ウクライナ危機でドイツが目覚めた

平時には議論があっても煮詰まることはなく、別の用件が出てくればすぐに忘れられる。しかし戦時の場合、議論が十分でなくても決断が下されるものだ、といった印象をドイツのショルツ政権の最近の動きをみて感じる。

ウクライナ危機について語るショルツ首相(ドイツ連邦首相府公式サイトから、2022年2月3日)

ロシア軍のウクライナ侵攻は28日で5日目を迎えた。プーチン大統領はウクライナのゼレンスキー大統領に交渉を呼びかける一方、兵力を増強して首都キエフなどで武力侵攻を進めるなど、硬軟交えた攻勢をかけてきた。ウクライナ政府軍の予想外の抵抗もあって、短期間でウクライナを制覇できると考えてきたプーチン氏は27日、「核戦力の投入」を表明し、ウクライナと北大西洋条約機構(NATO)加盟国を威嚇し出した。

ウクライナ情勢が刻々変化する中で、欧州の近くで起きた戦争に直面する欧州諸国ではさまざまな動きが出てきているが、その中でもドイツのショルツ政権の変身ぶりに注目が集まっている。

ショルツ首相はロシア軍のウクライナ侵攻前にプーチン大統領と対面会談した最後の欧州首脳となった。同首相は2月15日、プーチン氏にウクライナ侵攻を断念するように説得したが、成果はなく帰国。その数日後の2月24日、プーチン氏はウクライナ侵攻を宣言した。ショルツ首相の調停外交はマクロン仏大統領と同様、メディアの関心は集めたが、それ以上ではなかった。

注目すべき点は、ショルツ首相の「その後」の動きだ。同首相は、プーチン氏が主導したウクライナ危機が突き付けてきた課題を次々と解決するために乗り出してきたのだ。以下、時間の経過に沿って、ドイツ政府の大変身ぶりをまとめる。

<2月22日>
ショルツ首相はロシアとドイツ間のロシア産天然ガス輸送パイプライン建設計画「ノルド・ストリーム2」の承認を停止した。首相自身はメルケル政権下の財政相時代から「『ノルド・ストリーム2』はあくまでも経済プロジェクトであり、政治的テーマではない」という立場を取ってきたが、それを急遽、「ノルド・ストリーム2の操業開始を停止する」と公表した。パイプライン建設は昨年秋に既に完成し、関係国の承認待ちだった。

同計画に対しては、バイデン米政権やバルト3国から強い抵抗があり、「ロシアのエネルギー依存は欧州の安全にとって危険だ」という声があった。ショルツ首相は先月就任初の訪米でバイデン大統領と「ノルド・ストリーム2」について話し合った。

ショルツ首相は、「不足するエネルギーは再生可能エネルギーの強化とともに、米国やノルウェーなど他国からの購入で補填していきたい」と述べている。脱原発、脱石炭を掲げているドイツにとって「ノルド・ストリーム2」の中断は大きな冒険だ。ショルツ首相は同日の連邦議会で、「ドイツ国内の2カ所に液体ガスターミナルを迅速に建設する」と発表し、同プロジェクトを通じ20億立方メートルのガスを調達する代案計画を明らかにしている。

<2月26日>
ショルツ首相はウクライナに1000個の対戦車兵器と500個の携行式地対空ミサイル「スティンガー」を供給すると決定した。

ウクライナ政府はNATO加盟国に対し、武器の供給を要請。英国やフランスなどは素早く武器を供給したが、欧州の盟主ドイツはナチス・ドイツ政権での蛮行への反省もあって、紛争地への武器輸出は禁止してきた。そのためウクライナ要請を受け非戦闘用のヘルメット5000個の供給を明らかにした。すると、親独派の元プロボクシング世界チャンピオンのキエフ市長は「がっかりした。ドイツは次は枕でも我々に送ってくるのではないか」と皮肉ったほどだ。

ロシア軍とウクライナ政府軍間の戦いが始まると、戦力的に大きく守勢を強いられているウクライナ政府軍への武器支援は緊急課題となり、米国、英国、ベルギーなどは武器の追加供給を実施。その中で、ドイツへの圧力が高まっていった経緯がある。

<2月27日>
ショルツ首相は連邦議会(下院)の特別会期で、「ドイツ連邦軍特別基金」を通じて軍隊の大幅拡大を発表、この目的のために基本法を変更したいと主張。具体的には、「2022年の連邦予算はこの特別基金に1000億ユーロ(約13兆円)の一時的な金額を提供する」と述べた。同時に、「国防費を国内総生産(GDP)の2%以上に引き上げる」と表明した。

トランプ前米政権下でもドイツに対し、GDP2%以上の国防費を上げるべきだという圧力があったが、メルケル前政権はそれを拒んできた。NATOでは加盟国はGDPに2%を国防費にするという目標を掲げてきたが、米国ら数カ国だけが実現し、ドイツら多くの加盟国は2%以下だった。ショルツ首相は今回の決定を下すことで、「ドイツが米国と共にNATOで主要な役割を果たしていく」というメッセージを内外に向け発したことになる。ショルツ首相は「私たちはターニングポイントを経験している」(Wir erleben eine Zeitenwende)と述べ、ウクライナ危機でドイツの国防意識が目覚めてきたことを暗に示唆している。ドイツの一部メディアは「ドイツ再軍備宣言」と今回の決定を呼んでいる。

以上、「ノルド・ストリーム2」の操業、「武器の供給」、そして「国防費の拡大」の3点はいずれも難しい課題だ。今回、ショルツ政権が短期間で次々と決定を下すことができたのは、首相自身が言っているように「ロシアのウクライナ侵攻が時代を転換させた」からかもしれない。アンナレーナ・ベアボック外相(緑の党)は、「この紛争では誰も中立であることはできない」と警告している。

ショルツ政権の大変身は、今風にいえば、ウクライナ危機という時代が提示したモメンタムを無視して考えられない。今回の決定は連邦議会で今後、議論を重ねて最終的に決定することになるが、ショルツ政権はドイツの安全・国防政策で新しいかじ取りを始めたことになる。メルケル政権の16年間、保守政党「キリスト教民主・社会同盟」(CDU/CSU)が出来なかった戦後の安保・国防政策をSPDと緑の党が入ったショルツ政権が大転換させたのは少々、皮肉ともいえる。いずれにしても、戦後からの平和憲法に固守し、安保・国防意識が失われてきた日本にとってもドイツの大変身は刺激的だ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年3月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。