日本はウクライナ問題について、欧米と歩調をともにしている。過去の経緯についてはロシアの言い分も分かるが、今回の大規模な軍事行動には正義はない。いってみれば、太平洋戦争に日本が追い込まれたについて日本にも言い分はあるが、真珠湾攻撃は弁解のできない暴虐だというようなものだ。
制裁については、欧米に追随しないと、アジアで何かあって日本とアメリカが中国や北朝鮮などを制裁しようとしたときに、ヨーロッパ諸国に同調してもらえないと困るという意味でも、ほぼ無条件でそうすべきであるし、おおいにエールも送るべきだ。
ただし、本来は日本には北方領土交渉など別の事情があるにもかかわらず、欧米との同盟関係に鑑み小異は捨てて同調するのであるということ
また、ウクライナを友好国のように勘違いしている人もいるが、中国に空母を売ったり、北朝鮮のミサイル開発へ関与したり、むしろ非常に敵対的な国でありつづけたことへの反省を求めず無条件に支援などすれば、今後も日本に脅威を与える同様の協力を中国や北朝鮮に世界の国がすることを奨励するようなものだ。
また、細かいところでは、日本としては欧米に比べてコストが高すぎるようなことは、きちんと説明して例外をつくってもいい。たとえば、上空乗り入れ禁止など、日本は欧州との所要時間が4時間も長くなるので断るべきだ。
そもそも欧米の措置でも、自分たちが困らないようにそれなりに選択もしているのであるし、できることなら、実効性が出る前にやめたいと思っているのである。
日露関係の悪化を最小限にとどめることの重要性
さらに、ロシアとの関係に長期にわたってしこりとならないために知恵を絞る必要がある。とくに保守系の人たちのなかには、中国、ロシア、北朝鮮、韓国、さらにはアメリカ、ヨーロッパまで片っ端から喧嘩を売ろうという人もいるが、馬鹿げているにもほどがある。 普通に考えれば、たとえば、中国を牽制するにもロシアとは仲良くしておきたいし、ロシアが韓国に近づくことは、日露戦争のころから日本にとって最大級の悪夢である。
この件で、中国はロシア寄りで、韓国も及び腰であるから、長期にわたって日本はロシアにとって非友好国だという意識を植え付けられてアジアで苦しい立場になることを覚悟せざるを得ない。また、北方領土について返還だけでなく墓参なども含めて難しくなるし、漁船の拿捕なども残念ながら覚悟するしかない。竹島問題などで韓国の方を持つかもしれない。
安倍政権のもとでの交渉が行き詰まったのも、クリミア併合に日本が欧米と足並みをそろえて強く行動したからであるが、今回は、それ以上の交渉への打撃だ。
もちろん、国際秩序が大きく崩れるときは、チャンスでもあって、たとえば、極端にはロシアが敗戦国になるとか分裂すれば北方領土も戻ってくるかもしれないし、それを望んでいる人もいる。
しかし、そのときは、ロシアの核兵力や技術などは、中国や北朝鮮にかなり流れるだろうし、ロシアが分裂して新たな核保有国が増えるおそれだってある。
今回の安保理事会の決議に、中国だけでなくインドやUAEは棄権したが、それは欧米のロシア制裁に同調することが、自国を棄権にさらすことを考慮してのことだ。
また、和平へ向けての仲介にはフランスのマクロン大統領が盛んに動いているが、トルコやイスラエルも手を上げている。制裁に加わる一方、保険をかけているのである。
果たして日本も出番があるかはわかないが、それでも準備に入るべきだ。岸田首相や林外相はもちろん、たとえば、安倍元首相のもとにもチームを用意して準備しておくべきだろうし、どうしたらロシアに貸しを作れるか多角的に検討すべきだ。また、過去の問題についてのロシアの言い分については、それなりに理解を示すことも必要だ。
それから、すでに「北朝鮮を利するウクライナの核放棄は誤りという議論」で書いたが、近年のウクライナが防衛力強化を軽視していたというのは確かだが、さらに遡って、1994年のブダペスト合意で核兵器を放棄したのが間違いだったとかいう無分別なウクライナ国粋主義者の言説に賛同する人もいるなどもってのほかだ。
当時は核を放棄しその他の軍事力もかなり削減しないと、ウクライナの自立など支持できないというのが、ロシアだけでなく米欧や日本のコンセンサスだった。むしろ、あのときに、ウクライナに削減したとはいえ、分不相応な軍備や技術を引き続き保持させたことが、上記の中国や北朝鮮の軍備強化につながった。とくに、核放棄が間違いだったなどという言説は、金正恩への最高のプレゼントで、全く愛国的でない。
また、歴史的なことは回を改めたいが、歴史認識についてのウクライナの言い分はあまりにも空想的で、申し訳ないが、韓国起源説とかいろいろのかの国の歴史観に似ているので、それにまで同調するのはいかがなものか。
ロシアと西欧社会の対立は、面白おかしく云えば、ドイツ騎士団とアレクサンドル・ネフスキー(ロシアの建国の英雄)が戦った1240年のネヴァ河畔の戦いに端を発する根深いもので、両者の言い分を聞くとまさにその時代から変わっていないと思う。