北京五輪とウクライナ危機とインドのボイコット(前編)

唐突だが以下の文章の①~③に相応しい国名をお考え願いたい。

(①)はその平和主義的な発言にもかかわらず、世界の信頼を完全に裏切って、あらゆる地域で類例のない侵略行為を働いている。(①)の侵略を止めるためにはその軍事力を叩くしかないという主張がますます説得力を持つ所以である。(①)の西方では(②)がすでに(①)の属国となってしまった。南では(③)が領土の一部を(①)に奪われただけでなく、残された主権も征服者(①)の思うままになっている。

実は、この記述はロシア通史学者のオーランドー・ファイシズが2015年3月に上梓した大著『クリミア戦争』(白水社)の引用で、この一節は1838年に匿名の著者が出版し、当時の英国の高級紙の読者層の間で広く読まれた『インド、大英帝国、ロシア』という表題の小冊子のもの。

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従って正解は、①=ロシア、②=ポーランド、③=オスマン帝国なのだが、この①を中国、②を新疆ウイグルや内モンゴル、③をチベットやインド北部、そして中国が入植を加速するブータンと置き換えてもほぼ違和感がない。共産中国の膨張は斯様に帝政ロシアや旧ソ連のそれを真似たものだ。

ウイグルや香港での人権侵害などを理由とする外交的ボイコットの影響で、4日の北京五輪開幕式に出席するのは僅か25カ国、そのうち主要国の元首はロシアのプーチン大統領だけといってよい。

習近平がプーチンを「親友」と述べているのは知られているが、3日の米政治メディア「The Hill」は、「オリンピックは物議を醸す両首脳が直接対面する重要な機会」とする米国の安全保障専門家ジェイコブ・ストークスの以下のコメントを報じている。

二人ともますます個人化された権威主義体制の頂点に座っている。その点で彼らは気が合う。中国がロシアに軍事行動をとるよう促しているとは思わぬが、モスクワと北京は共に自分達と政治体制の存続が攻撃を受けていると考えている。

二人が(特に米国から)攻撃を受けていると考えていることは、その通りと思う。が、二人の「気が合う」と思わないし、習と一緒にされるのはプーチンにはむしろ迷惑なのではなかろうか。例えば暴動が起きたカザフで中露の利害は相反するし、プーチンは習を利用はしても運命を共にする気などあるまい。

ウクライナ危機

独海軍トップのシェーンバッハ提督が1月21日、インドのシンクタンク主催の討論会で「プーチンが望んでいるのは尊敬されることだ」と指摘、「誰かに敬意を払うのは・・コストがかからない場合さえある」、「彼が求めている尊敬を実行するのは簡単で、恐らくそれに値するだろう」と述べた。

更に彼は、ロシアのウクライナにおける行動は是正される必要があるとしつつ「クリミアはもう返ってこない」とも述べ、非難されて辞任した。が、筆者はこの提督の言に首肯する。米海軍の提督のいう「北京の台湾侵攻」は是としながら、ドイツ提督のこの見立てを否定するのはバランスを欠く。

ウクライナ危機は、不人気なバイデン政権のマッチポンプではなかろうか。なぜなら当事者の片方ロシアは、プーチンもラブロフ外相も「戦争を望んでいない」と明言しているし、ウクライナのゼレンスキー大統領も、「西側諸国はパニックを作り出すな」と28日の記者会見で述べている。

在日ロシア大使館は19年12月10日、「『ノルマンディー・フォーマット』パリ首脳会談共同合意事項」のニュースを次の様に伝えた。

フランス大統領、ドイツ首相、ロシア連邦大統領、ウクライナ大統領は、本日パリで会談を行った。ミンスク合意(2014年9月5日ミンスク議定書、2014年9月19日ミンスク覚書、2015年2月12日ミンスク包括的措置)は「ノルマンディー・フォーマット」の根拠であり続けており、参加各国はその完ぺきな実現に忠実である。上記首脳は、ヨーロッパ安全保障機構の原理に基づき、ヨーロッパにおける信頼と安全の安定した総体的な仕組みを構築することを一致して志向することを強調し、そのためウクライナにおける紛争の調停は重要なステップのひとつである。

そして本年1月26日にパリで開催された「ノルマンディー・フォーマット」では、「ミンスク合意の他の側面への意見の違いにも関わらず、『停戦合意の無条件の尊重が確認」された(岩間陽子政策研究大学院大学教授)。

プーチンはクリミアを取った。が、この地域には長く複雑な歴史がある。地域住民の「投票」もあり、冒頭の帝政ロシアや旧ソ連の一方的な領土拡張とは趣が違う。まして、侵攻を否定しているウクライナを、武力統一を辞さないと習が公言する台湾と同列視されるのは、プーチンには不本意だろう。

事が起きるとすれば、それは米国に圧迫された日本(ドイツ占領下とはいえヴィシー政権の了承を得た日本の南部仏印進駐に対し、在米日本資産の凍結、対日石油全面禁輸やABCD包囲網を敷いた)の1941年と同様に、プーチンを「窮鼠猫を嚙む」状況に追い込んだ場合だろうと思う。

米上下両院では「バイデン政権が侵略の脅威に立ち向かうために同盟国と調整」しながら米露の緊張に関する国防長官と国務長官主導の機密ブリーフィングを受け、「多くの議員らは米国が侵略に先立って懲罰的な制裁を制定する必要性を改めて強調した」様だが、80年前を再現するつもりか。

ソ連崩壊後、リトアニア、エストニア、ラトビア(バルト三国)がNATOに加盟、93年以降に加盟したポーランド、ルーマニア、ハンガリー、ブルガリア、チェコ、スロバキアと、ロシアに接するEU東部でブカレスト・ナイン(B9)を構成した。プーチンのNATO東方拡大への懸念は宜なるかな。

だがバイデン政権は1月26日、プーチンの「ウクライナをNATOに加入させない」との要求を拒否する文書を発した。ロシアが米国に要求したのはNATO条約の第10条に以下の条文があり、米国が大きな権限を有することにも依る。

第10条(加入)
締約国は、全会一致の合意により、本条約の諸原則を促進し北大西洋地域の安全保障に貢献することができる他のいかなる欧州の国を本条約に加入するよう招請することができる。招請されたいかなる国も米国政府に加入書を寄託することにより本条約の締約国になることができる。米国政府は各締約国に当該加入書の寄託を通報する。

ブリンケン国務長官は回答文書を公表しないとしつつ、文書には米国が守るべき「基本原則」があることが「明確」になっていると述べ、基本原則を「ウクライナの主権と領土の一体性、各国が独自の安全保障体制と同盟を選択する権利など」とした。

NATOの第5条(集団防衛)では、締約国は「一又は二以上の締約国に対する武力攻撃を全締約国に対する攻撃とみな」し、「締約国は、武力攻撃が行われたときは、国連憲章の認める個別的又は集団的自衛権を行使して」、「必要と認める行動(兵力の使用を含む)を個別的に及び共同して直ちにとることにより、攻撃を受けた締約国を援助」せねばならない。

ならば、ロシアとの領土問題を抱える目下のウクライナがNATOに加盟し、かつ米国が「基本原則」を貫く場合、第5条に基づくなら加盟国とロシアの戦争は必至だ。裏を返せば、米国の回答は「ウクライナのNATO加盟を認めない」と述べているに等しく、プーチンの軍隊集結もそこに狙いがあると思う。

いっそのことバイデン政権はプーチンにNATO加盟を促したらどうかとも思うが、現下の微妙なバランスはすでに「NATOとロシアとの集団保障の状況」といえなくもない。

紙幅が尽きたので「インド」のことは後編で。