづらかったです。
大学生で小さいながらもIT企業の経営者になり、仕事と初めて出会って楽しかったです。卒業後にフローレンスを起業してからも仕事自体は好きで、でもコミュニケーションは辛かった。人のことは信じたいけど、どんどん辞めていくし、心を寄せることが怖くなってしまいました。
仕事がら福祉の勉強をしていく中で、発達障害やASD・アスペルガーの特性を知って、「あ、これ自分じゃん」と。自分の課題にピッタリと名前をつけてもらって楽になりました。うん、特性だったら仕方がないよ、と。
友人の発達障害の専門家にも「こまちゃんみたいなのは、典型的な発達障害だからねー」みたいに言われていて、ほぼ確定だと。
ただ、まだ診断を受けたわけではないので、ちゃんと医学的に診断を受けよう、と。名前をつけてもらえたら、何だか安心できるかもしれない。薬もあるので、それによって改善する部分もあるし、認知行動療法とかを組み合わせて、人並みとは言わないまでも、多少社員とのコミュニケーションを改善させられることができるのではないか、と思ったのです。
なので包み隠さず言えば、ちゃんと診断が出てくれること、名前をつけてもらえることを願っていました。
結果
以下、精神科医の先生との会話
医師「結論から申し上げますと、駒崎さんは発達障害ではない、という結果が出ました」
駒崎「え。いや、え、いやいやいやいや!先生、それはちょっとないでしょう」
医師「結果をもとにご説明しますね。まずFSIQ、これは全体IQですが、平均100のところ、駒崎さんは126です。上位3%に属します。言語理解VCIのIQは130で、これは上位2%です。単純なことを処理する能力は105なので相対的にやや低いですが、それでも平均以上です。全体として、非常に知能が高いんです。特に言語能力に関しては、人の2倍あると思ってください。
そうだとすると、一般的にですが、周りの人にとっては、駒崎さんの思考のスピードについていけない、ということがまま起きるでしょう。ABCDという論理があったとして、駒崎さんはBCが自明でA→Dという風に話を進めようとしますが、周りの人にとっては飛躍に感じるので理解できません。駒崎さんにとってはイライラしてしまったり、話が通じないという感覚を持つでしょう」
駒崎「マジですか。今まで、「みんな理解してくれない。それは僕を愛してくれていないから、好きじゃないから」と思っていました」
医師「単に言語能力などの話なので、そうではないでしょう。話のスピードを合わせたり、噛み砕いたり、最後まで人の話を聞いたりすることで改善できるしょう」
駒崎「いや、でも納得できません。小さい頃から授業では退屈で動き回っていたし、だから先生にも嫌われていて、学校が嫌いだったんです。典型的な多動でしょう。知能が高いと言っても、別にテストの点数もそこまで良かったわけではありません」
医師「授業が退屈だったのは、簡単すぎたからなんでしょうね。知的能力が高いと、先生が劣っているように見えてしまうこともあります。多動の傾向はありますが、それも障害というレベルではありません。むしろ強みになっているような気がします。また、テストで測れる能力は処理能力ですが、そこが相対的に強いわけではないから、分かりづらかったんでしょうね」
駒崎「うーん、でも、これじゃあ僕は「単にコミュニケーション能力がない人」ってことになるじゃないですか」
医師「コミュニケーション能力が無いのではなくて、周囲と理解したり考える速度や質が違うだけなので、努力によって改善が可能です。
駒崎さん、IQが高いというのは、基本的には良いことです。
その能力の高さを生かしていけば、駒崎さんの抱えていらっしゃる課題は解決できるのでは無いでしょうか」
駒崎「・・・。これ、もしかしてもっと早く受けた方が良かったんじゃないですか。そしたら生きづらい思いしなくて済んだかもしれない。自分の人生、なんだったんでしょうか」
医師「そうですね。一般的にはこういう検査は受けませんしね。ただ、「受ける必要がある」という強い動機がなければ、それを生かすこともできないので、今が良いタイミングだったんだと思いますよ」
受け止め
自分としては、とてもショックを受けました。
自分が小さい頃から30数年抱えてきた生きづらさ。それは他者や周囲の環境のせいだと思っていたものが、実は自分側に要因があった、ということ。
自分で創り出していた幻想(誰も自分を分かってはくれない)に苦しめられてきた人生だったこと。苦しみや生きづらを感じる必要がなかったかもしれないことに、愕然としたのです。
第三者の方からすると、「発達障害じゃなかったから良かったじゃん」「自分が思うより頭が良かったんだから、何もショックを受ける必要なくない?」という風に言われてしまうかもしれないのですが、自分が持っていた認知で失ってきたもの、理解せずに断ち切ってしまった人との繋がりを思うと、本人としては悔いても悔いきれない思いを感じてしまいました。
しかし、同時に「これからどうしたら良いか」も見えてきました。自分としては以下の施策を取っていくことにしました。
- 「コミュニケーションが苦手」というのは特性ではなく、努力で克服可能な「能力」として位置付け、トレーニングを行う
- 具体的には「聴く」ことを徹底し、受容的・共感的コミュニケーションを行えるように訓練する
- 意識してなかった、「自分の思考速度」「自分の知的能力」を意識し、周囲に対し考えをアウトプットする時に受け取りやすく、理解しやすく工夫する
- 「理解されない」ことを「受け入れられていない」「好かれていない」と誤読しない。単に説明不足なだけ
まとめ
今回の発達検査では、自分が確信していた発達障害という特性そのものを発見することはできず、当初の意図と異なる結果とはなりました。
しかし、自分としては非常に大きな学びがあり、今後の人とのコミュニケーションの取り方、ひいては大袈裟に言えば、生き方そのものにも関わるような、世界の見方の転換があったように思います。
これはN=1の僕の体験に過ぎませんが、もしかしたら同様の生きづらさを抱える方々にとて、こうした発達検査を受け、自分の特性を知ることが、ある種の支えとなったり、前進していくための灯りになったりするかもしれない、と思いました。
僕の場合は、費用は2万円ほどかかり、最初の受診、検査、検査結果を聞く、ということで3回ほど精神科のクリニックに行かねばならないという手間はありますが、それに見合う学びと洞察が得られました。
僕の体験が、皆さんに少しでもお役に立てたら、と願ってやみません。
編集部より:この記事は、認定NPO法人フローレンス代表理事、駒崎弘樹氏のnote 2021年12月31日の投稿を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は駒崎弘樹noteをご覧ください。