お涙頂戴のスポーツ・ジャーナリズムに失望
北京冬季五輪のスキージャンプ混合団体で、高梨沙羅選手がスーツの規定違反で失格となり、日本にとっては反省すべき点が多いはずです。私もテレビ観戦中に失格を知り、「どういうことか」と驚きました。
テレビ放映は、「何があったの」「なぜ防げなかったの」という肝心の疑問は素通りし、今朝の新聞を見ても、スポーツ・ジャーナリズムの底の浅さを感じました。ファンに与えた衝撃を即座に解析する力が欠けています。
開会前から優勝候補に挙げられていました高梨沙羅選手は、ノーマルヒルでもメダルに届かず、ツキから見離されていましたから、あまりにも悲劇的な追い討ちです。これこそ背景を掘下げて伝えるべきテーマです。
翌朝の新聞は十分に解説しているだろうと思っていました。朝日新聞は「2日前のノーマルヒルと同じスーツを着ていた。痩せてしまった可能性がある」(朝日新聞)と。「選手は日々、体格が変わる。体の水分が抜けると、脚の太さも変わる」(読売新聞)だそうです。
国際スキー連盟(FIS)は、空中での浮力に影響するため、ジャンプスーツの規定を定めています。「スーツは選手の体にフィットする必要がある。男子は1-3㎝、女子は2-4㎝の差がその許容幅」とか。
高梨沙羅選手は「競技後に受けた事後検査では、スーツの太もも回りが左右とも、2㎝、規定より大きかった」(読売)。許容限度をさらに2㎝、上回っていたということでしょうか。記事からは詳しいことは分かりません。
「帯同した縫製役が当日に縫い直して微調整をするほど、規定ぎりぎりまで浮力を得やすい状態にしたスーツでジャンパーは勝負する」(日経)そうです。そうなると、失格は高梨沙羅選手の責任では全くないのに、泣き崩れるのは選手ばかりです。釈然としません。
同じ競技でその夜は、ノルウェー、オーストリア、ドイツの女子選手がスーツの規定違反で失格になっています。「06年のトリノ五輪で原田選手がそれで失格となったことがある」(スポニチ)となると、われわれが想像している以上に失格が多いということでしょう。
かつての金メダリスト、原田雅彦さんは「目視すれば分かる。チエックすれば分かる」(スポニチ)と指摘しています。つまり見落としたコーチ側に全責任があるとの断罪に聞こえます。正解と思います。
「しばしば規定違反の失格がある」「脱水や寒さでも体の部位の太さが変化する」「氷点下、標高の高い分、スーツは伸縮する」「規定ぎりぎりの数値で勝負する」などの指摘に接すると、コーチ側の責任は重大です。
高梨沙羅選手は2回目のジャンプでは、別のスーツに着替えて競技に臨んだといいますから、いつもスーツは何着も用意しているはずです。
そこで問題は、コーチ陣は何を考えていたかです。失格の責任の焦点はそこにあり、ジャーナリズムはその点を追及すべきなのです。
「日本、意地の4位、全員で盛り返す」(産経)、「高梨が涙、涙」(スポニチ)、「どうしてオリンピックの女神は沙羅ちゃんに微笑まないのか」(TBSの安住氏)と。日本のスポーツ・ジャーナリズムは、こうしたお涙頂戴ものが前面にででてきます。
防げるはずの失格を再び、繰り返さないように、当日のチェック体制を事後検証してもらいたい。同時にスポーツメディアは、お涙頂戴節からどう脱皮するかを考えてほしいのです。
編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2022年2月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。