令和4年3月3日、公正取引委員会は、日本年金機構が発注する特定データプリントサービスの入札等の参加業者に対し、独占禁止法違反を認定し、これに基づき排除措置命令及び課徴金納付命令を行ったことを発表した。
独占禁止法学者としては、日本年金機構というと、今から30年前の旧社会保険庁時代のいわゆる「シール談合事件」(支払通知書等貼付用シールの入札談合事件)を思い出すが、現在に至る途中で、紙台帳等とコンピュータ記録との突き合わせ業務の入札に関連した官製談合防止法違反事件が発生したこともあって、日本年金機構は筆者にとって(ある意味)馴染みのある公共調達の発注者だ。
官製談合防止法違反事件については、筆者は当時設置された「紙台帳等とコンピュータ記録との突合せ業務の入札に関する第三者検証会議」のメンバーだったので、この組織には人一倍思い入れがある。
30年前の事件と現在の事件は、印刷業界が舞台となっている。差別化が難しく値崩れし易いのかもしれないし、あるいは業界の体質なのかもしれない。競争よりも協調の方に傾き易い傾向があるのだろうか。しかし受注者側の事情はどうであれ、他の公共調達の発注者同様、年金機構は入札不正の被害者の立場にあるのだから、不正の情報には常に敏感でなければならない。
ところが、今問題になっている特定データプリントサービスの入札においては、公正取引委員会は被害者である年金機構に対して改善要請を行なっている。以下、公正取引委員会の報道発表資料を引用する(以下「26社」とは受注調整に参加した業者のことである)。
第2 日本年金機構に対する要請について
1 本件審査の過程において認められた事実
(1) 日本年金機構は、平成28年1月末頃、特定データプリントサービスの入札において、いわゆる入札談合(以下「談合」という。)が行われている旨の情報(以下「本件談合情報」という。)について通報を受け、内部調査を行ったにもかかわらず、その結果を含む本件談合情報を公正取引委員会に通報しなかった。
(2) 日本年金機構は、特定データプリントサービスの入札について、入札前に入札参加者が他の入札参加者を把握することができる方法により実施していた。
2 要請の概要
(1) 前記1⑴の対応は、その判断が適切なものとはいえないものであった。また、前記1⑵の方法による入札の実施は、26社以外の者が入札に参加した場合、26社は入札価格を下げるなどの対応を採るなどして談合を行いやすくさせていたものであり、入札における公正かつ自由な競争を確保する上で、適切なものとはいえないものであった。
(2) よって、公正取引委員会は、日本年金機構に対し、次のとおり要請を行った。
ア 今後、談合情報に接した場合には、日本年金機構の発注担当者が適切に公正取引委員会に対して通報し得るよう、所要の改善を図ること
イ 日本年金機構の入札方法について、入札前に入札参加者が他の入札参加者を把握することができないよう、入札方法の見直しなど、適切な措置を講じること
日本年金機構は談合情報が上がってきて調査対象となったものの公正取引委員会等への通報を行なっていなかった、という。
当時の状況の詳細は分からないが、公正取引委員会が後に独自のルートで情報を収集し、違反の摘発に至ったのであるから、結果論でいえば、日本年金機構の対応が拙かったということになる。過去に大きな事件の被害者となり、あるいは内部職員が入札不正に関与した経験がある発注者としては、杜撰な対応だったといわれるのは避けられまい(上がってきた情報の内容やその後の手続き等について、今後、然るべき検証がなされるだろうから、最終的な評価はそれを待たなければならないが)。
組織のコンプライアンスのあり方は、自らが違反を犯す場面においてのみ問題になるものではなく、自らが被害者になる場合も問われるべきものである。
いかに不正の発生を未然に予防するか、不正を疑った時にどう対処すべきかについて判断を誤れば、それは私企業であれば株主をはじめ、さまざまなステークホルダーの損害につながることになるし、公的組織であればそれは納税者の損害となる。不正による被害を発生させ、あるいは拡大させることは、それが避けられた発生や拡大なのであれば、自ら不正を犯したのとなかば同じようなものである。
なお、上記の改善要請には「入札前に入札参加者が他の入札参加者を把握することができないよう、入札方法の見直しなど、適切な措置を講じること」という指摘もある。
報道を見る限りでは、これは日本年金機構が受注希望者のために説明会を開いていたので、そこに集まった企業を確認することで談合の実行可能性を把握することができた、ということのようだ。受注希望者を同じ場所に集めないことは、談合防止の有効策の一つとしてかつてから指摘されていたことであり、これでは間接的に談合をサポートしていたといわれても仕方あるまい。
発注者の対応のミスが談合を招き、談合の摘発を遅らせてしまったという理解を前提にするならば、この事件は、組織のコンプライアンスを考える重要な材料を提供するものとなるに違いない。