新日本フィル × 小泉 和裕

新日本フィルと小泉和裕マエストロのサントリーホール定期は、シューマンの交響曲第1番『春』とフランク交響曲ニ短調。前後半で交響曲2曲は素晴らしく美味しいプログラムだが、観客は思ったより少ない。この公演はクラシック愛好家なら是非聴いておきたい超名演だった。

コンサートマスターは崔文洙さん。シューマンの「春」から、多層的で繊細なサウンドがホールを満たした。優美だが、音楽そのものはとても「強い」感じ。鍛え上げられていて求心力があり、豪華で重量感のあるものが飛行機のように離陸していくイメージだった。小泉さんの決然とした指揮の、迷いのなさに感心した、このオーケストラの初代音楽監督が小泉さんで、それは1975年のことであったが、50年近く経った現在も指揮者は青年のような後ろ姿だった。

この音楽は果たして「強い」のだろうか。強さの意味を考え、芸術の究極の強さについて想いをめぐらせた。オケの「推進力」という言葉の意味が分かったような気もした。指揮者は確かにパイロットに似ている(実際にパイロットになった指揮者もいた)。後退せずに一気に音楽が進んでいく勢いは、表現に迫力を与える。

2楽章のラルゲットでは、プレイヤーの数だけの蝋燭の灯が見えた。時々音から可視的なエネルギーを感じることがある。赤いような青いようなたくさんの灯が美しくゆらめいていて、指揮者のもとに集まってひとつの大きな炎になったり、再び分かれてたくさんの灯になったりした。それぞれの音型がとても詳しく聞こえてくるが、ひとつひとつがシューマンの言葉のようで、切実な熱を持っていた。

4楽章のぶんぶんという弦のさざめきはメンデルスゾーンを思い出した。コンマスの玄妙な音色が宝石のきらめきで、オーケストラのテクスチャーは耳でみる贅沢品そのものだった。少し前にメトロポリタン美術館展を見に行ったが、油彩画の布と宝石の描写にはうっとりとするばかりで、そうした見事な描写からは美に対する洞察力がうかがえる。指揮者は日々、何を観察してこのような美しい音を作り上げるのだろうか。一瞬一瞬が驚きの連続。

後半のフランクの交響曲ニ短調は、さらに神がかっていた。この曲は質実剛健な、人生の応援歌(!)のようなところがあると思っていたが、そういう直情的な音楽とも違っており、フランクの中に多くの作曲家が見え隠れした。ベートーヴェンの対話があり、マーラーの胎内回帰的な甘美があり、アレグレット楽章のハープからはワーグナーの神々の国が幻視された。3楽章ではブルックナーのマントラ的な呪文も聴こえたような気がした。

フランス的な名曲というより、作りそのものは弁証法的で、数少ないモティーフが何度も繰り返され、組み合わさってひとつの曲になっている。ドイツ的というより、汎ヨーロッパ的な作りなのかも知れない。17世紀のイタリアの建築に、楕円のモティーフが執拗に繰り返されている聖堂などがあるが、それを思い出した。正方形、円、螺旋形などにも西洋人はこだわる。目に見える規範、繰り返し、論理性といったものに石の文化の永遠性が宿る。

西洋の人々の芸術観と、東洋のそれとは違う。フランクの二短調の2楽章は極楽のようだが、柔らかくすばしこく東西を走る弦の音が、虫の声のようだった。虫の音をノイズではなく「鳴き声」と捉えるのは日本人の脳の特性だが、ヴァイオリンは確かに虫のささやきを奏でていた。この微かさは、どのように楽譜に書かれているのか。マエストロが念力で読み取った徴なのではないかと思った。

小泉さんの音楽に感じる計り知れない「殺気」というか「凄味」がこの日もじわじわ来た。日本の指揮者が一番凄い、と日々感じるが、それは五感の可能性を極限まで究めた西洋芸術と向き合ったとき、こちらは五感を超えた六感、七感までを表現することが出来るからだ。洋の東西は壁ではなく、西洋を東洋が包み込む。「気配」や「無」までも指揮者は表現する。四季を四つの区切りではなく、二十四の節季に分けて認識する和の感受性が、無敵の音楽美を創り出していた。

3楽章は力いっぱいにアンセム的な歌に仕上げる指揮も悪くないが、小泉さんはこの楽章をもっと洗練された、ミステリアスな音楽として捉えていたように思った。力強いが、力は支配し強制するもので、それとは逆のものがあった。フランクを通じて表された人間の寛大さ、愛情深さ…何よりも愛だった。新日本フィルのトロンボーン奏者の騎士のようなたたたずまい、コンマスのチェさんの相変わらずの天才にも面食らった。19日のトリフォニーに行かなかったことが悔やまれる・・・世界中のオーケストラファン、指揮者たち、もう亡くなった指揮者にも聴かせたい演奏会だった。バーンスタインやヤンソンスもきっと、驚いたはずなのである。


編集部より:この記事は「小田島久恵のクラシック鑑賞日記」2022年2月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「小田島久恵のクラシック鑑賞日記」をご覧ください。