在宅医療ケアの「密室犯罪」を防げ

五十嵐 直敬

埼玉県ふじみ野市で在宅医らが死亡した90代患者宅を弔問したところ、60代の息子に散弾銃で撃たれ医師が死亡、他重症等という最悪の事件が発生した。「在宅の密室」を犯罪やハラスメントの場にしないよう、超高齢化社会を支えるためにも教育啓蒙、制度整備そして社会の監視が必要だ。

報道によると犯人は以前から複数の医療機関で様々なトラブルを起こしていたらしく、モンスター・ペイシェントあるいはカスハラ(カスタマー・ハラスメント)だった様子がある。つい先日は大阪でメンタルクリニックが放火され25人もが死亡した大事件も発生した。

リスクマネジメントの基礎として知られるハインリッヒの法則に従えば、小さなトラブルが多発していたなら重大トラブル事件を予測できた可能性がある。医療安全が言われて久しいが、患者のリスクだけでなく医療・ケアする側のリスク回避それも悪意の人的リスクも考えるべきだ。

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2000年の介護保険制度開始後、公的財源や適地の制限から特別養護老人ホームのような公的介護施設の新設が減速し、代わって介護保険サービス利用による在宅療養、在宅介護、また「終の住処」としてサービス付き高齢者住宅(サ高住)が推進されてきた。それを支えるため医療側では訪問診療が制度化され、在宅医、訪問看護ステーションが急増した。

特に在宅医療の主治医機能を持つ在宅医療支援診療所は現在14000カ所ほど、近年急増している民間有料老人ホームやサ高住の入居者含めて80万人以上が在宅療養し在宅医療・在宅ケアを受けている。さらに訪問看護ステーションが12000カ所強8万人弱、いわゆるホームヘルパー、訪問介護事業所が35000カ所弱51万人弱が従事している。これだけ多くの人が「在宅という密室」に入っていくのである。

「在宅は密室」ゆえに犯罪やハラスメントの温床となり得るため慎重な注意が必要、と筆者は90年代すなわち訪問看護草創期(在宅医療はその後整備)に訪問看護を始めたとき、まず教えられた。これだけ多数の医療者ケア者が「密室」に入り込みながら、凶悪事件がこの20年少なくとも筆者の知る限り報道されなかったことは奇跡と言うべきだろう。

しかし15年以上前の八戸大・篠崎良勝氏の調査をはじめ訪問看護師やホームヘルパーの4割から7割もがセクハラや暴力の被害経験があることが知られており、中には薬物を「盛られ」性的暴行未遂事件すら報告されている。ハインリッヒの法則に基づけば、これら比較的小さな事件の果てに重大事件が起きることは予測可能だったとも言える。

筆者は1999年、2010年と訪問看護ステーションを新設しているが、職員マニュアルには在宅の密室としての危険性、セクハラやパワハラ、暴力対策を明記し教育し、Webでもマニュアル公開してきた。さらに契約書には強制解約事項としてハラスメントや暴力を明記していた。病院等と違う「その方の居場所」での医療やケアはときに互いにある一線を引く必要がある、それらメンタリティやノウハウは「在宅マインド」と言うべきであろうか。

しかし一部研究者や筆者のような現場経験者の声は大きな声、警句として届かなかった。はるか以前の1979年に大工原秀子保健師が「高齢者も性欲がある」と警句を発していたのに、それをタブーとして「見ないふり」してきた結果の事件と犠牲であれば、保健師マンとして実に口惜しきことである。

一方で超高齢化と民間有料老人ホームの急増をビジネスチャンスと捉えた一部開業コンサルタント等が、開業を志望する医師を抱き込み訪問診療専門クリニックを開設させる例が目立つ。ある意味安易に在宅医療の展開を為したことが、本来在宅適応ではない患者や「密室」での対応が不適切な患者をも収益のため取り込み、また十分な「在宅マインド教育」無く、それが事件発生の下地になったことは否めない。同様の事情は訪問看護にも存在する。

医療機関での暴力事件は全日本病院協会調査の任意回答だけでも年に6882件、警察に通報したものが397件あるという。筆者が在籍していた救急病院は警察OBを保安担当として配置していたが、そのような予防的対応はほとんど見聞きしない。

ハインリッヒの法則の「頂点」、重大死亡事件が起きたからには、「氷山の水面下」を意識し、全ての医療者ケア者は「患者、利用者から危害を加えられるリスク」を意識しマネジメントする必要があり、行政もそのような情報を収集、対策すべきだ。

特に在宅医療・ケアの場は「密室」であり特段の注意と対策が必要になる。犠牲になられた医師の死と志に報いるためにも、これを決して他山の石にしてはならない。善き医療やケアを提供するためにも、医療ケア提供者の安全を護る必要がある。

最後に、亡くなられた医師の御霊安らかなることと、重症を負った職員の方のお早い快癒を心より祈念したい。

五十嵐 直敬
新西横浜街の医療ケア研究室代表。平成7年北里大学看護学部卒。保健師、看護師。大学病院から外来、訪問看護・在宅医療から介護サービスまで幅広い場で緩和ケアを実践、所長、施設長等を歴任。臨床の傍ら教育とコンサルに携わる。

【参考】
訪問看護ノート2/訪問の心構え
在宅医療の最近の動向(厚労省)
在宅医療の現状(厚労省)
在宅療養支援診療所の展開−24時間対応する医師の負担をどう緩和するか?
在宅患者が80万人を突破、施設入居者がけん引:日経メディカル
訪問看護の現状とこれから 2021年版
事業所数や従事者数の統計、2019年介護サービス施設・事業所調査の概況(厚労省)
令和元年介護サービス施設・事業所調査の概況
ほくやくtopic 院内暴力 医療機関実態調査・全日病
介護現場でのパワハラ、セクハラ
「ぶっさいくやのー」暴言にセクハラ、性的被害…訪問看護師「暴力を受けた経験5割」の衝撃
介護現場での暴力・セクハラ、訪問看護師の7割超が経験:朝日新聞デジタル
<独自>事件前、複数の病院でトラブルか 埼玉立てこもり
ふじみ野市立てこもり事件 66歳容疑者が凶行に至った「舞台裏」
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