コラムのタイトルをみて思い出される読者もいるだろう。20年前、ソルトレークシティ冬季五輪大会のショートトラック競技で金メダルを獲得したオーストラリア選手の名前だ。同国では英雄であり、郵便切手にもなったスポーツ選手だ。ただ、ブラッドバリー氏はオーストラリアの水泳の英雄イアン・ソープ選手のような多数の金メダルを獲得したという意味での英雄ではない。レースではアウトサイダーと受け取られ、コーチからも、「お前はチャンスがないから、倒れないように滑れ」とアドバイスを受けたほどだ。その選手は強豪選手が次々と倒れたため、金メダルを取ったのだ。「これほどの幸運なオリンピックチャンピオンはいない」といわれた。
金メダリスト候補者が次々とゴール直前にぶつかり、倒れ、最後を走っていたブラッドバリー氏が1番でゴールを切った時、観ていたファンたちは、「何があったのか」と茫然となっただけではなく、本人も、「何が起きたのか最初は理解できなかった」という。そして、「自分が金メダルを得ていいのだろうか」といった一種の罪悪感すら感じ、長い間、自身の幸運を素直に受け入れることができなかったという。
当時28歳だったブランドバリーにとって、オリンピックは金メダルを得るためというより参加することが全てだった。メダルのチャンスは最初からなかった。予選ラウンドを乗り越え、準々決勝では4人と競争したが、準決勝に入れる上位2人には入れず、3位に終わった。しかし、カナダの世界チャンピオンであるマーク・ギャニオン選手が対戦相手を不法に妨害して失格となったために、ブラッドバリーは2位に上がり、準決勝に進めたのだ。これが幸運の付き始めとなった。
準決勝でもブラッドバリーは残り50ヤードでビリだった。しかし、準々決勝と同じようなことが起き、強豪選手がつまずき、フィニッシュカーブでは、2人のスケーターが互いに衝突した結果、ブラッドバリーは決勝へのチケットを手に入れた。そして決勝では彼は、「今回は積極的に前で滑りたい」と考えたが、コーチは、「君にはチャンスはない」といわれてしまった。米国のメディアは「4匹のウサギと後ろの亀さん」と揶揄った。
その決勝戦でも準々決勝、準決勝の時のように、メダル候補の選手たちが次々と倒れ、ブラッドバリーが結局は1位でゴールを切ったのだ。オー・マイ・ゴッド・金メダルだ!!
幸運が1度だけの場合、「今日はラッキーだった」で納得できるが、幸運が繰り返した場合、少々不気味になるものだ。ブラッドバリーは金メダルを獲得した後も、「自分は本当に金メダリストだろうか」と自問し、時には罪悪感すら感じ、自分の幸運を納得できるまで時間がかかったとエッセイーの中で書いている。
ブラッドバリーの選手生活は常に幸運がつきまとったわけではない。ブラッドバリーは1994年の冬季五輪では5000メートルのチームリレーで銅メダルを取ったが、1000メートルの個人レースでは倒れた。別の試合で倒れた時、相手選手のスケートの刃で太ももを切り、重傷。98年の五輪では食中毒に苦しみ、2000年9月には練習中にリンクに衝突して首の骨を折るなど、厳しい期間を経過してきた。医者は選手キャリアを止めるべきだと忠告したが、もう1度オリンピックに参加したいという思いを消すことができなかったという。
ブラッドバリーは2002年2月16日、金メダルを受け取る時、過去の辛い日々を思い出していた。「自分は最高のスケーターではなかった。1分半のレースではメダルを受け取れないが、過去14年間、1日5時間、週6日練習してきた。メダルはそれに値する」と考え、オーストラリアの国歌を聞いたという。
48歳となったブラッドバリーは今回、北京冬季五輪大会ではテレビ局7newsでショートトラック競技について専門的なコメントをしている。「幸運をもたらす」という意味から、「ブラッドバリーをする」(Doa Bradbury)というフレーズがオーストラリアの辞書にも紹介されている。その意味は棚からぼたもちで成功する、番狂わせで勝つ、だ。
以上、オーストリア日刊紙スタンダート2022年2月7日のアンドリアス・グシュタルトマイヤー記者の記事を参考にした。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年2月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。