Woke・ポリコレ推進が分断をもたらしている皮肉な実情

谷本 真由美

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ここ10年ばかりの間に世界のエンタメ業界で最も話題になっていることは政治的正しさ、つまり英語で言うとポリティカルコレクトネス、略して「ポリコレ」を既存のコンテンツにどのように反映させていくかということである。

これはどういうことかと言うと、映画やドラマ、漫画、音楽などのコンテンツの中で10代男性や主流派の白人などが中心だった作品を、 女性やLGBT、人種的少数派などの多様な人を登場させて世の中に社会の多様性を認知させていくべきだという考え方である。

コンテンツの世界ででは政治的正しさ=ポリコレが猛威を奮っているわけだが、現実社会では一方でそれに反対する保護者や大人が大勢いるのも事実なのだ。

その変遷は詳細は、私が2021年12月に出版した「世界のニュースを日本人は何も知らない3 – 大変革期にやりたい放題の海外事情」という本に記載したが、今回は海外ではポリコレの行き過ぎが大問題になっている件をご紹介したい。

アメリカでは学校で白人の過去犯したことを犯罪として教えたり、作文や文学作品に出てくる単語をジェンダーニュートラルな単語に置き換える、図書館から現代の感覚では差別的と考えられる文学作品や芸術作品を撤去するという動きが目立っているが、それに対して異議を唱える保護者がでてきている。

例えばアメリカのニューイングランドでは子供を私立に通わせる親達がParents Unitedという団体を設立している。私学連盟に対して、学校で白人が過去に犯したことを犯罪として教えて歴史を見直すという「クリティカルレースセオリー(CRT)」を教えるべきではないと抗議を行っているのだ。

さらにオハイオ州で学費が年に350万円を超える私立校Columbus AcademyではWoke文化を推進しているが「子供の自尊心を傷つけ、人種による分断を煽ることは児童虐待であり教育ではない」と激怒した親が子供を退学させる騒ぎになっている。

このような学費の高い学校に子供を通わせる親達は裕福な階層の人々なのだが、実はアメリカでは保守的な価値観を持っていることが珍しくない。信心深く、LGBTに反対する親も少なくないのだ。これは日本ではほとんど報道されないアメリカの一面である。

New England parents fight 'woke' teaching at private schools
The Boston-based group Parents United said parents were 'shocked' when they saw their children's online lessons at home during the pandemic.

アメリカではこのようにコンテンツ業界におけるポリコレだけではなく、教育現場におけるWokeやLGBTに反対する親が出てきているわけだが、イギリスの場合はここに宗教的な問題が絡んでくる。

例えば最近話題になったのが、北部の大都市であるリーズにほど近く、西ヨークシャーにあるBatleyという町にある公立進学校のBatley Grammar Schoolの事件である。

Batleyは元々紡績業が盛んだったため、1950−60年代に南アジアから大勢の移民労働者を受け入れ、現在は人口の20%程が南アジア系の移民である。町の東側は人口の50%以上が南アジア系のイスラム教徒だ。人種によって住む場所が大まかに分かれているので、特定人種が多い地域、少ない地域とわかれている。イギリスの地方都市はこの様な町が珍しくない。紡績業や重工業が盛んだったころに多くの南アジア系の移民を入れ、彼らがそのまま定住したのである。

この学校は生徒も大半が南アジア系で、イスラム教が主流である。

29歳の教員が宗教の授業でフランスの政治風刺雑誌Charlie Hebdoが掲載したモハメッドの風刺画を使用した。風刺画を例として使用しただけで、イスラム教を批判したわけではない。ところがこの風刺画の使用に対して、学校の保護者から大規模な抗議運動が起こり、学校の周囲を連日抗議者が取り囲み、警官隊が出動する騒ぎになったのだ。

この教員は学校側で授業内容を調査されることになった。授業内容も見直しが行われると宣言された。

しかし授業ではあくまで例を提示しただけなので、この教員がこのような制裁を受けるのは許されないと言う意見の人が多かった。中央政府や宗教指導者も介入し、この教員の地位を保全するべきだという署名が7万通も集まるという国を上げた大騒ぎになった。

保護者による過激な抗議運動のために教員は出勤できない状態となり、とうとう身を隠して暮らす羽目になった。驚くべきことにこの教員の両親も身の危険のために自宅には滞在できず、警察から安全保護のために訪問を受けることになったのだ。

この件で、学校の保護者や生徒だけではなく、町は教員支持派と不支持派で割れた。イスラム教徒も世俗的な寛容派と過激派が存在し、意見が対立している。

イギリス政府は学校と教師の表現の自由を保証し、この様な抗議運動は許されないと断言している。

しかし授業ではあくまで批評や時事問題の題材として風刺画を提示しただけなのに、保護者から過激な批判を浴びてしまい、命の危険を感じるまでになってしまった。この事件を受けて、イギリスの教員がかなり敏感になっていることは言うまでもない。

社会全体でWokeやポリコレを推進する一方で、批評の題材として教材を提示した教員の生命が侵される状態になってしまうというのが北米や欧州の現実なのである。

社会として「保護者の表現の自由」「批判の自由」を保証しているので、彼らが教員に抗議することを止められなかったのだ。警察や政府がこのような教員に抗議運動をした人々を隔離したり刑罰で罰することもできない。

「自由で多様性がある社会」というお題目がある一方で、このような事が起きているのも、北米や欧州の現実だ。

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‘Eventually they will get my son and he knows this,’ says father ‘His whole world has been turned upside down. He’s devastated and crushed’